第14話 馬車の中で

 事務所の前には機械馬車が停まっていた。以前機械屋敷に行く時に乗ったものとは少し違う、高級な馬車だった。メッキ加工がされている、黒光りのする機械馬が引くものだ。鼻から蒸気が出たり歯車の軋む音がしたりしない、スマートな最先端の機械馬。そしてよくよく見てみると。

 尖った装甲帽にゴーグル。それに口元に繋がったパイプ。

 馭者も機械だった。いや、この場合は馭者というより中央制御装置か。機械馬の動きを指示する中枢機構。それが機械馭者だ。さすが騎士団の派遣する馬車だけあって最新鋭のものである。シンディ女史とグレアムくんは顔色一つ変えずに乗り込んだが娘は少し緊張した面持ちだった。まぁ、私も少し緊張していた。だって機械が運転する車なんて! 

 機械馭者なのでピシリという鞭の音も掛け声もない。ただ静かに車が動き出す。私はちょっとひやひやした。大きな事故とかないといいけど! 

 しばらく、全員無言で揺られる。

 シンディ女史は目を伏せ大人しくしている。娘は車窓から見える景色をのんびり眺めていた。グレアムくんはと言えば、年頃の男の子らしくむすっとした顔で座っていた。腰の剣が時折床に当たってかちりと音を立てる。

「君は」

 唐突に少年騎士が口を開いた。

「ホウエルズの出身だろう」

 私はびっくりした。娘の出身地! 

 正確には、私が娘を出産した土地だった。国の高官だった夫が短期間出張していた土地で、まだ若妻だった私は夫と離れ離れになるのが嫌で、大きなお腹を抱えて夫の出張先まで引っ越したのだ。娘はその引っ越し先で生まれた。

「あら、どうして?」

 娘が小首を傾げる。そうよ。男の子に驚かされたからって素直にびっくりちゃ駄目。

「匂いさ」

 グレアムくんが得意げに笑う。

「俺は鼻が利くんだ」

 娘がくすりと笑う。

「匂い?」

 グレアムくんが鼻を擦る。

「うん。今日は調子がいいんだ」

「なら分かる?」

 娘が笑顔でグレアムくんに訊ねる。

「そろそろ焼けてると思うわ。フィールディングさんのところの新作パン……」

 グレアムくんが目を大きくする。

「ラズベリーが練り込んであるやつ!」

「そう」娘がくすっと笑う。

 グレアムくんがかわいらしく首を傾げた。

「あれ美味しいのかなぁ? 俺、甘いのも酸っぱいのもあんまり……」

「あそこの見習いさんが言うにはこの夏の最高傑作だって」

「ああ、暑くなると酸っぱいものが食べたくなるよなぁ」

 うふふ、と娘が笑う。ちょっと。そんな簡単に男の子に気を許しちゃ駄目よ。

「騎士の宿舎で出るパンもフィールディングさんのところのにならないかなぁ。食堂で焼かれるパンも不味くはないんだけど、もう少しって感じなんだよ」

「買い出しはいけないの?」

「いけなくはないけど制度がうるさいんだ。俺みたいな下級の騎士は外出にも許可を得ないといけないから」

 グレアムくんがそうであるように、下級の騎士は大抵十代の男の子がなる。必然、騎士団も親の代わりに彼らを監督しないといけないので、外出や交友関係には口を出すのである。まぁ、そういう意味では彼は「安心」なのかもね。変なことはしてこない。

 二人が歓談している間、シンディ女史はじっと黙っていた。パンの話題で盛り上がる十代の二人なぞ意に介さずひたすら自分の世界に閉じこもっている。何を考えているのかしら。研究のこと? 

