第22話 甘酸っぱい


「あの、あの、グレアムさん?」

 グレアム騎士が剣でメリィを制圧している中。私はボロボロの身なりで彼に話しかけるのを恥じながらも、こう訊ねた。

「どうしてここが? どうしてここで危険が迫っていると分かったのですか?」

 グレアム騎士はメリィを睨んだまま答えた。

「この女が怪しいと臭いで分かっていたことはお話ししましたね。そして俺は今日、ダスティンを手配した後『ラ・ミア』とウーゴ・スカルファロットについて調べていました。この女とウーゴの関係に疑問ができた。で、当の本人に話を聞きに行こうとしたら、この研究室から薬品の臭いと、探偵さんの匂いとがしました。薬品の臭いは少量でも吸うとまずいものだと分かった。そしてそんな薬品が充満している中に探偵さんがいる。あまりよくない事態だと思いました。そのままドアから突撃する手はありましたが、堅いドアを破るよりガラスの窓を破った方が確実だし、後々俺の勇み足だった時も、ドアの損害より窓の損害の方が騎士団に対して言い訳が通るかと……非常時に保身を考えていたことについては謝罪します。すみません」

「いえ、いえ、こうして助けていただいただけで……」

 こちらこそごめんなさい。剣の大きさであなたのことを少し頼りなく思っていた……。

「メリィ・アマート。騎士団の名のもとに、お前の身柄を拘束する」

 それから手際よく、メリィに手錠をかけたグレアムくんは、騒ぎを聞いて駆け付けた博物館警備員に諸々の手続きを任せながら、私たちの方に来た。娘も多少回復したのか、壁にもたれかかって座ることができる程度にはなっていた。グレアムくんが近づいてくると、娘は崩れていたキャスケット帽をかぶり直した。グレアムくんが私を抱き上げた。

「魔蓄のお体でしたよね。通常の医療措置で大丈夫でしょうか?」

「猫の体になっている時は猫に対する処置で大丈夫ですわ」

「なら、よかった」

 それから、グレアムくんは私を抱いたまま跪くと、そっと娘に手を差し出した。ぽかんとした娘はおそるおそるグレアムくんの手を取る。

「大丈夫ですか、レディ」

 娘の目が……もう、見ていておかしくなるくらい、まん丸くなった。と、グレアムくんが鼻を動かした。

「あれ? 何だか甘酸っぱい匂いが……」

 甘酸っぱい匂い。

 あら、そう言えば馬車の中でグレアムくん、恋をした人の匂いがどうこう……。

 娘も思い至ったらしい。娘は大慌てで帽子から鍵のブローチを外すと、自分のこめかみに思いっきり差し込んだ。

「わっ、私の感情に関する一切を秘匿するっ」

 かちりと音がした。途端にグレアムくんが不思議そうな顔をした。

「ん。匂いがなくなった」

 何だったんだ。そうつぶやくグレアムくん。よかったわね。彼もそういうところは、ちゃんと一般的な男性らしく、鈍感みたい。

 私は微笑みながら娘を見つめる。娘はきっと、目の前の彼に精一杯なのだろう、こちらを一瞥もしなかった。まぁ、仕方ないわね。王子様が現れたとなっちゃ。



 そういうわけで無事、グレアムくんの手で助け出された私たちは、病院で手当てを受け、しかる後に退院した。私は怪我が多くて治療が大変だったけど、娘のために負った傷だから、我慢できた。むしろ誇らしいくらいだった。

 メリィ・アマートは国営の施設を不法に利用した罪と、魔蓄の違法所持及び使用、器物損壊、さらに傷害未遂の罪で逮捕された。どれぐらいの刑になるかは分からないが、しばらく牢獄から出られない程度にはなるだろう。国営の施設で犯罪に及んだということも大きい。厳罰を、と願った。まぁ、その辺りは法が裁いてくれる。夫の出身地である、東クランフの人たちが作ってくれた法が。

 今回の一件を受け、仕事の斡旋をしたバグリーさんはひどく心を痛めたらしく、後日正装で謝罪に来た。彼は私たちの屋敷の前に着くなり深々と頭を下げた。綺麗に撫でつけられた髪に、立派な髭の騎士団長が、娘と猫一匹のために頭を下げるのはきっとおそろしくスキャンダルな光景だったに違いない。でも彼はそれを堂々とやってのけた。その上その姿勢を崩さなかった。

「この度は私の不徳の致すところでお二人を命の危険に晒してしまい、誠に申し訳なく思っております」

 頭を下げたまま氏は続けた。

「どれほどお詫びしてもし足りないとは思っています。しかしどうしても謝罪の意だけはお伝えしたくて参りました。許してくれとは言いません。ですからどうか、お体にだけは気を付けて……」

「バグリーおじさん、やめてください」

 娘は慌てて氏の元へ行った。

「私は私の意思で本件に介入しました。責任の一切は私にあります。私の危機管理能力が低かったんです」

「だが……だが……」

 何だがぎょっとするくらい、声が湿っていた。

 よく見ると、バグリーさんは泣いていた。

「君はアウレールの娘だ。我が娘のように大事だと思っている。それを、それが、それなのに、こんな、危うく死にかけるような目に遭わせるなんて、俺はアウレールに合わせる顔が……」

「バグリーおじさん」

 娘は優しくバグリーさんの肩を撫でる。

「こうして大丈夫だったのですから、安心してください。それに、お父さんにはお母さんがきっといい具合に言っておいてくれますよ」

 あら。私はちょっとバグリーさんを責めたい気分だわ。

「これだけのことをしたんですから」

 私はしゃなり、と氏に近づく。

「当然それだけのことはございますわよね?」

「もちろんです。レディ」

 バグリーさんはハンカチで涙を拭くと私の前に跪いた。

「お二人には報酬の他に私から慰謝料を。加えて、国は『国のために奉仕した』実績を讃え賞を贈ることを検討しています。私はそれに微力ながら力を添えるつもりです。さらに……」

 バグリー氏は後ろに控えさせていた機械馬車を振り返った。甲冑のように洗練された二機の機械馭者が制御する馬車で、さすが騎士団長、と思うような馬車だったのだが、その中からおそるおそるといった様子で、一人の少年が降りてきた。腰にあったのは……以前のような両手剣じゃない。細身がスラっと美しい、刺突剣に変わっていた。二段階の昇進だ。

「四等騎士に昇進したグレアム・ウィンストンを専属の護衛騎士に任命しました。これから仕事を受ける際はいつでも彼を身辺警護に任命してください」

「かっかかかっかっかっかか彼を?」

「あらぁ」素っ頓狂な声を上げた娘を、私はからかう。

「ちょうどよかったわ。屋敷に空き部屋がございまして、寂しく思っておりましたの。グレアムさんさえよろしければ、この屋敷に泊まり込んで……」

「とっととととっとっとととっととま、とま、とま……」

 パニックになる娘の元に、怪訝な顔をしたグレアムくんが近寄る。腰の刺突剣がキラリと輝く。娘に会釈して、一言。

「どうかなされましたか、レディ」

「いっいいいいっいいっいいえ!」

「……おや? フィールディングさんのところのパンでも買われましたか? 甘酸っぱい匂いが……」

 カギのブローチを思いっきりこめかみに差し込んで、娘が叫ぶ。

「わっわわわ、私の感情に関する一切を……」


――『蠢く人形館』 了

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