侯爵邸の舞踏会②
「伯母上からの頼まれごとに少々手を取られてはいますが、仕事のほうは相変わらずです」
それだけで何を言いたいか分かったようだ。侯爵は眉をひそめた。途端に鬼神と呼ばれる元帥の顔になる。
「チャールズの息子のことだろう。気丈に振る舞ってはいたが、彼も参っていたよ。レディ・バークリーからすればお前は頼りがいのある甥だから、何かと息子の世話を頼みたくもなるのだろうが……アレク、お前まで巻き込まれているんじゃないだろうな」
ドミニクの父親で宰相のバークリー公爵チャールズ・マクスウェルのことを指して言う。宰相と元帥という役職の違いこそあれ、王に仕え国を護る立場は同じだ。チャールズは信頼できる男だが、だからといって親友の息子を使い勝手のいい子守りのように扱われているのを見過ごすことはできない。威圧を隠そうともしない元帥から眼光鋭く見据えられ、アレクシスは苦笑した。
「いえ、ご心配には及びません。ドミニクも反省しているようですし、しばらくはうちで仕事をさせることにしています」
「それは、あなたとジュリアナが引き取ったという子供の家庭教師ね」
ひそひそと囁き合う男二人の真後ろから、そっと近寄っていたレディ・メルボーンが口を挟む。アレクシスはごく僅かに目を細めて女主人を見返した。
「……どこでその話を」
「あなたの妹からに決まっているじゃない。つい昨日もジュリアナはうちにお茶を飲みにきていたのよ。その可愛らしい子を連れていらっしゃいと言ったのに、あなたが外出を許さないから駄目だって言われたわ。うちの娘の遊び相手にどうかと思ったのにそれでも駄目なんですって? アレクシスったらいつからそんなに心配性になったの? いつも護衛をばっちりつけている孤児院の慰問くらいならいいだろうにって、ジュリアナは嘆いていたわよ」
メルボーン侯爵家には娘が二人いる。夫と年の離れた妻との間に誕生したその娘たちのうち、末っ子のほうは十歳とまだ幼い。ヴィクターをその娘の遊び相手にさせようということだろう。アレクシスはにっこりと微笑みながら心の中で舌打ちをした。
ジュリアナのやつ、一体どういう了見でレディ・メルボーンにそんなことを話したんだ。
ついうっかり、などということはあの妹に限ってありえない。
ジュリアナは元気な子供が家に閉じこもっているのは――ハリントン男爵家の関係者以外と顔を合わせる機会がないのは不自然だと、いつもそう主張していた。だがアレクシスが頑として首を縦に振らないものだから、あえてメルボーン侯爵邸を訪問しその話を持ち出したのだ。
そうすれば夫人の求めに応じて外出の許可を出すかもしれないと踏んだのだろう。そして侯爵邸を皮切りに、物見遊山よろしくあちこち連れ出そうと企んでいるに違いない。そう、レディ・メルボーンが口にした孤児院などにも。
シエルハーンの王族である二人の安全を確保するため、アレクシスは極力外部との接触を断とうとしていた。孤児院のように来訪者を拒むことのできない場所など言語道断だ。教会もしかりだが、人間の基本的な善性を信じるうえで成り立つ場所に二人を連れていくことなど、アレクシスは絶対に許すつもりはなかった。
もちろんアレクシスが望めば十分な警護を施すことは可能だ。しかし、孤児院にしても教会にしても、身分や性別を問わず門戸を開いている場所の周りを男が、しかも武装した男たちがぐるりと取り囲んだらどうなる。その異様な光景はたちまち噂になり、どんな要人が訪問しているのかと人々の興味を惹くに違いない。どこから情報が漏れるか分からないのだ。
思うさま着飾らせてやりたいのを我慢して、お仕着せでお茶を濁しながら、多くの招待客に紛れさせることすら耐えがたいというのに。
アレクシスが明日にでも妹と話し合うことを決めた時、レディ・メルボーンの呟きが耳に入った。
「そういえば、引き取った子供のうち上の子は……」
「いけない! 私のせいで他の方々が挨拶できないでいますね。では失礼いたします。今日は楽しませていただきますよ」
侯爵夫人が従者に気づかないうちにと、アレクシスは強引に話を打ち切った。ジュリアナに似て世話好きな彼女の愛情は、母を亡くした隣家の兄妹にまで及んでいる。有難いことではあるが、こんな時はその厚意がやや煩わしい。
「元帥閣下」
自分の陰になるようさりげなくクラリスを隠していたアレクシスは侯爵に声をかけた。
「どうした」
「ニコラス・グリーンハウ=スミスを見かけたら教えていただけませんか」
意外だったのか、驚いた顔をした侯爵は足をとめた。
「ウィンシャムの次男坊ならもう来ていたぞ。確か、シガールームに行くと言っていたはずだ」
「ありがとうございます。彼とも久しぶりですので、挨拶をしておかなくては」
「アレク。お前たちの経緯は耳にしているが――」
片眉を持ち上げながらにやりと笑う。
「
そう言いおいて、侯爵は妻の腰を抱き寄せながら次の客を迎えにいった。
「いいか。ここから動いてはいけないぞ」
戸惑うクラリスは、曖昧な笑顔を浮かべながら首を傾げた。会場の隅に置かれた椅子に座るよう命じられたのだが、辺りを見回しても招待客の従者が腰掛けている様子はない。アレクシスは給仕からグラスを受け取ると、有無を言わさずクラリスにそれを握らせた。
「君の言いたいことは分かっている。できるだけ早く済ませるつもりだが、何時に戻ると約束はできないんだ。その間ずっと立たせておくわけにはいかないから、とりあえずここに座っていてくれ。いいか、誰に声をかけられたとしても返事をする必要はないし、侯爵家の護衛がすぐ側にいるからいきなり攫われるようなことはない。とにかく、俺が戻るまでじっとしていること。いいな?」
クラリスは仕方なく頷いた。確かにこの場所なら目立たず、しかも物陰もないから危険はない。壁際にずらりと並んだ椅子のひとつにちょこんと腰掛けたクラリスを気づかわしげに見たアレクシスは、すぐ近くに立つ騎士服の男性に何事かささやいてからその場を立ち去った。
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