第17話 蠢く
「ちょっと前からメリィが大変なんです」
娘がメリィさんと目を合わせる。
「大変、と言うと?」
「ああ、それのことなら……」
と、メリィさんが笑い飛ばそうとしたのをダスティンさんが真剣な顔で止める。
「いえ、せっかく探偵さんが来てくれたんです。全部話しましょう。人形の件とも関係があるかもしれないし」
「いいえ、ないです」
「何のことですか?」
娘が訊くとメリィさんはうんざりしたように沈黙し、代わりにダスティンさんが話し始めた。
「メリィが死にかけたんです」
「死にかけた?」
娘は疑問符を書いたメモをちらりと見つめると、ダスティンさんに向かって静かに続けた。
「詳しく聞かせていただいても?」
「分かりました。私から言います」
メリィさんが重たい口を開く。
「水難事故です。ランドンのティムズ川を渡るのに小型船を使ったのですが動力の魔蓄が破裂して……」
あら。それってものによってはすごい事故にならない?
「船の所有者は?」
「私自身です」
「船をお持ちなんですか?」
「ええ、父が漁師で。春はテディートン水門の辺りで、冬はフリューリ・ヴェネジアの砂浜で漁をしてましたわ」
「お父様から受け継いだ船が壊れた」
「そうなりますね」
メリィさんは決まり悪そうに俯くと、「父の遺品の話なんてしたくなかった」とつぶやいた。家族の遺品って大事よね。娘も私の体を……帆布製のカバンを、毎晩すごく丁寧に拭いてくれるもの。私も母からもらったエプロンは大事にしてたわ。今は娘が使ってるけどね。
もしかしてメリィさんがウーゴさんの遺品に対して感度が高いのはそういう理由があるからかもしれない。死を実感した人間にしか分からないことってあるものね。
「その事故はいつのことでしょう?」
娘が訊くとダスティンさんが答えた。
「つい最近です。博物館中の人形を精査して、どこにも異常がないことを確認してすぐ……」
「もういいでしょう」
「よくない。僕はびっくりしたんだ。人形の呪いじゃないかって」
「そんなのあり得ないでしょ」
「僕は君を心配して……」
あらあら。
これももしかして、だけど。
ダスティンさんはメリィさんに気があるのかしらね。私たちの前でもこうだからプライベートではもっと熱烈にアプローチするんじゃないかしら。
娘もちょっと甘酸っぱい気配を感じたのだろう。照れくさそうに頭を掻くと、聴取を再開した。
「この際ですからまとめてお伺いしましょう。本件の前後で起きた不思議なこと、いつもと違うこと、何でもいいです。思いつくことがあったら話してください」
「ひとつだけ……」
挙手したのは博物館長のシンディさんだった。
「最近物音がするんです。本当に、この数日のことですが」
「物音」
娘がシンディさんに向き直る。
「立場上、最後まで職場に残ることもあるのです。先日もそうでした。そしたら異変が」
そう、前置きしてからシンディさんは続ける。
「誰もいないはずの大展示室から、物音がしたんです」
「どんな音ですか?」
「……人形の中には、関節を持つものがいくつかあるのですが、それが軋むような音、と申しますか。金属の擦れるような音、と言いますか……」
歯切れが悪い。
娘も多少じりじりしたのだろう。ちらりと壁にかかっていた時計を見ると、何故かグレアムくんに向かってこう告げた。
「百聞は一見に如かず、ですかね」
娘の視線に応えるかのように少年騎士が居住まいを正す。娘が続ける。
「この博物館に泊まることはできますか?」
*
「宿直は慣れてる」
夜。宿直室。近くの市場でチーズとパンを買ってきて簡単なサンドイッチを作るグレアムくんは、訳もなさそうにつぶやいた。
「まぁ、騎士団の宿直室の方がここよりマシだけど……」
はい、とサンドイッチを娘に。ご丁寧に私の分まである。
「女性の警備員が勤務する場所でよかったね」
ナイフでチーズを薄く切るグレアムくん。
「女子部屋があるかどうかで違うでしょ?」
娘はにこにこしている。私ちょっと心配だわ。男の子とこんな時間まで、しかも二人で。
「騎士団の名前を使って話をつけてきたよ。後でチャールズさんが、巡回に同行させてくれるって」
「ありがとう」
グレアムくんが自分のを作るのを待ってから、娘はサンドイッチを口にする。私も齧る。まぁ、美味しい。
「君はどうして探偵なんてやってるの?」
グレアムくんの唐突な問いに娘は答える。
「これしかできなさそうだったから」
「ふうん。そっか」
少し遠くを見るグレアムくん。窓の外の街灯を眺めているのだろうか。瞳が煌めいている。
