ジュリアナの求愛者

 従兄から苦言を呈される前に、ドミニクは口を尖らせながら主張し始めた。


「だってさ、改めて話を聞いてもやっぱりそれってベンジャミンの逆恨みだし、僕には全然関係ないよね。むしろ完全な被害者でだよ。だから父上と母上には事情をちゃんと説明して、メルボーンの舞踏会でアレクが仕返ししてくれるって話したら許してくれるんじゃないかと思うんだ」


 アレクシスはゆっくりと椅子の背にもたれた。


「……許す?」

「そう。だって僕、悪くなかったってことでしょ? 解決したなら父上にも叱られなくて済むよね。ああ、アレクが活躍するところを僕も見たいな。舞踏会に出席させてもらえるよう、母上に頼んでみよう」


 能天気な筆頭公爵家の嫡子は、想像するうちにわくわくし始めた。

 もしかしてメルボーン邸の舞踏会は、下手な歌劇などよりよほど面白い見物なのではないだろうか。

 ドミニクの頭に浮かぶのは、集まった紳士淑女の面前でアレクシスが敵を糾弾し膝を折らせる姿だ。

 近頃気鬱に悩まされることの多い母も、痛快な思いをすればスッキリするだろう。ドミニクは自分の行いが気鬱の原因であることを完全に棚に上げていたが、静かに発せられた問いに数度瞬いた。


「俺がベンジャミンとの確執を解消することが、なぜ伯父上の許しにつながるんだ?」


 きょとんとするドミニクは、理解できないと言いたげに首を傾げている。アレクシスは軽い頭痛を覚えた。


「え……僕があんな目に遭ったのはベンジャミンとアレクの……喧嘩? がきっかけだったんだから、それがなくなればもう二度といかさまにも引っ掛からないし、警察沙汰になることもないじゃないか。あ、そうだ。もしかしたら父上は仕事を探す猶予をくれるかもしれないね。もしそうなら…………アレク、どうしてそんな顔をしているの?」


 真顔の従兄弟を見ていると、だんだん不安になってくる。いっそこのまま黙って公爵邸に帰らせようかと思い始めたアレクシスは唇の端をわずかに持ち上げた。


「いや。お前の想像どおりになるよう祈っていたところだ。さて、楽しい時間が経つのは早いな。名残惜しいがそろそろ――」

「待って! 絶対違うことを考えていただろ!? 教えてよ、お願いだから」


 存外鋭いドミニクがなぜこうも自分に都合のよい思考しかできないのか、アレクシスは不思議だった。詳しい説明をするのは面倒だが、気づかれたのなら仕方がない。前置きを省いて切り出した。

 

「言っておくが、俺がベンジャミンとの確執を解消したとしても伯父上はお前を許さないぞ。問題はお前が賭博にはまったことだ。そして法外なレートで遊んで作った借金を隠そうとして、それを帳消しにできるというあり得ない提案に易々と乗った。確かにベンジャミンはお前を陥れようと罠を張ったが、そもそも賭博場に行かなければこんなことにはならなかったし、自分の支払える以上の金を賭けるほど愚かでなければ借金を背負うこともなかっただろう。いいかドミニク。伯父上のお怒りは自力で収入を得ることもできない息子が、分不相応に豪遊したうえにそれを隠そうとした結果、バークリー公爵家の家名を傷つけたことにある。俺とベンジャミンの件は関係ない」


 動揺している従弟から視線を外したアレクシスは立ち上がった。


「まあそれはあくまでも俺の考えであって、お前がそれを聞き入れる義務はない。試しに伯父上と話してみろ。じゃあ、見送りは不要だな。寄り道をせずに真っすぐ帰るんだぞ」

「アレク!」


 ドミニクは驚くべき素早さでアレクシスの逞しい背中にしがみついた。


「僕をここで働かせて!」

「悪いが、お前に与えられる仕事はない。諦めるんだな」

「何でも……そうだ、従者でいい。アレクの身の回りの世話を僕にさせてよ!」


 これほど突飛な思いつきでなければ、おそらく彼は従弟に対する興味を完全に失っていただろう。アレクシスは飾り気のない、ただし生地と仕立ては最高級の上着に皺をつくるドミニクを振り返った。


「馬鹿な! どこの世界に男爵家当主の従者バレットをする公爵家の子息がいる」

「父上から勘当されるよりはましだ! 誰が何と言ったって譲るもんか!」

「お兄様、こちらに……あらドミニク、来ていたのね」


 先導する家令の後をついて応接室に入ったのは、朝とは違う装いのジュリアナだ。髪を結い化粧もきっちりと施した彼女は、富豪の令嬢として相応しい雰囲気を醸し出している。


「じ、ジュリアナ」

「ごきげんよう、久しぶりね。元気だった?」

「ああ。きみも元気そうでなによりだ」


 パッとアレクシスから離れたドミニクは、分かりやすく顔を赤らめた。何を隠そう長年に亘るドミニクの想い人は、この年下の従妹なのである。折に触れ精一杯アプローチしているものの、ジュリアナは全くそれに気づいていない。


「ありがとう。それにごめんなさいね。込み入った話をしていたのでなければいいけれど。バリーからはお兄様がここにいらっしゃるとしか聞いていなかったものだから」

「いや! いいんだ。会えて嬉しいよ。僕とアレクシスは、その、ただ、そう……仕事、仕事の話をしていたところなんだ」

「まあ」


 ジュリアナは首を傾げながら、アレクシスと同じ青い瞳でじっとドミニクを見つめた。


「あなた、仕事なんてしていたかしら。近衛騎士の訓練も三日で辞めてしまったのでしょう?」

「それは、そうだけど」

「そうだわ。お兄様、見てくださる? こんなに素敵になったの!」


 促された先にいたのは、召使いに連れられた兄弟だった。二人は手を繋ぎ、おずおずとした様子で部屋に入ってくる。それを見たアレクシスは驚きを辛うじて抑え込んだ。


「ね、とっても素敵でしょう?」


 綺麗に洗われたプラチナブロンドの髪がきらりと光った。

 小づくりな顔。抜けるような白い肌。青みがかった菫色の瞳。卵型の輪郭と刷毛でスッと描いたような眉。ぱっちりとした目にツンと尖った鼻。唇は雪の上に置いた薔薇の花びらのようだ。とてもよく似た兄弟だが、二人とも思わず見つめずにはいられないほど可憐で美しい。


 もちろん弟の頬の丸さやあどけない顔つきは子供のものだが、聖母子像に描かれる天使さながらの整った目鼻立ちをしている。そして、その横には弟が成長した姿そのままの兄が立っていた。

 顔が小さく手足が長い。細い首を姿勢よく伸ばしているのが凛としていて、白百合を思わせる気品があった。

 アレクシスは内心唸った。整った顔立ちだと思ってはいたが、ここまでとは予想していなかったのだ。クーパー商会でブランドンがこの二人を「美しい兄弟」と称していたが、さすが闇取引に通じた商人の見る目は確かである。


「急いでいたから洋服はあり合わせだけれど、それでもこんなに可愛らしくなったのよ」


 弟のヴィクは白いシャツに紺色のベスト、同色の半ズボンをサスペンダーで吊り、白いタイツを履いている。そしてフレディの方はざんばらだった髪を整え、品のいいオリーブグリーンの上着と黒のトラウザーズに身を包んでいた。


「へえ……さすがジュリアナの見立てだな。すごく可愛い」

「そうでしょう?」


 得意になるジュリアナに、ドミニクはでれっとしながらも二人をじっくりと検分した。そうしたほうがジュリアナが喜ぶと知っていたからだ。

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