エピローグ

第52話 それからの毎日

 さて、私がこうして娘の事件簿をまとめようと思ったのは、これらの事件が娘にとって人生の転機で、そしてそれは私の人生の……もう「人」ではないのだけれど……転機でもあったからだ。

「機械屋敷の亡霊」事件で娘は恋について意識を向け、「蠢く人形館」事件でグレアムくんに恋をし、「女王石」事件で娘は彼と急接近し、「不明戦車の届け物」事件で彼と愛を確かめ合い、そして「天空密室」事件で彼を……。

 ここで「失った」と書くことはできる。娘は文字通りグレアムくんを「失った」。しかしそれは娘一人だけのことではなかった。

「天空密室」事件から少しして。

 私たちがまだ合衆国で療養している時に、その知らせは入った。

「カラスカ州の『凍える浜』に青年が一人流れ着いたらしい」

 バグリーさんが娘の病室を開けるなりそう告げた。ほとんど叫ぶような調子で、私はひどくびっくりしたが、しかし廃人になりかけていた娘は、ベッドの上からガラス玉のように空虚な目をバグリーさんに向けただけだった。バグリーさんが娘の肩を掴んで揺さぶった。

「まだ確認できていないがグレアムかもしれん! 手に赤いサイコロを握りしめていたそうだ! レディ、あなたいつも耳にしていたサイコロの飾りは……」

 と、バグリーさんが言い終わるのより先に。

 娘の顔が崩壊した。しかし恥じらいを思い出したのか、パッと顔を覆うと嗚咽を漏らして泣き始めた。それから消え入るような声でつぶやいた。

「グレアムくん……グレアムくん……会いたい……会いたいよ……」

 医師から外出の許可を得るのに少し時間がかかったが、娘と私たちは一路合衆国北の海へと向かった。この国で流行っている最新型移動魔蓄、乗合魔蓄自動車オムニに乗っての移動だった。

 停留所で何度か車を乗り継ぎ、合衆国北カラスカ州に着くと、バグリーさんに連絡を入れた地元の新聞記者レックスさんが私たちを出迎えた。

「この辺りは大きな病院がなくて」

 レックスさんは私たちの荷物を持ちながら鼻をむずむずと動かした。どうやらそれが彼の癖らしかった。

「問題の彼は、港の診療所で預かっています」

 赤い服を着ていたので間違いなく騎士団の人間ですよ。

 レックスさんのその言葉に娘はまた泣き出しそうになった。でも期待は裏切られるものだと知っていてか、あるいは理性がある程度戻ってきたからか、今度は泣き崩れるようなことはしなかった。私たちは港の診療所、レヴィン診療所へと向かった。

 果たしてそこにグレアムくんがいた。

 額を怪我したのか、大きなガーゼが当てられ、頭を包帯でぐるぐる巻きにされていたが、しかしどう見てもグレアムくんだった。娘はもう何度目かになる「膝から崩れ落ちる」という現象に襲われた。だが今度はすぐさま立ち上がると、必死に彼の名前を呼んで抱きついた。

「グレアムくん……! グレアムくん……!」

 しかし彼は……当のグレアムくんは困惑したような顔をして娘のことを見つめた。娘もすぐに異変に気がついた。

「グレアムくん……?」

 すると娘の背後で、レックスさんが言いにくそうにつぶやいた。

「記憶がないみたいなんでさぁ。自分がどこの誰かも、生まれも育ちも一切合切忘れちまったみたいで……」

 娘は息を呑んでグレアムくんを見た。彼はつぶやいた。

「ごめんなさい、あなた、どなたですか……?」



 それから、私たちは船に乗ってセントクルス連合王国へと帰った。私たちの乗っていた船には多くの連合王国民が乗り込んでいて……もちろんハイデンバーグ号の乗客たち……私たちは船内でちょっとした有名人だった。もちろん、私たちはグレアムくんを連れて帰った。

 足を悪くしたわけではないのだが、彼は極端に精神活動性が減退していて、放っておくと丸一日何もしないどころか食事も摂らず微動だにせずほとんど等身大のお人形みたいになってしまうので、歩くなんてことは到底不可能だった。私たちは彼を車椅子に乗せて移動させるしかなかった。娘が車を押した。

「グレアムくん、海だよ」

「グレアムくん、お魚だよ」

「グレアムくん、夕日だよ」

 娘は懸命にグレアムくんに話しかけた。彼はその度に曖昧な、笑顔とも泣き顔ともとれる顔をするのだが、ほとんど黙りっぱなしだった。時々小さなため息をついて、娘の言葉に曖昧な返事はするのだが、彼の活動といったら本当にその程度で、長い船旅の間中、彼が自発的に言葉を発することはなかった。

 連合王国に着くと、彼は真っ先に大病院へと連れていかれた。ランドンで一番の大病院、リグビー総合病院の精神科で診察を受けた。

「頭部外傷による逆行性健忘、だと思われます」

 精神科のハリエット女医が診断した。

「治る場合と治らない場合とあります。後者は多くの場合、精神活動の低下により多くの脳神経が死滅することにより起こります」

「と、いうことは治療としては……」

「音楽を聴かせる、いい景色を見せる、話しかける、などなどして刺激を与え続ける必要があります。もちろん過度な刺激は避ける必要がありますが……」

 そういうわけで、娘はグレアムくんを私たちの屋敷に引き取り、そして治療に専念させることにした。

 ランドン一の名探偵と呼ばれた娘だ。それからも多くの事件を解決した。

 スコルチ地方で起きた「猿の肩」事件。

 厄災の町と呼ばれる町で起きた火災事件。

 窓辺に浮かぶ青い顔事件。

 毎夜毎夜、娘はグレアムくんの部屋に行く。

 そして月夜の下、彼の手を握り、さすりながら、話す。今日起きたことを。今日思ったことを。事件のことを。解決のことを。

「あのね、グレアムくん、今日はね……」

 娘とグレアムくんのそれからの話は、また次の記録に、残そうと思う。


『カギ娘の事件簿』 了

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カギ娘の事件簿 ~The Casebook of Key Girl~ 飯田太朗 @taroIda

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