第27話 ヴェール

 遠い彼方から聞こえてくるようなか細い音を立てて列車が走り始めた。鉄道と聞いて想像できるような、魔蓄の動く音や車輪の軋む音なんかは一切しなかった。さすが最新鋭の、王室御用達の列車だ。

 バグリーさんが言っていたように、氷の上を滑るようにして速度が上がっていった。私は窓辺に座って流れていく景色を見つめた。駅を出てしばらくの内はランドンの近代的な街並みが見えていたが、それも一瞬のことで、列車はすぐに広大な農地の真ん中を突っ切っていった。緑の絨毯の間に点在する家々を見て思う。あの家に住んでいる人たちはきっと自由に、気ままに生きているのだろうな。少なくとも都会にいるような息苦しさは感じないに違いない。

 私が何とはなしにため息をついていると、私の後ろで座席に身を埋めていた娘も小さくため息をついた。私はつぶやく。

「ああいう田舎町の生活には憧れるわ。きっとのびのび暮らせるのでしょうね」

 すると娘が、今度は大きなため息をついて告げた。

「そんなことないと思うよ、お母さん。私、ああいう町を見ると心配になるの」

「あら、どうして?」娘の方を振り向きもせずに私は訊ね、そして続ける。

「機械や道具がなくても人間はたくましく生きられるものよ。都会の生活より気持ち的には豊かかもしれないわ」

「うん、でも、田舎町は人と人との距離が近い」

 意外な言葉だったので私は、今度は振り返って娘を見た。

「どういうこと?」

「田舎は人が少ないんだよ。だから人と人との物理的な距離は確かに広いかもしれない。そういう意味ではのびのびできるかもね。でも、人が少ないってことはお互いがお互いを正確に認識できるってことだよ。近所の目があるってこと。それも相互に強固に結びついた目が」

「なるほどね」

 しかし私は、娘が先程「心配になる」と言った理由を説明していないことに気づいた。だから指摘した。

「心配、というのは?」

「閉鎖的でしょ、田舎っていうのは」

 まぁ、そういう側面はあるかもしれない。

「そういうところで犯罪が起きたら? そしてそれを村人が全員で隠蔽しようとしたら? きっと、誰にも見られず気づかれずに葬られた事件がある。誰にも内緒でいなかったことにされた人間も、もしかしたらいる」

 娘の言っていることを理解した私は背中に冷たいものが流れるのを覚えた。しかし娘は続けた。

「辺境の地に行けば行くほどそういう危険性は高くなる。もしかしたら、西クランフの西端とか、東クランフの東端とか、タロールの南端とか、グリテンの北端、山に囲まれた港町や、絶海の孤島、丘の上の小さな村、もしくは森の中、そういうところで起きた事件は、誰にも気づかれず、揉み消されて……」

「やめましょう」

 グレアムくんだった。彼は静かに目を伏せていた。

「起きてもいないことを憂えてもいいことはありません」

「は、はいっ」

 娘が頬を染めて俯く。

「もっと明るいこと、楽しいことを考えてください」

 ふと目線を横に流すと、バグリーさんが右手でニヤニヤ顔を隠していた。もうっ、そういうところですよっ。しかしグレアムくんは構わず続ける。

「あなたは笑顔の方が素敵ですよ、レディ」

 騎士団直伝の女性への接し方が娘を完全にノックアウトさせるのと、バグリーさんがニヤニヤ顔を隠すべく咳払いをしたのとはほぼ同時だった。もう、二人ともしっかりして。これから大きな仕事があるんですよ。


 *


 やがて、列車は卵の殻のような楕円型のドームに入っていった。私の記憶の中にあるブッキンギャム宮殿前駅と違う。多分、改装されたんだわ。動く廊下に動く階段なんて私の頃はなかったもの。

 私はポシェットの姿になると娘の肩にぶら下がった。ケネス車掌が私たちの荷物を貨物室から降ろしてくれる。グレアムくんがそれらをカートに乗せ、ゆっくりと押しながら私たちの前を歩いてくれる。光の魔法を封じ込めたいくつもの魔蓄が、ぼんやりとした明かりで駅構内を照らしていた。さすが、というか、当然ながら、というか、宮殿前の駅だけあって照明の装飾も煌びやかだった。

 動く階段に乗って上階へ。バグリーさんがつぶやく。

「荷物は衛兵に部屋まで運ばせる。我々は早速調査に出る」

 バグリーさんは懐中時計を取り出した。不思議な文字盤をした時計で、どうも時刻を示しているものではないようだった。その証拠にやたらとたくさん針があって、それぞれに小さく文字が刻まれていた。十二時の方向に伸びた針に刻まれているのは……「ナ」「タ」「リ」「エ」……ナターリエ。

