第46話 番犬

 それから色んな部屋を見て回った。

 厨房、貨物室、休憩室、娯楽室、観覧室、喫茶室、併設バー、本当にたくさんの部屋を歩いて回った。そして私たちはいよいよ、この船の深部に辿り着いた。船内の端にひっそりと立てつけられた階段を下りていくと、そこは急に、素材を打ちっぱなしにしたような無機質な空間になっていた。

「乗組員船室の階になります」

 リリアーヌさんが小さく頭を下げた。

「本来は関係者以外立ち入り禁止ですが、ムーツィオの警護に当たっていただく皆様は特別に。こちらもお配りしたカードを使えば中に入れます」

 リリアーヌさんが静かに歩きながら左右に手を振る。

「右が男子部屋です。一号室から十七号室まであります。左が女子部屋です。一号室から二十二号室まで」

「女性の方が多いのですな」

 と、バグリーさんがつぶやくと、リリアーヌさんが丁寧に答えた。

「新作発表会スタッフの多くが女性乗務員ですので」

 廊下の右手側、男子部屋の並びの最後尾に見えたのはトイレだった。女子部屋はトイレの正面まで続き、そして、突き当りの廊下は左に折れていた。真っ直ぐ伸びた廊下の装飾は妙に凝っていて、この辺りだけ格式が違うことが分かった。左右に立派な構えの両開き戸が二つずつ、計四つ。そしてその廊下は大きな階段に繋がっていた。階上には何があるのだろう。

 リリアーヌさんが左右にある両開きのドアを示しながら説明した。

「重役用の執務室です。弊社の役員がおります。最新型の魔蓄を使用して船内でも、ひいては渡航先のカメリア合衆国からでもランドン本社の人間と仕事をすることが可能になっています」

 バグリーさんが満足そうに頷く。

「さすが、エルメーテですな」

 リリアーヌさんが静かに頭を下げた。

「ありがとうございます」

「リリアーヌさん」

 ふと、階段の上から声がした。一人の女性がゆっくりと、だがしっかりとした足取りで下りてきた。

「大広間の方の仕事が終わりました。これより私と交代し、リリアーヌさんが会場を取り仕切ってください」

 下りてきたのはコロンブさんだった。客室乗務員長。まとめ上げられた黒髪が美しい、コロンブ・オベールさん。

 リリアーヌさんは心得たように会釈した。

「残すは社長執務室のみです」

「承知しました」

「それでは、皆様。ここからはコロンブがご案内いたします。私はこれで」

 リリアーヌさんが静かに頭を下げた。それからコロンブさんにカードを手渡し去っていく。つかつかと歩く彼女はすぐに小さくなった。こうして遠目に見てみると、彼女すらっとした脚で素敵ね。エルメーテが客室乗務員に選ぶだけはあるわ。

 さて。私はコロンブさんの方を見やる。リリアーヌさんから手渡されたのと、自分自身のものを含め二枚のカードを手にした彼女。何だかカジノのディーラーみたいに見えるこの人も、線が細くてスタイルのいい、美しい女性だった。エルメーテの採用担当はいい仕事をするようね。

「皆様。社長執務室に向かうのに際し、注意点が一つございます」

 グレアムくんとバグリーさんがことりと首を傾げる。まぁまぁ、仕草まで似てきたのね。

「社長執務室周辺は最新型防犯機械犬『ピッチ』を導入しております」

「ははぁ」バグリーさんが嬉しそうな顔をする。

「あれですな。飼い主の顔を覚えて部外者に対して吠え、場合によっては攻撃するとかいう機械の番犬……」

「さようでございます」

 あれはすごいんだぞ、とバグリーさんがグレアムくんの肩を小突く。

「何でも鉄の塊を飴玉みたいに噛み砕く性能を持った犬らしい」

「機械犬はカードを持たない人間を攻撃するよう組まれています。社長執務室にお近づきになる際はカードを持っていることをしっかり確認してからにしてください」

「じゃ、お母さんも持っていた方がいいかも」

 娘が私の分も預かってくれていたカードを手渡してくる。面倒ねぇ。猫の姿だと咥える他なくなるんだけど……でもカバンの姿だと自由に部屋の中を見て回れないし……。

 仕方なく私はカードを咥えてふがふが言いながら歩くことにした。別にしゃべりたくなることもないだろうし、ね。

 そういうわけで、先程コロンブさんが下りてきた階段をみんなでゆっくり上っていくと、果たしてそこに機械犬がいた。一、二、三、四匹。ちょっとした狼くらいの大きさはある、耳と鼻が尖った四足歩行の魔蓄が床を嗅ぎ、目を光らせ、歩き回っていた。犬たちはすぐに私たちに気づいた。

