第43話 脅迫状

「弊社の新作発表会がハイデンバーグ号で行われることは既にご存知かと思います」

 ルイス氏は娘に勧められた椅子に腰かけながら話し始めた。

「その発表会では、弊社社長の芸術作品も同時に発表する運びとなっておりまして」

 芸術作品。私と娘が顔を合わせるとルイス氏は「ああ、社長は被服の他に芸術活動にも意欲的でして」と小さく笑った。

「なかなかいいものですよ。よろしければぜひ、船内でご覧になってください。社長は新作を公開すると宣言しております」

 まぁ、それはさておき、と氏は続けた。

「百聞は一見に如かずと言いますので、こちらを見てもらうのが早いかと存じます」

 氏は胸ポケットから一枚の紙切れを取り出した。折りたたまれたそれを丁寧に広げてから、私たちの方に押しやってくる。

 デスクの上に広げられたそれを見て、私は大きく息を呑んだ。芋虫のようにのたうつ文字。筆記魔法の込められた魔蓄タイプでも使ったのだろう。紙に打たれた文字は本物の虫のようにもぞもぞと動いていた。しかしそれらはかろうじてこう読むことができた。


 覚えてろ

 お前の大事なものを壊してやる

 お前の何もかもを奪ってやる

 お前の人生を破壊してやる

 これは復讐だ


「脅迫状です」

 しかしルイス氏はけろっとして続けた。

「このところこの手の文書が何通も。弊社の警備により不審な郵便物は社長室に届く前に遮断されるようになっていますが、しかしその警備をすり抜けてこの手紙は届きます。然るに……」

「……社内に犯人がいる」

 娘が低い声でつぶやくと、ルイス氏は満足そうに「そのようです」と頷いた。

「依頼は単純です。弊社の内部を探ってこの脅迫状の犯人を捜してほしい」

 そして……と、ルイス氏は二枚目の紙を取り出した。そこにもやはり蠢く文字があった。


 飛行船

 お前の大事なものが

 乗っているらしいな


「犯人がハイデンバーグ号を狙う見込みは極めて高い」

 なので、どうか、とルイス氏は頭を下げた。これもやはり、東洋風に。

「来る発表会にて船内に潜入し、犯人を捕まえてください」

 すると娘はきっぱり返した。

「初めに言っておくと、私は荒っぽいことはできません。なので逮捕は難しいかと。そちらのグレアムくんの力を借りることになるかと思います」

 ルイス氏は丁寧に頷いた。

「問題ございません。彼もご招待いたします」

「もう二名、追加してもいいですか」

 娘は条件を出した。

「一人はこちらの母です。訳あって猫の姿をしておりますが、私の母なのです。部屋は一緒で構いません。ですが乗客リストには加えてほしいです」

「承知しました」

「もう一人は騎士団長のバグリー・ウィルバーフォース氏です。彼が本件を承諾するかはさておき、招待状を送っておいてください」

「承知しました」

 氏はまたも東洋風に頭を下げた。

「他にご注文はございませんでしょうか」

「送りつけられた脅迫状の写しをください」

「はい。乗船までにお手元に届くよう手配します」

「客室を除く船内の全室に入る権限をください。これは私以外の三名にもです」

 それはちょっと無茶な注文だろう、と私は思ったが、ルイス氏はあっさり頷くと「調査のためでございますね。もちろんでございます」と頷いた。

「調査に当たりムーツィオ氏に質問をすることがあります。そのことをご通達ください」

「当然でございます」

 娘はここで、はっきりと頷いた。

「でしたら、この依頼、受けたいと思います」



 その晩。グレアムくんが作ってくれた東クランフ風ローストビーフと、娘に作らせた西クランフ風ローストビーフとを味わいながら、私は訊ねた。娘とグレアムくんの手元には葡萄酒があった。二十歳を迎えたので二人とも飲酒ができるようになったのだ。

「今日の件、引き受けて大丈夫なんでしょうね。何だか嫌な予感がするわ」

「大丈夫です」

 グレアムくんがナイフとフォークを置いた。

「俺が守ります。何があっても」

「ついででいいから私も守ってくれるかしら」

 もちろんです、とグレアムくんは目を丸くした。

「お二人とも命に代えてお守りします」

「……冗談よ。私にはバグリーさんがいるわ。若いお二人は仲睦まじくやってくださいな」

「お母さん、やめてよ……」娘が頬を染め俯く。私は訊ねる。

「バグリーさんを巻き込んだのはそういうことでしょ? 二人で空の旅を楽しみたいから……」

「違うよ、お母さん」

 娘がきっぱりと告げた。そしてこの時、グレアムくんがちょっとだけ、そう、ほんのちょっとだけ寂しそうな顔をした。

「お母さんの嫌な予感、私も感じてる。あの脅迫状は攻撃性が高すぎる。誰が犯人か分からないけど、きっとひどいことを起こそうとしている」

「だからバグリーさんに守ってもらおうと?」

「グレアムくんを信用してない訳じゃないけど、守りの手は多い方がいいと判断したの。私たちを守る意味でも、乗客を守る意味でも」

 娘が肉を口に運ぶ。私はその横顔に告げる。

「そんなに危険な仕事なら引き受けなければいいじゃない」

「駄目だよ、お母さん」

 しかし娘は強い眼差しでテーブルの向こう、グレアムくんの方を見つめていた。

「私、大切な人ができた。ご存知の通り」

 今度はグレアムくんがあたふたする番だった。彼は目を伏せ頬を染めた。

「その人のいる世界をよくしたい。困ってる人を助けたい。私、心からそう思えるようになったの。だから、できることは何でもしたい」

 グレアムくん。娘は甘い目でグレアムくんを見た。私は自分の皿の前を離れて娘の傍に寄った。

「飲みすぎよ」

 尻尾で娘とグラスの間に壁を作る。娘がムッとした。

「飲みすぎてないもん」

「飲みすぎです」

「飲みすぎてない」

「あなた明日の朝後悔するわよ。男性の前でそんなにでれでれして、はしたない」

 途端に娘が「うう」と頬を染めた。お酒で染まっているのか、それとも感情で染まっているのか……。

「グレアムくん。娘を寝室まで送ってあげてくださいな」

 私の言葉に彼が弾かれたように立ち上がる。

「は、はいっ」

「私は居間でののんびりしてから行きます。テーブルは片付けておくわね」

 私が呪文を唱えると、テーブルの上にあった皿やグラスが宙を漂って台所へと運ばれていった。

 うう、と唸り続ける娘の手を引いて、グレアムくんが寝室の方に向かっていった。二人が去った後に私はため息をついた。

 いやねぇ。多分彼と空の旅ができることに舞い上がっているのだわ。嫌な予感がするだとか何だとか言いつつ、しっかり楽しめるところは楽しもうとしてるじゃない。

 私はテーブルの上を下りると居間の方に向かった。長椅子に寝そべり欠伸をする。猫の体になってよかったことと言えば、どこでもリラックスして眠れるということだ。丸くなれば熟睡できる。人間だとこうはいかない。

 さて、今夜はここで寝ようかしらね。

 私が天井に向かってふうっと息を吐くと、それに呼応して室内の明かりが細くなった。薄暗い室内で、私はため息をついた。

 アウレール、私も酔うとああだった? 

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