第26話 グレムリン

「バグリー騎士団長様」

 機関室に入ると、まず車掌のケネスさんと思しき男性が敬礼して私たちを出迎えた。立派に髭を生やしているのに、何故か目つきはいやらしい人で、バグリーさんに胡麻をするように薄ら寒い笑顔を浮かべている人だった。この人に協力するのはちょっと癪ね。まぁ、バグリーさんの顔を立てるためなら仕方ないけど。

「機関士ヤーコブ、整備士ヘンリック、双方原因の究明に当たっておりますが未だに進捗は……おい!」

 車掌さんの声で油まみれの顔をした青年が顔を上げる。よく見れば、機関部に頭を突っ込んでいる男性どちらもがっしりした体つきで、いかにも若者といったなりだった。きっとこの意地悪そうな車掌さんにこき使われている青年たちなのだわ。かわいそうに。

「何か分かったか?」

「いいえ何も」

 油まみれの青年は再び機関部に頭を突っ込んだ。

「どこもかしこもしっかりしてて、逆に何でこの状況で動かないのか……」

 聞き捨てならなかったので私は口を挟んだ。

「どこにも異常はございませんの?」

 すると青年二人のどちらかが、こちらを見ることもせずに「ええ、どこを見てもバッチりでさぁ」と返してきた。車掌さんがしゃべる猫に驚いたような顔をする。驚き方があまりに露骨。失礼な方ね。魔法使いの人間に会ったことがないのかしら。

「どこにも異常がないのに機械が動かないなら……」と、私は娘を見る。娘も私と同意見なのだろう。小さく静かに頷いて見せた。私は一言発してみる。

「あの、どなたかサポディルラの樹液はお持ちじゃなくって?」

「サポディルラ?」

 青年の一人が……さっきとは別の方……が顔を出した。

「あの樹液の飴玉を持っていますが……」

「含有量は?」

「サポディルラの? 正確なところは知りませんがそれなりに高いんじゃないですかね。好きなんですよ、この樹液の飴。ゴムを噛んでるみたいに歯ごたえがあって」

 と、青年は胸ポケットから包み紙に包まれたサポディルラの飴を取り出した。これこれ。この柔らかいのに歯ごたえのある飴を好むのだわ。

 猫の私は包み紙を開けない。そういうわけで娘に目線を送ると、娘は青年の手から丁寧に飴を受け取って包み紙を剥がした。巷で手に入るこの手の飴は甘ったるい匂いがするけれど……この飴は、あまりしないから確かに含有量も多いかも。

「お母さん、これ、どこに置けばいい?」

「機関部の近くがいいんじゃないかしら? 機械の中に投げ込むのが一番だけど、そんなことをしたら本当に機械が駄目になっちゃうかもしれないから」

 そういうわけで、娘が飴を機関部の前、青年たちのお尻の後ろに置いた。変化はすぐに表れた。

「うわっ、何だこいつ!」

 青年の一人が声を上げる。まるでネズミか何かに噛まれたみたいに手を振った。そうしてこちらに勢いよく飛んできた軍手に、しっかりしがみついていたのが。

 小鬼……というにはいささか小さい、赤子の掌くらいの大きさの生き物。

 皮膚がそれこそゴムみたいにたるんでいて、伸ばし甲斐のありそうな……そして実際に伸ばすとすごく気持ちいい……顔をしている、機械の悪魔さん。

「あら、かわいらしいグレムリンね」

 私がつぶやくと小鬼さんは私を見上げてクスンと鼻を鳴らした。それから、床に置かれた飴に目をやると、「ピーッ」と声を上げて抱きついた。そのまま飴に齧りつき、もそもそと口を動かしている。

「何ですか、そいつ」

 グレアムくんが驚いた顔をする。あら、知らないの? 東クランフの方の出身かしら。夫と同じね。

「グレムリンよ。機械に住み着く妖精。人々が文明を手に入れた頃から傍にいるとされている妖精だわ。発明を手伝う妖精なの。簡素なものだと弓矢から、複雑なものだとそれこそ機関車の機関部みたいなものまで、およそ『発明の結果』と呼べるものには全てこの子が住み着いているわ。この子たちへの感謝を忘れて機械を組んだり、古い機械を整備せずに放っておいたりすると、悪戯をするの」

