第45話 放棄する妖精たち

「盛大な宴を! ご来賓の皆様には格別の時間を楽しんでいただければと存じます!」

 ムーツィオ氏の大きな声で宴が始まった。機械給仕たちが酒や食事を運んでくる。とても空の上のパーティとは思えないくらい盛大で豪華だ。猫の姿をしている私の前にも皿がきちんと運ばれてくるあたり隅々まで配慮が行き届いている。来客の全てを把握していらっしゃるのだわ。

「食事が終わり次第……」

 バグリーさんが忙しなく食器を動かしながらつぶやいた。

「ムーツィオ氏に詳しい話を聞くとしよう。本件の……脅迫状について諸々、な」

「はい、バグリーおじさん」

 娘もおしとやかに食器を扱い料理を口に運ぶ。まぁまぁ、昔はお皿をひっくり返していたおてんば娘が立派なレディになったこと。嬉しいわ。

 食事はとても美味しかった。おそらくだが西クランフ風。野菜に使う調味料は塩とオイルだけ。肉のソースにはその肉から出た汁を使う。素材の味を堪能する料理だ。労働者向けの簡素で手っ取り早い食事が主流のグリテン地域の人や、保存食や加工肉をよく食べる東クランフの人からしたら歯痒い料理でしょうけど、私はこういうゆったりとした食事、好きだわ。タロール地方でもこういう料理が出るらしいけど、あっちは断然海鮮が多いのよね。私、魚はちょっと。

「お酒は控えなさい」

 私は娘を一瞥してから嗜める。

「飲まないよ。お仕事中だよ」

 娘がむくれるのを見た私は、そっと娘の耳元に口を寄せてつぶやき返した。

「部屋に帰ってからもよ。二人きりの部屋でこの間みたいに酔いつぶれたらどうなっても知らないから」

「ふた、ふた……!」娘が慌てふためく。

「私は本当にバグリーさんの部屋に行こうかしらね」

 と、私の言葉を聞いたバグリーさんが嬉しそうに「おお、おお」と唸ってグレアムくんの肩をばしりと叩いた。

「お前もやったなぁ!」

 男の人ってこういう時ちょっと下品よね。

 さて、そんな食事が終わると私たち一行はムーツィオ氏の元へ行くこととなった。氏はステージ近くの立ちテーブルで一人グラスを傾けていた。

「失礼、ムーツィオさん」

 バグリーさんが声をかける。

「おや、これは騎士団長様。お越しいただきありがとうございます」

 ムーツィオ氏は丁寧に頭を下げた。バグリーさんは静かに一礼を返すとこう続けた。

「私どもといたしましては、一度本件についてより具体的な話をあなた様の口から聞かせていただければと思っているのですが……」

 ムーツィオ氏は頷いた。

「ええ、構いませんよ。しかし私はまだこの会場を取り仕切らなければ……お食事は?」

「もう済ませました」

「ご満足いただけましたかな」

「とても」

「でしたら警備の仕事をやりやすくするために飛行船内を散策しておいてもらいましょうかな。客室乗務員長のコロンブは私の補佐をやってもらうとして……おおい、リリアーヌ!」

 ムーツィオ氏に呼び止められたのは、先程私たちに紹介された客室乗務員副長のリリアーヌ・ルルーさんだった。金髪のカールがふわっと揺れる。

「こちらの御一行に船内をご案内して。至るところだ。どの船室にも入れるよう、マスターカードもお配りして」

「承知いたしました。皆様こちらへ」

 と、リリアーヌさんに導かれるままに大広間を出る。人気のなくなったメインの廊下を通るとリリアーヌさんはどんどん船の先頭を目指して進んでいった。私たちの目の前で、形のいい制服のお尻がふりふり揺れた。

 やがて私たちは何やら分厚い鉄の扉の前に通された。頑丈かつ堅牢そうなドア。脇には非常時にドアを破るためのものだろう。小型のハンマーが設置されていた。この部屋が重要そうなのは見れば分かった。

「当船は客室と大広間以外の重要な部屋の管理をカード型の鍵を用いて行っております。こちらの操舵室に入るのにもこのようなカードが必要です」

 と、リリアーヌさんが胸のポケットからトランプよりも小さいかわいらしいカードを取り出した。ドアの横にあったポケットに差し込む。かちりと音がして、頑丈なドアから何かが抜けた気がした。

