過去の因縁③

 それから先のことは思い出したくもない。


 野心的なその女――ソフィア・パラコート子爵令嬢は公爵家子息とはいえ二男にすぎないベンジャミンではなく、歴史は浅く爵位は低くとも事業で大成功を収めた男爵家の一人息子に狙いを変えた。おまけに新しい標的ターゲットは震えがくるほどいい男ときている。ベンジャミンへの未練などあろうはずもない。


「当時は俺も若く人を見る目もなかったせいで、グリーンハウ=スミスのことはただの同窓生としか思っていなかった。彼の無礼な態度も気にならなかったし、ソフィア・パラコートに至っては顔の周りを飛び回る小蠅ほどにも関心を持っていなかったんだ」


 親しいとは言えなくとも、寄宿学園の同窓であれば繋がりは生涯続く。早い時期から父の仕事を手伝ってきたアレクシスは、貴族院議長を父に持つベンジャミンとの関係悪化がハリントンの事業に悪影響を及ぼすことを懸念し、可能な限り穏便に事を処理しようと考えた。

 しかしソフィア・パラコートは狡猾だった。アレクシスにしつこくつきまとう一方で、ベンジャミンには「公爵家子息のあなたと私は身分が違いすぎるわ。愛しているからこそ別れなくてはならないの」などと告げて、箱入りの公爵子息をいともたやすく手玉に取った。

 ソフィアの男性遍歴からすれば、まさに赤子の手をひねるより簡単だったろう。彼女からのしつこいつきまといと、ベンジャミンによる度重なる威嚇と警告にアレクシスがようやく危機感を抱いた時には、ベンジャミンは既に抜き差しならないほど深くソフィアの術中にはまっていたのだ。


「ソフィア・パラコートの誤算は、俺が決して彼女に触れようとしなかったことだ。俺は終始礼儀正しく距離を取り続け、絶対に隙を作らなかった。どんな手を使おうと俺が靡かないことを悟り、とうとう諦めた彼女はグリーンハウ=スミスの元に戻ろうとしたが、それにはあからさまに俺を追いかけていたことを誤魔化す必要があった」


 ドミニクは苦々しく説明する従兄を気の毒そうに見た。


「誤魔化すために、アレクのことを悪く言ったんだね」

「ああ。ある程度事情を知る連中は皆ソフィア・パラコートの本性を知っていたが、グリーンハウ=スミスだけは俺の言葉に耳を貸そうとはせず、あの女の純潔を奪ったとして決闘を申し込んできた。……俺は結局、父を頼るしかなかった」


 アレクシスが困り果てた理由は、剣だろうが銃だろうが、いやたとえ素手であったとしても自分が必ず勝ってしまう確信があったからだ。

 ハリントンの名が王国内で特別な意味を持つとはいえ、公爵家の子息を私闘で殺したとあれば大問題になる。悩んだ結果、恥を忍んで父に相談したのだ。


「叔父上は何と仰っていたの?」

「ニヤッと笑って『一つ貸しだぞ』とだけ。それからすぐにソフィア・パラコートは海を隔てた先の国へ嫁いでいき、パラコート子爵家は事業に失敗して離散した。そしてウィンシャム公爵は二男の教育を徹底することを誓い、ベンジャミンは留学の名目で国を追われた。昨年末に彼が帰国してからも、ウィンシャム公爵家に関係する者はハリントンと接触していない。ひとりの例外もなくだ」


 うわー……とドミニクは青ざめたが、ベンジャミンが従兄に直接仕返しをしない理由がようやく分かり、眉間に皺を寄せる秀麗な顔を見てさらに納得した。

 アレクシスの父ゲイリー・ジョナサン・ハーヴェイは、息子とベンジャミンの揉め事を早い段階で把握していたのだろう。そして敢えて放置した。これから先いくらでも群がってくる有象無象を自力で排除する方法を学ばせるためだ。


 それを誰よりもよく理解しているのはアレクシスだった。不甲斐ない己を恥じながら、決して同じ轍を踏むことのないよう肝に銘じて、父の鮮やかな手並みを学習したのだ。


 莫大な資産を受け継ぐハリントンの嫡子として、アレクシスは世の父親全てが夢見るほど理想的な後継者だった。彼は人を見る目を養う必要を身にしみて悟り、何事にも初動が重要であることを思い知った。そして家名と自身の名誉を護るため、持てる権力をどう行使するかを徹底して学んだのである。

 

 結果的に、アレクシスは学んだことを存分に発揮している。彼が女絡みで不名誉な噂をたてられたのは後にも先にもこの一度だけで、かつビジネスでも若き当主を侮る者たちに容赦なく叩きのめしたため、今では国内外問わず一目置かれる存在だ。初期の失敗から多くを学んだ好例だろう。父親の英才教育の結果だとも言える。


「……やっぱり大きい家を継ぐのは大変なんだね……」


 うんうんと頷く従弟の姿に、アレクシスは呆れ顔になった。


「筆頭公爵家の後嗣が何を馬鹿げたことを」

「寄宿学校時代の件と、子爵令嬢との出来事が混ざってあんな噂になったのか。で、ベンジャミンが子爵令嬢にあれほど執着した理由を誰かに説明しようとすれば、寄宿学校の『彼』にについても言及せざるを得なくなる。そうじゃなきゃ、他の人たちが気づいていた女の正体を見破れないベンジャミンは大馬鹿だって話だものね。でもさ、噂自体を完全に消し去ることはできなかったの? ベンジャミンだってアレクを恨んだままだし。さすがの叔父上もそこまでは無理だったのかな」


 アレクシスは苦いものを呑んだような顔になった。


「それはむしろ俺への戒めだろう。このことを決して忘れるなということだ」


 父の言いたいことを理解しているからこそ、アレクシスも不名誉を甘んじて受けていたのだ。しかし古い噂話を放置していたことで、伯父や伯母にまで誤解される訳にはいかない。


「来週、隣で舞踏会が開かれるらしい。シーズン最後の大きなものになるだろう。主だった貴族家は皆集まるから、グリーンハウ=スミスも来るはずだ。行くつもりはなかったが顔を出すことにした。ついでにこれ以上妙なことをしないよう釘をさしておくよ」

「隣って、メルボーン侯爵家?」

「ああ。俺も社交からは随分遠ざかっていたが、隣の催しに参加するくらいなら名分も立つ。なるべく目立たないように振る舞って、さっさと帰ってくるつもりだ」


 メルボーン侯爵はルフトグランデ王国軍の元帥だ。アレクシスの父ゲイリーの親友で、昔から親しく付き合ってきた。

 侯爵家の歴史は古く、ウィンズロウ・ハウスが王家のものだった時からこの地に邸を構えている。馬で十分ほどもかかる距離にある「お隣」だった。


 由緒正しい侯爵家の舞踏会。しかも当主は国軍の元帥。メルボーン侯爵家の主催なら、規模は相当大きなものになるだろう。実はドミニクにも招待状が届いていたのだが、最近の素行の悪さから本人には知らされていない。

 ドミニクは、どこかスッキリした顔でコーヒーを飲んでいる従兄の横顔をちらりと見た。本人に目立つつもりはなくても、絶対に注目を集めるに決まっている。ここ数年、どれほど乞われても社交の場に姿を現さなかったハリントン男爵が、シーズン最後の大規模な舞踏会に参加するのだから。


「僕も、行こうかな」


 独り言のつもりだったのに、従兄の耳にはばっちり届いていたようだ。アレクシスは眉をピクリと動かすと、優雅な仕草でカップを置いた。



 


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