第3話 契約について
娘がちらっとこちらを見る。まぁ、私に反応を求められても困るところなのだが、ひとまず曖昧に頷いておく。
「どうぞ……」
一旦椅子を勧める方向にしたらしい。私は来客用の椅子に腰かけた女の子をじっと見つめた。人を観察するのは猫の基本だ。
先程流行遅れだと言ったが前言撤回。指輪、ネックレス、靴、鞄、そういうものは流行のものを取り入れている。おそらくだが高値になるドレスは使い回しで、他は最低限流行に乗る方針なのだろう。
私が思うに、年頃の娘にはそれなりにしっかりした格好をさせた方がいい。「しっかりする」には二通り考え方があって、ひとつは流行のものを買い与えること、もうひとつはオーダーメイドの一品物を買い与えること。見たところこのソーウェル家のご令嬢はどちらにも属していなさそうだが、どういう方針でいらっしゃるのだろう。
エノーラ嬢は椅子に座って一息つくなり、やや不躾な目線を娘の帽子に送った。すると娘が困ったような顔をして鍵のブローチを弄った。やめなさい。人前で大切なものを触るのは。
「ひとまずお話をうかがいましょうか」
娘が笑うとエノーラ嬢が要件を思い出したように口を開いた。
「あっ、あのっ、機械屋敷なんですが!」
エノーラ嬢は勢いよく話し始める。
「呪われてるんです。『血の薔薇』の夜、儀式を行えなかったばっかりに……」
「ちょっとちょっと」
娘が手でエノーラさんを制する。
「順序だててうかがいましょう」
娘が机の引き出しからメモ帳と鉛筆を取り出す。あれも私が買い与えたもの。特別なもの。
娘は鉛筆でメモ帳に大きく疑問符を書いた。するとそれを合図にしたかのように鉛筆の、消しゴムがついたお尻がぐいっと持ち上がる。
「まず、『呪い』というのは? 察するに何か不利益を被るようですが」
娘が問うとエノーラさんが答える。
「三年に一度の儀式を行えなかった償いとしての呪いですわ」
鉛筆の頭がすらすらと動く。だがメモ帳に文字は綴られない。あれは宙を引っかいている。
「三年に一度、決められた日の夜に儀式をしないと様々な怪異が家に起こってしまうのです」
エノーラさんは自分を落ち着かせるようにパタパタと顔を扇いだ。
「はぁ」娘がため息交じりの相槌を打つ。
「今、私共ソーウェル家はあの屋敷を離れた身でございますわ。私の家は先祖代々魔法のカードを売っている家系でしたが、魔蓄の発展と共に家業が廃れまして、やむなくあの家を手放すことになったのです」
ははぁ。今度は私がため息をつく番だった。魔法のカード。占いなどに使われる術だ。札に魔法を閉じ込めてそれを使役することで何かしらの結果を得る、いわゆる「運搬できる」魔法のことだが確かに魔蓄の影響を一番受けるだろう。カードでできるようなことは全て魔蓄でできる。しかもカードを扱うには最低限、カードに封じられた魔法の封を切る程度の素養が必要だが、魔蓄は下手すれば幼子でも扱える。
エノーラさんが続ける。
「家のごたごたで家族全員儀式のことを失念していたのです。もう月の妖精との約束の日、『血の薔薇』の夜から半年も過ぎていますわ。私共『儀式』のことをスキナーさんに伝え忘れていたのです。そして『呪い』はまず屋敷の当主に出るそうですから、今のままだと……」
娘がいきなり手を動かしてメモ帳に感嘆符を書く。すると再び娘の手から離れた鉛筆がすらすらとメモの表面に文字を綴る。
「『血の薔薇』の夜は二回出てきた単語ですね。よろしければご説明いただいても?」
鉛筆がメモに文字を記す間、娘はエノーラさんにそう訊ねる。
「ええ、ええ、『血の薔薇』の夜は、月が真っ赤に染まる夜のことでございます」
娘が首を傾げてつぶやく。
「……実は月って毎夜赤くなったり青くなったりしてるんだけどな」
「あら、どうかいたしまして?」
「いえ。とにかく、決まった時期に決まったことをしないといけないのですね」
と、話している間に鉛筆がメモの表面に字を綴り終えた。私は娘の手元を見る。
〈スキナー氏:半年前より不調を訴え。ソーウェル嬢:半年前に期限が過ぎたと訴え〉
あの鉛筆とメモは「?」を書くとその場に出てきた情報を吸収し始める。「!」を書くと、持ち主である娘の記憶と「?」の際に吸収した情報との整合点をメモの表面に書き出してくれる。
「とにかく、お願いです」
もうこんなことをしている時間はないのだ、と言わんばかりにエノーラ嬢が立ち上がった。
「スキナーさんを助けて差し上げて! そうじゃないとあの方、呪いにかかってしまいます。スキナーさんはお金に困っている私たちにお恵みをくださいました。ええ、ハッキリ言って、スキナーさんにご援助いただかなければ私共の家はその晩食べるものにも困っているような有様でしたから」
「でも、今はそれなりに流行の小物は買えていますよね? 服は大事に着られるようですが」
さすが我が娘。私と同じ目線で物を見ている。
するとエノーラ嬢がハッキリと頬を赤らめた。しかし娘が話を飛ばすかのように速い目配せを送る。
「今のソーウェル家はそんなに貧しくはないんでしょう?」
「……ええ、魔蓄で家業を失った当家ですが、魔蓄に助けられまして」
「と言うと?」
「それまではカードに閉じ込めていた魔法を、魔蓄に閉じ込めればいいということに父が気づいたのです。もっとも気づいた頃には空の魔蓄を買うだけのお金もなくて、どうしようもなかったのですが、スキナーさんのおかげで……」
なるほど。
私が納得していると、娘は再びメモに「?」を書いた。
「スキナーさんとソーウェルさんの家で屋敷の売買を行ったということですか?」
「はい。瑕疵保険付き二年の冷却期間付きで売りました。つまり屋敷に何か問題があった場合、スキナーさんは契約時から二年の期間内なら私共ソーウェル家に屋敷の値段に二割乗った金額を請求することができるという契約です。その契約自体はすらすらと進んだそうですが、ご存知の通りスキナーさんはあの屋敷を大胆に改造されましたので、二年の冷却期間を一年に縮める交渉を父がしていたのです。結果、瑕疵保険の金額を少し上乗せして結び直すことで合意となりました。具体的にはスキナー家が機械屋敷に不満を感じ、それが客観的に証明できる内容だった場合、スキナー家はソーウェル家から屋敷の値段の四割を上乗せした金額を受け取る取り決めになっております」
「冷却期間が一年になる代わりに屋敷に何か問題が起きたらソーウェル家が屋敷を高値で買い戻す?」
損な取引ね、と思ったが、売買の契約時点から一年だとすれば、契約を結び直した時期によっては、多少はソーウェル家に有利な契約なの、かも?
「屋敷の売買契約自体はいつ結ばれましたか?」
「一年前です」
あら。なら損な取引をしたのね。
「つまりそろそろ冷却期間が終わるんですね?」娘が難しい顔をする。
「ええ」
「なのに『瑕疵』にあたりそうな呪いの一件を思い出してご家族で焦っていらっしゃる」
エノーラ嬢は怒ったように顔を赤らめた。
「第三者から見るとそうなのかもしれません。ですが私は純粋な親切心からスキナーさんを心配しています」
「でしたら、こうしましょう」
娘が提案する。にこっと笑ってはいるが、その実狐のように狡猾な笑み。そういうところもかわいらしい、のだが。
「私と一緒に、機械屋敷へ行きませんか?」
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