第51話 別れ

「グレア……」

 しかし娘が叫ぶのより先に私の魔法道具の方が仕事をした。サイコロの魔力で私と娘は即座に番号の振られた避難艇へと飛ばされた。その先がどの番号だったかは分からなかった。だが目の前にバグリーさんがいた。

「レディ、いったいどうやって……」

「グレアムくんが! グレアムくんがっ!」

 置かれた状況に娘が半狂乱になって叫ぶ。

「まだ中にいるんです! まだ……まだ……!」

 丸めた紙を投げ込んだからか、避難艇の出口までほんの少し距離があった。娘は全力で駆け出した。しかし直後に大爆発があった。避難艇が揺れた。

「レディ、駄目だ!」

 バグリーさんが娘の腕をつかむ。その太くて大きな腕で有無を言わさず娘を引っ張った。

「もうこの船は落ちる! このままじゃ避難艇諸共落下する!」

 船を出せ! バグリーさんが船員に向かって叫んだ。

「今すぐ出せ! 逃げるんだ!」

「でもグレアムくんがっ! グレアムくんがぁ!」

 娘がついに発狂した。泣きながら、叫びながら、壊れたおもちゃのようにバグリーさんの胸を叩いた。

「お願いっ! お願いしますっ! どうか! 離してぇ!」

「駄目だレディ! もう助からない!」

「嫌だぁ! 嫌だぁ!」

 娘は必死に避難艇のドアに向かって手を伸ばした。だが、無情にも。

 船員の一人が重たいドアを閉めた。鉄の扉は娘の希望も、愛も、何もかもを遮断してしまった。



 それから長いようで短い時間が経って。

 避難艇は六つとも、カメリア合衆国東端、ハンプシル州の空港に着地した。ハイデンバーグ号は海上で爆発、炎上し、そのまま海へと落下していった。このことは世界中に知れ渡り、史上稀に見る大事故だと報道された。幸運にも乗員乗客の多くの命が救われたこと、美術的、経済的損失こそあれ人命の被害が最小限だったことが評価され、セントクルス連合王国の航空術は色々な意味で世界中に知れ渡るところとなった。確認されているだけで死亡者は二名。カバン銘柄「エルメーテ」社長、エルメーテ・アンドレーア・ムーツィオ。そして王国騎士団二等騎士、グレアム・ウィンストン。

 合衆国の各紙に大きく二人の顔写真が掲載された。そして救出された石像被害者たちがムーツィオの悪行を暴露し、エルメーテ社は世界中から非難を受けた。

 娘は狂ったように、グレアムくんの写真が大きく載った新聞を集めた。まるで麻薬中毒患者のように、目につく売店の、店先にあるありとあらゆる新聞を全て買い占め、涙をこぼしながらそれらを読んだ。同じ新聞の同じ記事を何度も何度も読んでは、次の新聞へと移り、またそれを繰り返した。そして嗚咽を漏らして泣き崩れた。娘は救出された日の翌日、日がな一日そんなことを繰り返した。私は心が痛かった。

 しかし私としては、娘の命が助かった安堵感の方が大きかった。私はグレアムくんを忘れないと誓った。私の娘を命懸けで助けてくれた騎士。束の間とはいえ、娘の人生に薔薇色の幸せを与えてくれた男性。そんな誇り高き王国騎士のことを、生涯語り継いでいこうと神様に誓った。この手記はそんな気持ちのままに書かれている。

 ここで整理の意味を込めて事件のあらましを書こう。

 まず船長のマクシミリアン・ユーバシャールがエルメーテ社に脅迫状を送ったことから始まった。芋虫のようにのたうつ文字の、魔蓄タイプライターで記されたあの脅迫状だ。これを持ってルイスさんが依頼に来た。

 きっとグレアムくんはこの脅迫状を見た時、ムーツィオとの因縁を感じたのだろう。彼がムーツィオにどんな気持ちを抱いていたのかは分からないが、この依頼に胸の何かがささくれ立っていただろうことは想像に難くない。

 おそらく彼は、ムーツィオに釈明の機会を与えようとしたのだろう。告発文を書いたカードをムーツィオに送りつけた。しかしムーツィオはこれを暖炉魔蓄にくべて燃やした。

 時を同じくして、脅迫状の犯人であるマクシミリアン船長が船を爆破した。グレムリンの暴動は船長の暴挙を予感してのことだった。彼はそのままパラシュートで逃亡。ちなみに彼は現在、国際的な指名手配にかけられていて、各国の警察機関が彼の行方を探っている最中だ。

 船の爆発で時間がなくなったグレアムくんが、銃を以てムーツィオに迫った。この時魔蓄犬はグレアムくんのマスターカードで黙っていた。

 グレアムくんはそのままムーツィオを大広間へと連れていった。

 ムーツィオの目の前で、石像にされていた人たちを元の姿に戻して再び問い詰めようとしたのだ。

 しかし石像にされていた人たちが暴動を起こしてムーツィオを石に変えた。

 そしてその石像になったムーツィオを破壊しようとした被害者たちを、グレアムくんが必死に止め、避難するよう説得した。

 全員を避難させた後、やはり復讐心を忘れられなかったグレアムくんは大広間に戻った。この時コロンブさんと行動を共にしていた娘と出くわした。

 グレアムくんはその場で一計を案じた。娘とコロンブさんを大広間から追い払うため、付け焼刃の嘘をついたのだ。部屋を密室だと偽り、そしてムーツィオ氏がその中から消失したと思わせ混乱させ、二人を再び大広間から離そうとした。

 そこで娘がグレアムくんに真実を突きつけた。

 多分、最後のことが娘を苦しめているのだろう。

 自分がグレアムくんを追い詰めたと思っているのだ。

 娘は狂ったようにあの鍵をこめかみに差し込んで、回し続けていた。何重にも何重にも心に鍵をかけて何かをしたいようだったが、溢れた涙は止まらなかった。私はそっと娘に寄り添った。

 ただ、私たちがカメリア合衆国の病院で手当てを受けている、まさにその時。

 ハイデンバーグ号の落下事件の翌々日。私たちの元へ……正確にはバグリーさんの元へ一報があった。ムーツィオ氏の死体が浜辺に漂着したらしい。

 死体。つまり生身だ。石像じゃない。石像ならもうとっくに海の底に沈んでいる。死因は溺死のようだった。体に大きなボロボロの布が巻き付いていたことから、どうもパラシュートで脱出を図ったらしいことが分かっていた。

 グレアムくんが錬金術を解いたのだと、私たちは理解した。彼は最後の最後で人命を……それも憎き相手を……救おうとしたのだ。

 娘は大きく叫んだ。絶叫した。ほとんど咆哮と言っても過言ではなかった。私は娘を抱きしめたかったが、猫の体ではそれは叶わなかった。代わりにバグリーさんが娘の肩に手を添えた。しかしどれだけ泣いても、グレアムくんはもう、戻ってこなかった。


――『天空密室』 了

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