クーパー商会の裏の顔

 ブランドンは血走った目を客に向けた。

 新しい商品。裏の商売で取り扱う商品のことだ。

 自分の予想が当たったというのに、ブランドンは得意になる元気もなかった。


「……では、準備してまいります。しばらくお時間をいただけますか」


 ちょうどいいところで用心棒――禿頭の金壺眼――がワゴンにワインセットを乗せてやってきた。ちなみに、裏稼業で使うこの部屋に出入りするのは男だけだ。違法性の高い商品を取り扱う場所に女性の使用人がいると、高揚ハイになった客からちょっかいを出される恐れがあり、それを避けるための措置だった。冷血漢として名高いブランドンだが、従業員からの評判は意外にも悪くない。


「時間? どれくらい待てばいいんだ」

「そうですね……最短でも一時間程度は。お客様の前にお出しするにも支度が必要ですので、酒でも飲みながらお待ちください。なあに、赤は抜栓してから時間を置いたほうがいいでしょうが、発泡ワインはすぐにお飲みいただけます。当たり年の――」

「駄目だ」


 鞭のような鋭さでミスター・Aが遮った。


「今すぐ連れてきてくれ」

「しかし、支度が」

「支度などどうでもいい。ブランドン、だ」

 

 短い時間ではあるが、ブランドンはこの客が決して意見を変えないことを嫌というほど思い知らされていた。深い深いため息をつき、まだ部屋にいた用心棒に指示を出す。


「後悔なさっても知りませんよ」

「後悔などするものか」


 もはや抵抗する気にもなれないブランドンの指示のとおり、商品はすぐにやってきた。

 表の商いでは決して使われない秘密の部屋の奧、一番の出物を客が品定めするために設えた舞台の上に、上手から二人の少年が連れ出される。

 ミスター・Aの青い瞳が大きく見開かれた。


 ひと目で血縁があると分かる、小作りの整った顔がよく似た二人だった。

 シャツは変色し髪はもつれ、顔色が分からないほど汚れているところを見れば、おそらくここ数週間は路上で生活していたのだろう。

 兄の方は十五、六歳といったところか。汚れすぎて判別が難しいが、プラチナブロンドらしき髪は肩につく長さのざんばらで、大きな瞳は淡い菫色だ。人形めいた雰囲気があるのは、華奢で顔が小さいからかもしれない。

 もう一人はまだ十にもなっていないだろう。兄と同じ髪と瞳の色。髪だけはもっと短く、形よい頭の周りをくるくるとした巻き毛が覆っているが、汚れ具合は似たようなものだ。怯えた顔をしてしがみつくのを、兄が庇うようにしてしっかりと抱きかかえていた。

 うす汚れてはいるものの、おそらく二人とも生まれは悪くない。どことなく漂う気品と、菫色の瞳に宿る知性からもそれは明らかだった。


「ご覧のとおり大変美しい兄弟です。今はこんなですが、風呂に入れて磨き立てればその筋の趣味のお方にとって、二度とないような出物であることは間違いありません」


 まじろぎもしない客の前で、ブランドンはすらすらと説明する。これこそクーパー商会の裏の顔、ブランドンが扱う違法取引の中で最も人気があり、最も利潤の大きな商売――人身売買だった。

 世の中には驚くような理由で、秘密裡に人を買いたいと願う者たちがいる。客の要求は様々だ。大人。子供。女、男。逞しい男。気の強い女。女のような男。男のような女。経験豊富な者。純真無垢な者。

 実際、長くこの商売をしているブランドンでさえ、未だに耳を疑うような注文を受けることがある。

 眼鏡をかけた生真面目で固い職業に就く細身の男が、筋骨隆々とした男を責める。騎士団で剣を振るう貴族が、鞭を振るう女に跪く。胸糞の悪いことに、子供を玩具にする大人も珍しくはない。


 そんな客を何人もこの部屋へ案内し、こうやって商品と対面させてきた。どの客も平静を装いながら一様に目をぎらつかせ、興奮で鼻腔を膨らませるものだ。人の欲望には果てがないと感じるのはそんな時だった。


 ミスター・Aがどんな商品を求めているのかは知らないが、薄汚れた兄弟を見る眼差しは食い入るようだ。それはそうだろう、国法で禁じられている人身売買の、入荷したばかりの商品を所望したほどの客なのだ。このとんでもない客だって、自分の欲を具現化して目の前に捧げられたら今までのような態度は取れなくなるだろう。


 舞台の上で抱き合う兄弟を、客は黙ったまま見下ろしている。

 と、その距離が急に縮まった。


「み、ミスター! そんなところに膝をついてはいけません! お召し物が汚れてしまいます」


 ミスター・Aは絨毯に片膝をつき、商品を検分するように顔を近づけている。震える兄弟は互いを抱く腕を強めたが、兄のほうは細い首を巡らせ、客を正面から見返した。

 客と、商品の視線が交わる。

 チリッ……と空気が緊迫し、ミスター・Aはぐいと身を乗り出した。


 ――……どういうことだ、これは……


 ブランドンは思わず目を疑い、無意識の仕草で鳥肌の立った腕をさする。なぜなら汚れ切った孤児にすぎないはずの兄がスッと背筋を伸ばした途端、ありえないほどの気品があふれ、あたかも高貴な人を前にしたような緊張を感じたからだ。


「ふむ」


 嘆息と間違えるほどかすかな客の声にハッとして、ブランドンは心の中で己の横っ面を張った。

 接客中に気を散らすなど言語道断。十三で奉公に出てからというもの、抜きんでた商才を活かしてキャリアを積み重ねてきた自分らしくない失態だ。恥じ入るブランドンはひそかに深呼吸をし、おずおずと客に視線を戻す。


 ミスター・Aの目に、生々しい欲望が宿るのを間近で見たくない。これほど自分を苛立たせ、得意にさせた挙句死ぬような思いをさせた客が、そこらの男どもと同じ反応を示すのかと思えば残念な気持ちになる。


 この特別な客には、最後まで超然としていてほしい。

 そんな子供じみた願望をねじ伏せながら、それでもどこか期待しつつ、ブランドンはミスター・Aの横顔をそっと窺った。

 

 恐ろしいほど真剣な表情で兄弟を見据えていた客は、上着の内ポケットからハンカチを取り出し、手首を軽くひねってそれを広げた。きっちりとアイロンをかけられた正方形の布は、上質なものではあるが刺繍すらない質素なものだ。絹とレースを多用した華やかなものを予想していたブランドンは意外に思いながら、ハンカチから漂ってくる香水の匂いに鼻をひくつかせた。

 嗅いだことのない、すばらしく爽やかで官能的、そしてどことなく苦みのある男らしい香り。

 おそらく、お抱えの調香師の手によるものだろう。しかもどうせ龍涎香アンバーグリスだの伽羅アガーウッドだの、とんでもなく高価な原料を使っているに違いない。


 染みひとつないそのハンカチを何に使うのかと不思議に思っていたブランドンは、客の視線を追って納得した。

 兄の顔の汚れが特に酷い。きっと、それを拭ってやろうとしているのだ。

 ミスター・Aの顔は真剣で、仮面の奧の瞳に欲望など欠片も見当たらない。ブランドンの胸に感動が込み上げた。


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