「……俺もこれしかできないんだ」
沈黙が下りる。やがて遠くで時計塔が鳴った。夜中が近い。
国家警備員のチャールズさんは、「本当にこの人が警備なんてできるの?」というくらいぷっくりお腹の膨れた男性だった。部下である、外部委託警備員のラルスとジョエレさんは何だか不良少年みたいな男の子たちで、こっちにも好感は持てなかった。ああ、こんな人たちの中に娘がいるだなんて……。グレアムくんお願い。何かあったら守ってね。
「ラルス、ジョエレ。今日は外周警備をしろ。騎士団の方がいらしているから俺が大展示室の巡回をする。こちらのお嬢さんも連れて、だ」
「あいよ」
「わかりやした」
これでリスクが三分の一になった。まぁ、グレアムくんも男子だからリスクと言えばリスクだけど、相対的に……。
いいわ。何かあったら私が娘を守る。
そう決心して、私は猫の姿で娘の傍を歩いた。
チャールズさんが持つランプがゆらゆら揺れると、床に伸びた影も生き物みたいに揺れた。林立した展示台が複雑な迷路みたいに見える。
「おかしなことがあってから、ラルスもジョエレも一人で巡回に行けなくなっちまって」
チャールズさんが零す。
「警備員のくせに怖がりで。最近の若いのは……」
おそらく「なっとらん」と言いかけたのだろう。だがグレアムくんと娘を見て口を慎むことにしたらしい。
「ほれ、それが噂の『ラ・ミア』ですぜ」
チャールズさんの掲げるランプの、薄明りの先。
卵のようなシルエット。影が後ろの壁に大きく伸びて、まるで魔物の口のようだった。
しかしそれは美しい人形だった。
息を呑む、とはこういうことだろう。卵型の人形の表面。上等なスカーフのように幾何学的な模様が施されている。どういう素材で作っているのだろう。模様が施されていない部分は何だかゆで卵のようにつるんとした材質だった。見方を変えれば、白い宝石。真珠とは違う、光沢のある表面。一級品だった。これは美しい。娘も目を輝かせていた。
「今日も何もないですな」
しかし、チャールズさんがつまらなそうにつぶやく。グレアムくんも欠伸している。
「宿直室に帰りましょう。大体、私は呪い騒ぎ自体にやや懐疑的なんですよ。どうせ誰かがいたずらしたに決まってる……」
と、ぐちぐち零すチャールズさんに連れられて私たちは宿直室に戻った。女性用の宿泊室。小さな、そして寝心地の悪そうなベッドの上に、それこそ猫のように丸くなって娘は眠った。今夜もしっかり、私を磨いてくれた。
娘が寝た頃を見計らって、私は体を起こした。そっと娘の頭を嗅ぐ。寝ている。私はキスをすると、静かにベッドから離れた。
足音を忍ばせて大展示室へ向かう。
私は猫の目を持つ。夜目も利く。ランプの明かりがなくても暗闇の中を歩ける。
私は大展示室を散策するつもりだった。男だらけのあの場所で、娘は窮屈しているに違いない。私が情報を集めて、少しでも早くこの博物館から離れられるようにしてあげなければ。辛気臭い警備室の机より、事務所の机で考えた方がいいひらめきもあるに違いない。
それに。
ちょっとした楽しみもあった。あの「ラ・ミア」。さっきはランプの明かりの中で見たけれど、あれを暗闇の中で見たらどんな表情を見せてくれるのか。そんな期待があった。私は静かに大展示室を横切った。
ああ、やっぱり。
「ラ・ミア」は暗闇の中で見ても美しかった。白い体は闇に包まれてもなお白かった。輝きさえ放っているように見える。さっきはよく見えなかったが、卵の上の方に小さく顔が描かれていた。うふふ。何だかかわいらしい。神聖さの中にちょっとした愛らしさがあって、たまらなかった。いいなぁ、持って帰ることができるなら持って帰りたい。
……そう、思った時だった。
「また会えるなら夕暮れ時に」
声がした。しかしそれは「ラ・ミア」からではなかった。
「また会えるなら夕暮れ時に」
振り返る。噂の呪いだ。しかしこの程度では驚かない。私は魔女だ。
どれ。どれがしゃべってるの? 呪いの正体を突き止めようとする。しかし、直後。
「また会えるなら夕暮れ時に」
「また会えるなら夕暮れ時に」
「また会えるなら夕暮れ時に」
大展示室にあった人形が一斉にしゃべりだした。そして、そう、驚くことに。
ぎし、ぎし。
がたん、がたん。
全ての人形が、ではない。でも関節を持つ、可動的な人形たちが……。
一斉にガタガタと、動き出していたのだった。
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