 機関部に頭を突っ込んでいた二人の青年が、呆気にとられた顔をして、床で歓喜するグレムリンを見つめていた。片方の子、油まみれの青年がつぶやく。

「グレムリンかぁ。親方が見たことあるって!」

 もう片方が続いた。

「俺んところの親方も言ってたよ。開発や整備の時はいっつもとうもろこしの実を一粒お供えしてる」

 今日もしたんだけどなぁ? とその子は首を傾げた。その言葉を聞いて私は訊ねた。

「『精霊への感謝』を忘れなかったってこと?」

 するとようやく、さっきからしゃべっているのが猫だったことに気づいたのか、青年が少し……とても品よく控えめに……びっくりしたような顔をして答えた。

「え、ええ。職人の風習は大事にしますよ」

「『精霊への感謝』は魔法の有無に問わず仕事にかかる時は必須の手続きだものね」

 それより今日もちゃんとお供え物をしたのね? と私が訊くと、油まみれの青年が機関部に頭を突っ込み、「ほら、ここに……」と言いかけた。だがすぐに叫ぶ。

「あっれ。おい、仕事始める前に確かにここにとうもろこしの粒を供えたよなぁ?」

 もう片方の青年が機関部に頭を入れる。

「あれぇ。確かにここに供えたんだけどな」

「ないの?」

「ないですねぇ」

「忘れたってことは?」

「いやぁ、そんなことしたらそれこそグレムリンに怒られちまう」

 すると床の上で飴を噛んでいたグレムリンが悪そうに「キシシ」と笑うとパチンコ玉みたいに駆け出してどこかへ消えてしまった。後には包み紙だけが残っていた。

「逃げたってことはきっとあの子、後ろ暗いことがあるんだわ。お供え物はお供え物でちゃんと食べたのね」

「お供えをしたのにグレムリンが悪戯をしたってことは……」

 娘がつぶやく。私はその言葉に被せた。

「『精霊使い』がいたってことかもね」

「『精霊使い』と言うと……」

 バグリーさんが髭を撫でつける。

「西クランフとタロールの北部に存在するという、特殊な魔法使いの一族……」

 私が答える。

「そうよ。中でも『家に住む妖精』の使役は歴史ある家系じゃないと無理だわ。間違いなく西クランフの人間よ」

「家に住む妖精」はそれこそグレムリンのような小さな妖精から、巨人のような大きな妖精まで、様々な系統の精霊を指す。これを使役しようとなると相当な魔力が必要になる。おそらく現存の魔蓄に収めきれないくらい膨大な魔力量だ。西クランフに伝わる「聖なる一族」じゃないと難しい気がする。首の後ろに嫌な脂汗が流れた。娘を見やる。それからバグリーさんをじろりとねめつける。

「この件、本当に大丈夫なんでしょうね」

 私の静かな問いに、バグリーさんは今ひとつ理解が及んでいないような顔をした。

「状況を把握できていないのですが、教えていただいてもよろしいでしょうか、レディ」

「グレムリンを使役して私たちの邪魔をしたとなると相当な実力者が噛んでいることになるわよ、この一件」

 氏が難しい顔になる。それからつぶやく。

「自惚れているようで恐縮ですが、私もそれなりにはございます、レディ」

「この場合のは政府の中での立ち位置を示しているのではないわ」

 私はバグリーさんの足下にすり寄る。彼は察したような顔になってしゃがみ込み、私の方に耳を寄せる。

「家柄的に由緒正しき、っていう意味よ。つまり王族か、その親族であってもおかしくないの。本当にこの一件に娘を関わらせて大丈夫なんでしょうね。暗殺なんて目に遭ったら笑えませんよ」

に対しては応えられます」バグリーさんは腰に携えた「騎士団長の証」に手を添えた。「娘さんとあなたは必ずお守りします。レディ」

「なら構いませんけど……」

 とつぶやいた途端、青年の一人が「やったぁ」と声を上げた。同時に鈍くて重い音がお腹の底に響く。

「ケネスさん、動きますぜ」

 油まみれの青年の言葉に満足したのか、あのいやらしい車掌さんがしてやったり顔で……この人は何もしてないくせに……告げる。

「出発いたします。乗客の皆さまは客室へ」

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