第21話 少年騎士
「逃げて!」
叫びながらメリィに飛び掛かる。しかし、痺れた体じゃ勢いがつかなくてあっさり振り払われ、壁に叩きつけられる。呻く。でもやめない。
「早く逃げて!」
視界の端で娘を捉える。窓の下にぐったりと横たわる娘。駄目だ。目は開いているけど力がない。手足もだらりと垂れている。
「さすがにこの量を焚くと私も少し痺れるわね」
メリィが手をぶらぶらと振る。
「あなたはしばらくカバンだったから吸った量が少ないのかしら。でももう時間の問題ね。早く仕事を済ませなくちゃ。いい子だから大人しくしてね」
全力でメリィの手を引っかく。だが、払った腕に力が入らない。二度三度と手を振ったがついに捕まれてしまった。人間の手と猫の手じゃ分が悪い。私は腕をつかまれたままぶら下げられてしまった。悔しい。悔しくて涙が出る。でも、だけど、娘だけは、絶対に守らなければ。何があっても守らなければ。
渾身の力を込めて飛び上がり、メリィの手首に噛みつく。舌打ちが聞こえた。と、次の瞬間、私は再び壁に叩きつけられていた。背骨が軋む。また、呻く。娘を見やるが駄目だ、動けていない。体に力を入れようとしているのか手足が震えているけど、それ以上はできないようだ。お願い、お願いだから、早く……。
「決めた。この女の子から人形にしてあげる」
メリィがにっこりと微笑み、娘に近寄る。
「間抜けなあんたは、そこでかわいいこの子が人形になるのを見ていることしかできない」
立ち上がろうとする。諦めちゃ駄目! 諦めちゃ駄目! 何か方法を、この状況を打破できる策を、とにかく考えて、考えて……!
胸の奥が焼け付いて思わず吐いてしまった。床を見る。血……。
「この薬品が充満している中で無理に動いたらそうなるわ。いい? お手本を示してあげる。この薬を吸っている時はゆっくり動くの。こうやってね……」
メリィの腕が、私が噛みつき、引っかいた細い手が、娘の頬にそっと触れる。駄目! 駄目! やめて! 私のかわいい娘を! 叫ぼうとした。だが血反吐が邪魔をする。二、三歩前に出たが自分の吐いた血を踏んで転んでしまった。
ああ、神様どうか、私はどうなってもいいから娘だけは……。
霞んでいく意識の中でそう祈った、次の瞬間だった。
娘の頭上にあった窓が割れた。薬のせいだろうか、少し遅れてガラスの割れた音が聞こえた気がした。破片の向こうから飛び掛かってきた赤い影が、メリィに突進する。ガラスのシャワーを浴びたメリィは思わず両手で頭を覆ったが、赤い影の突進には耐えられなかった。床にどうっと倒れる。その上に、ああ、その上に立っていたのは……。
「メリィ・アマート」
大振りな剣。騎士団の中でも階級が低いことを示す剣だ。だがその剣が今は役に立った……彼はその剣で窓ガラスを破って飛び込んできてくれたのだ。
ガラスの向こうから飛び込んできてくれた騎士……グレアム・ウィンストンくんは、メリィを見つめたまま、デスクの上にあるランプを剣のひと払いで破壊した。床で砕けたそれからは、もう煙は立ち上がらなかった。グレアムくんが鼻を覆う。
「やはり薬で痺れさせたか」
メリィは驚きのあまり声が出ない。まるで事態を飲み込めていないかのように口をパクパク動かしている。
「何で騎士団が……今頃はダスティンの逮捕に……」
「臭いだ」
グレアムくんはハッキリ告げた。
「お前からはどぶ川の臭いがした。腐った魚が浮かぶどぶ川の臭いだ」
最初からお前が怪しかった。
そう、グレアムくんは続けた。
「この博物館に来た時からお前からは妙な臭いがしていた。悪意の臭いとは違う、野望の臭いだ。何か強い願望があることは嗅いで分かった。他の職員よりずっと濃い臭いだった。野望は、正しく使えばよい道を示すが悪魔のささやきであることもある。そしてお前の臭いはだんだんきつくなって明らかな悪臭になった。だから俺は、調べたんだ。お前について」
剣をすっとメリィの顎に突きつけながらグレアムくんが告げる。