「カードを持っていないとこうなります」

 と、コロンブさんが手にしていたカードを娘に手渡した。途端に機械犬たちが低い声で唸り始めた。

「犬たちは守りたい対象から不審者がどれくらいの距離にいるかに対応して態度を変えます。今、私たちは執務室からかなり離れたところにいるので機械犬たちは唸るだけです。ここから近づこうとすると犬たちも警戒度を高め、度を越えて近づくと吠え始めます。さらに乗組員カードを持っていない状態で執務室のドアに触れると噛みつく設定になっています。唸り声の段階では単なる警告ですが、吠える段階になると乗務員全員に『吠えた』ことが伝わる仕組みになっています。御覧の通り、乗組員室から社長執務室は非常に近いのと、『吠えた』信号を受信したら手の空いている者は真っ先に社長執務室に向かうよう指示を出していますので、不審者は逃げる間もなく機械犬と乗組員の挟み撃ちにあいます」

「確認なのですが」

 と、娘がメモ帳に「?」を書いた。

「このカードを持っている人間について整理させてください」

 コロンブさんが静かに答えた。

「乗組員カードですか? マスターカードですか?」

「まずはその二つの説明と、機械犬との関係から」

 コロンブさんが頷いた。

「乗組員カードはそれぞれ担当する業務区域に入る際に使う鍵でございます。担当区域以外に入ることはできず、当船の船員証としても機能します。機械犬はこの船員証を持たない人間は無条件で警戒します。ですが、この度の脅迫事件を受けまして社長執務室と重役執務室に関してはそれを使用する人間と私共客室乗務員班の人間以外は接近禁止となっています。よって船員証を持っていたとしても、執務室に近づくことができる人間は限られています」

 続いてマスターカードですが、とコロンブさんが続けた。

「客室と大広間を除きどこへでも入れます。客室を除いた理由はお客様の秘匿性保護のため、そして大広間を除いた理由は、新作発表会と今晩開かれるムーツィオの芸術作品展示会以降、あの部屋は施錠され他の目的では使用しないことになっているため、です。マスターカードを持っていれば機械犬は吠えません。無条件に警戒を解きます」

「マスターカードを持つことができる人間は誰ですか?」

 娘の問いにコロンブさんが答えた。

「実を言いますと、マスターカードは原則的に社長しか持てないことになっていました。船の運航に必要な部屋のカードは船長が、客室他お客様が利用する部屋のカードは私コロンブがそれぞれ持っていますが、当船内の一部を除き入ることができるマスターカードは原則的にムーツィオのみが持つ計画になっておりました」

「計画になっていた、と言うのは……」

 グレアムくんがつぶやくと、コロンブさんが目線を落とした。

「脅迫状の件について弊社のルイスがご依頼に伺った際、『船の全室に入る権限を』とのご用命だったので、急遽皆様の人数分カードを作成した次第でございます」

 なるほど。それじゃあこの船で本当に自由に振舞えるのは本来ならムーツィオさんだけだった、ってことね。

「私どもはご案内のためにあらかじめ持つことを許可されています。私とリリアーヌがそれぞれ一枚ずつ。ですがこの案内業務の後は速やかに返却することが決まっています」

「返却後のカードは誰が管理しますか?」

「原則的には私が」

「なるほど。だからさっきリリアーヌさんがコロンブさんにカードを渡したんですね」

 娘はメモ帳をしまった。

「社長執務室をご案内していただいてもよろしいでしょうか」

「はい、ただいま」

 コロンブさんが娘からカードを受け取り、静かに歩を進めた。彼女がカードを手に取ると、まるで魔法にかかったみたいに……実際魔蓄で動いているのだから魔法と言えば魔法なのだけれど……犬たちは静かになった。

 沈黙が降りた廊下を私たちは歩いた。

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