「匂いで分かったって言ったけど、私ってどんな匂いがした?」

 娘が急にプライベートな話をし始めたので私はたしなめる。

「およしなさい。はしたない」

「あら。ごめんなさいお母さん」

「……気になってたんだけど、何でカバンになったり猫になったりするんです? 人間の姿には?」

 グレアムくんの質問に手短に答える。

「人間の体は病気になって捨てました。延命の魔法でカバンに命を繋ぎ留めています。猫になれるのは私の生前に覚えていた魔法の一部を引き継がせたから」

「延命の魔法ですか……」

 グレアムくんが急に表情に影を落とす。気になった私は訊ねる。

「あら、どうかいたしまして?」

「いや、最近魔法を使った犯罪が横行していて。魔蓄で食いっぱぐれた魔法使いや違法魔蓄を手に入れた一般人なんかが色々やってるんです。延命の魔法も、手口のひとつにあったような……」

 私は気になったので訊ねる。

「延命の魔法をどうやって犯罪に?」

 グレアム少年は真っ直ぐに答えてくれた。

「単純に、病気や怪我で死にかけた人に法外な料金をふっかけて延命する手口。次に人の魂を無理やり物品に閉じ込めて『元に戻してほしかったら……』という手口。あるいは男性が意中の女性の家の家具……バスタブとか……に魂を移して付きまとうという手口」

「まぁおぞましい!」

 魔法って使い方を間違えるとひどいことになるのよね。魔蓄が発展して色々な人が魔法を使えるようになっても、この問題は変わらないのだわ。

「俺、この間も違法魔蓄を使っていた男を逮捕したんです。そいつ、ぬいぐるみに女性の魂を封じ込めて弄んでる変態でした」

「まぁ……」絶句する。そんな頭のおかしい人がいるなんて。

「ぬいぐるみに、魂」

 娘がつぶやく。ああ、神様。お願いだから娘にそんな変態がくっつきませんように! 私もしっかり見張ってなくちゃ。

「その閉じ込められていた女性たちはどうなったの?」

 娘が訊くと、グレアムくんは唇をきゅっと結んで真面目な……騎士らしい、本当に真摯な顔になると、腰に下がった剣の柄を指先で弄った。

「全員無事に助けられたよ。今は元の体に戻って生活してる」

「あなたのおかげ?」

「いや、俺は臭いで怪しいと思っただけで、実際の捜査は先輩騎士が」

「臭いで怪しいって思ったってどういうこと?」

「信じてもらえないかもしれないけどさ」

 と、グレアムくんはまた鼻を擦った。

「犯罪者って独特の臭いがするんだよ。悪意の臭いって言うのかな。魚が傷んだような、嫌な臭い。そいつはその臭いがきつかったんだ。で、もっと臭いを嗅いだら、醜男には似つかわしくない、女の甘い匂いがして……」

「女性の匂いだけで気づいたんじゃなくて?」

 私が訊くとグレアム少年はどこともなく宙を睨み、それから唇をちょっと舐めた。

「悪意の臭いがするんです。何て言ったらいいのかな。魚が傷んだ、が一番的確な気がするけど、食べ物が腐ったような、というか、とにかく腐敗臭がするんです」

「他に匂いで分かることはないの?」

 娘が訊ねると、グレアム少年はにっこり笑った。

「意外と気持ちって匂いに表れるぜ。喜んでる、とか、怒ってる、とか。そうだなぁ、女の子が喜びそうなのだと……」

 恋の匂い、とか?

 グレアムくんの気障な言葉に娘は敏感に反応した。

「そんな匂いがあるの?」

「あるよ。それこそラズベリーというか、甘酸っぱい匂い」

「へぇ!」

 へぇ! って、あなたも女の子ね。恋にときめくお年頃かしら。まぁ、私も初恋は十三の頃だったし、娘くらいの年頃なら惚れた腫れたは興味があるのかもね。

 馬車はゆっくりと人形博物館へと向かっていった。車窓の彼方に、とんがり頭の塔がいくつも並んだ建物が見えてくると、シンディ女史が一言「あれが人形博物館です」と告げた。娘も建物を見た。「立派な建物ですね」と声を上げた。

 気のせいだろうか。

 私は娘が、人形博物館を見る時チラッと横目で、グレアムくんのことを見ていた、気がした。

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