「父親が漁師をしていたと言ったな? 仕事場は確か『春はテディートン水門の辺り、冬はフリューリ・ヴェネジアの砂浜』。偶然だなぁ。ウーゴ・スカルファロットの出身地もフリューリ・ヴェネジアだな。フリューリ・ヴェネジアのトゥリステ地域」
お前の生活圏とウーゴ・スカルファロットの生活圏は重なる。
グレアムくんはさらに続ける。
「ウーゴは十年前までは生きていたそうだな。つまりお前の父親がフリューリ・ヴェネジアで仕事をしていた頃もウーゴはまだで生きていたことになる。そして決め手がこれだ。人形が口にしていた『また会えるなら夕暮れ時に』」
メリィが懇願するように口を利く。
「ああ、それは、それだけは……」
「フリューリ・ヴェネジアに行って調べたよ。これは幼い女児から愛を告白された時に、男性がよく使う言葉のようだな。『将来おじさんのお嫁さんになる!』と言われた時の返し言葉だ。込められた意味は『いつまでもお待ちしておりますが、お気になさらず』。『また会えるなら夕暮れ時に』は高齢の男性が若い女性に言い寄られた時に使う言葉、らしい」
お前、ウーゴに憧れていたな?
グレアムくんの声が冷たく響く。
「ウーゴ・スカルファロットとお前は知り合っていたんだ。そしてお前はウーゴに恋をしていた。ウーゴに愛を告白したお前は『また会えるなら夕暮れ時に』と言われた。ウーゴからすればお前を傷つけずに振る方便だったのかもしれない。だがお前はどうも好意的に捉えたらしい……いや、記憶の中で美化された恋だ。好意的に捉えたくもなったのかもな。そしてウーゴの家で求愛人形たる『ラ・ミア』を見つけた。ウーゴがそれを誰に送るつもりだったのかはさておき、お前はそれを自分宛だと思うことにしたんじゃないか? お前は『私の~』という意味の『ラ・ミア』を『ラ・ミア・メリィ』とでもしてほしかった……いや違うな。そうするつもりだった。お前は『ラ・ミア』に魂を移すことで本当に『ラ・ミア・メリィ』になることにした」
グレアムくんの剣が、きらりと輝く。
「人形博物館には二年半いると言ったな。役人はいつどこで働いていたか記録があるが、お前の記録は二年半より前にはなかった。つまり人形博物館が初めての公務だ。その前どこで何をしていたのかは明らかじゃない。まぁこれは推測だが、フリューリ・ヴェネジアのどこかで人形技師をやりながらウーゴの気配でも感じていたんじゃないか? それが国の方針でウーゴの家ごと研究材料にされそうになったから慌てて追いかけてきた。お前は自分の『ラ・ミア』が取られるような気分になっていたのだろう。国がウーゴの遺品を回収する前に、できる範囲で持ち出したりしたんじゃないか? 例えば、そう、『ラ・ミア』の中身である魔蓄とか」
ううう、とメリィが呻く。
「これもフリューリ・ヴェネジアで調べた。ウーゴは若い頃、ある女性に恋をして以来独身を貫いていたらしい。『ラ・ミア』は晩年の作品で当然ながら魔蓄が普及していた頃のものだが、やはりその女性を想って作られたもののようだ。つまり中身がある本来の『ラ・ミア』はお前宛じゃない。でもお前は思ったのだろう。『恋した気持ちだけ残して、中身を抜いてしまえば』。だから『ラ・ミア』の中身を抜いた。中身の魔蓄を処分した。『ラ・ミア』に魔蓄の形跡があったのはそういうことだ」
私は何とか立ち上がった。まだ体が痺れているが、ひとまず娘を、娘を……。
揺れる足取りで娘の元へ行く。虚ろな彼女の顔に口を寄せると、私は解毒の魔法を唱えた。体の働きを活性化させて毒を排出させる魔法だ。毒の吸引が少なくなった今、排出の方が大きくなるはず。唱え終わるとまた胸が焼けて血を吐いた。すると私の魔法が効いたのだろう。娘が震える手で私に触れて「お母さん」と告げた。私は安堵して娘の名を呼んだ。涙が零れた。
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