 リリアーヌさんがドアに手をかけた。女性の細腕に開けられるのかしら……と思ったけれど、ドアは意外にもあっさり開いて私たちを通した。中に入ると数名の男性が、おそらく魔蓄を扱うためのものだろう、様々なボタンのついた操作盤を前にあれこれ話していた。

「皆様にもこちらのカードを。当船のマスターカードでございます。客室と大広間以外の部屋はどこへでも入れます。ムーツィオの執務室にもです」

 と、リリアーヌさんが先程のと同じ小さくてかわいらしいカードを私たちに一枚ずつ、手渡してきた……私は猫の姿なので娘に二枚受け取ってもらった。

「おや」

 私たちが受け取ったカードを裏返したり透かしたりして眺めていると、部屋の奥から声がした。

「リリアーヌ。どうしてここへ?」

「ムーツィオさんに頼まれて騎士団の皆さんをご案内に」

「ははぁ、なるほど」

 そうして姿を現したのは、やっぱりさっき紹介してもらったこの船の船長、マクシミリアン・ユーバシャールさんだった。立派な帽子に浅黒い肌。彫刻で削られたみたいに彫の深い顔……大陸中東部にありそうな顔ね。もしかしたらグレアムくんと同じように国境周辺の方なのかしら。

 彼の手にはおそらく航海日誌と思しき分厚いノートが一冊あった。ちらりと見えた一面には、彫り込んだように濃い字がびっしりと書かれていた。彼はそれを閉じると部屋の中を示してきた。

「当船の操舵室です。船の魔蓄はほぼすべてこちらで操作します。空調系の魔蓄や通信系の魔蓄は乗務員室で管理していますが、運航に関わる魔蓄の管理は動力の供給から出力の大きさまで、一切がここで」

 ごほん、とマクシミリアンさんは咳をした。

「もっとも当室で行えるのは間接的な管理です。操作盤やボタンを通じた運用ですかね。この部屋から少し離れたところにある機関室ではより直接的に魔蓄を操作していますよ。そちらも一度行かれてみては? グレムリンが仕事をしておりますよ」

 まぁ、グレムリンが仕事を! 

「機関室では機関士や整備士の他にも『精霊使い』の人間が働いていますからね。タロールに伝わる由緒正しい家系の者です。彼らが使役する妖精にも働いてもらっているのですよ」

「次はそちらにご案内しましょうか」

 リリアーヌさんが笑顔を見せる。娘がしっかりと頷いた。

「では皆さん、こちらへ」

 彼女に導かれるままに私たちは迷路のような船内の廊下を歩いていき、そして再び厚い扉の前に連れてこられた。どうやらここが機関室らしい。

「あっ、こらっ、待てったら!」

 ドアの向こうからそんな声が微かに聞こえた。私たちが首を傾げていると、リリアーヌさんがこほんと小さな咳をして「大丈夫ですか?」とドア越しに訊ねた。すぐに向こうから声がした。

「あ、今は開けないで! 離陸するなりグレムリンが職務放棄をし始めて……今事態の収拾中です!」

「運航に問題はないのですか?」

 リリアーヌさんが緊迫した声で訊くとドアの向こうの声はのんびりと、「多分こいつらお腹が空いてるだけなんで大丈夫です! 魔蓄は安定的に動いていますし、機関士も整備士もいます!」と返してきた。リリアーヌさんは小さくため息をつくとこちらに向き直った。

「お見苦しいところを失礼しました。機関室には入れないようなので他の部屋に……」

 と、彼女はまたお尻を揺らして歩き出した。私は彼女に従って数歩進んでから、そっと振り返って機関室のドアを見た。

 精霊使いがいるのに、グレムリンが仕事を放棄し始めている……。嫌な予感がした。悪戯好きとはいえ勤勉なグレムリンが、一度手にした仕事を放棄するだなんて、なかなかないことだった。

 誰か、いるんだ。

 私はそう思った。

 ……誰かがこの船の魔蓄を、ひいてはこの船自体を粗雑に扱おうとしている。グレムリンはそれを感じ取っているのだわ。

 そうとしか考えられなかった。機械好きなグレムリンが機械を直すのでも運用するのでも壊すのでもなく「放棄」したがるのはよほどの事態だ。

 背筋に何かがぴとりと落ちた。それは心の底まで凍えるような、誰かの冷たい悪意だった。

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