「東クランフの姫君、プリンセス・ナターリエが近くにいるようだ」

 と、バグリーさんの持っている懐中時計の文字盤が蓋同様持ち上がって、今度は複雑な歯車に囲まれた超小型のタイプライターのようなものが浮かび上がってきた。パチパチパチ、と打鍵される。懐中時計文字盤の裏、真っ白な布のようなものの上に打ち込まれた文字は「な」「か」「に」「わ」……中庭。

「探索魔法の魔蓄ね?」

 私がバグリーさんに訊ねると彼は「おっしゃる通り」と頷いた。

「おや……」と、バグリーさんが探索魔法の懐中時計を見る。タイプライターが閉じられ、今度はまたたくさん針が並んだ時計の文字盤が見えた。ぐるぐる針が回っている。

「プリンセス……マ……ナ……」

「どうかしまして?」

 バグリーさんは困ったように笑った。

「いえ、魔蓄の調子がおかしいようで。プリンセス・ナターリエと表示された針がぐるぐる回って、プリセンスマルレーヌが出てきたりプリンセス・アマンダが出てきたり……故障したのかもしれません」

「もう、きちんと整備してくださいな」

「いやはや、申し訳ない」

 バグリーさんは探索魔法の懐中時計をポケットにしまった。

「まぁ、中庭に行けばプリンセスがいることは間違いなかろう。グレアム。宮殿の中に入ってすぐ、衛兵が二人いるだろうから、うち一人に荷物を全て預けてくれ」

「承知しました」

「荷物を預け終わったらすぐに合流だ。銃の携帯許可はとってあるから忘れずに。何かあったら我々の命に代えてもレディを守るぞ」

「はっ」

「ではご婦人方。私について来てください」

 バグリーさんの案内で宮殿の中に入った。グレアムくんは早速衛兵一人に荷物のカートを預けると、二言三言会話し、そのまま私たちの後ろについて来てくれた。沈み込んでしまいそうなくらい柔らかい絨毯。壁の燭台で輝いているのは蝋燭……に見える火の魔蓄。近くを通った人間に反応するようにできているのだろう。私たちが近づくと火が大きくなり、廊下を明るく照らした。天井には複雑な模様……それも、寄木細工のような模様で、一方が引っ込んだりもう一方が張り出したりしている。宮殿全体が生きている、ように見える。

 足音が絨毯に吸収されるから、バグリーさんとグレアムくんの腰にある武器の音だけが響く。その音さえも何だか食事をする時の食器の音みたいでどこかかわいらしい。

 やがて外の明かりが差し込んでくる広い廊下に出ると、中庭と思しき噴水のある庭園が見えてきた。丁寧に刈り込まれた植木。噴水の脇を飾る花々。そしてその中に佇んでいたのが。

 純白の、線が細いドレスに身を包んでいる。

 スカート部分に施された装飾が見事だった。まるで彫刻のよう! 

 腰の辺りがきゅっとくびれて、胸の辺りでフレアが広がっていた。綺麗な首がその上に据わっていて、鎖骨の上に小さく煌めくネックレスがあった。

 そして、頭には茸のように大きな笠を被っていた。その笠から白くて美しい、レースのヴェールが下りていた。向こう側が透けそうなヴェールだったが、顔は全く見えない。かろうじて顎の輪郭が見える程度である。

「プリンセス」

 バグリーさんが代表して挨拶をする。

「此度の騒動を解決すべく、助手を連れてまいりました」

 いつの間に助手なんていう立場になったのかしら。

 そうは思いながらも黙ってご紹介にあずかる。バグリーさんは娘と、それから肩にかかっている私を丁寧に説明し、その後グレアムくんを紹介した。バグリーさんが跪いたので娘とグレアムくんも倣って跪く。首を垂れると、プリンセスが口を開いた。透き通るような、美しい声だった。多分、だけど、あのヴェールには魔蓄が使われている。女性の声を美しく引き立てるような、そんな魔蓄が。

「騎士団長バグリー様方。面を上げてください」

 三人が顔を上げると、プリンセスは満足したようにつぶやいた。

「私はマルレーヌ・セリーヌ・ノエミ・アスラン。万化王リシャールの子孫です」

「プリンセス・マルレーヌ」

 唐突に、娘が声を上げた。

 バグリーさんがびっくりしたような顔をしたが、しかし娘は続けた。高貴なる方に接するのにふさわしい、恭しい態度で……そう、一応教育はしておりますから……丁寧に。

「姫はセントクルス連合王国一の美貌をお持ちだとうかがっております。どうか、私めにその美貌を」

「なりません」

 プリンセス・マルレーヌはきっぱりと告げた。

「セントクルス連合国法により、王族が素顔を見せるのは私的関係のみと決まっております。そして王族は公務を行う身分。みだりに私的関係を結ぶことはできません」

「大変失礼いたしました」

 娘がすぐに引き下がる。バグリーさんが居心地悪そうにお尻を動かした。グレアムくんは黙って目を伏せていた。

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