バークリー公爵家子息ドミニク・ジョナサン・マクスウェル

「ドミニク様。ご案内するまでお待ちくださいとお伝えしたはずですが」

「忙しいきみにそんな手間をかけさせる訳にはいかないよ」


 冷ややかな慇懃さで迎えた家令に砕けた調子で応えたドミニクは、引き留めようと追いかけてきたメイドに向かって手を上げた。


「お茶よりもシェリー酒が飲みたいな。持ってきてもらえる?」


 ここが書斎で、接客のための部屋でないことを承知したうえでの要望だ。言いつけられたメイドは迷うように家令を見たが、ダンカンが反応する前にアレクシスがそれに応えた。


「こいつはすぐに追い返す。何も出す必要はない」


 筆頭公爵家の一人息子であるドミニク・ジョナサン・マクスウェルは、母方の従兄の無礼極まりない言葉にめげることなく軽く肩を竦めた。嫡子として大切に育てられ、自己肯定感は四季を問わず雪を冠する山のように高いドミニクだ。少々のことで落ち込むことはない。

 いかに主の命令であっても、客に茶も出さず追い返したとあればハリントン男爵家の名折れである。ダンカンは小声でメイドに指示を出し、公爵家で愛用されている茶葉と菓子を卒なく用意させている。

 一方、今更居留守を使うこともできず、アレクシスはじろりと闖入者を睨みつけた。 


「なにをしにきた」

「なにってもちろん、迷惑をかけたお詫びとお礼だよ」

「礼など不要だ。少しでも申し訳ないと思うのなら、二度と俺の前に姿を現すな」

「そんなこと言わないでくれよ。僕だって好き好んであんなことになった訳じゃないんだから」

「なんだと?」


 今度こそはっきりと目を怒らせ、アレクシスは手のひらで机をバンと叩いた。


「賭場で借金を作るだけでは飽きたらず、それを帳消しにできるという胡散臭い誘いにうかうかと乗った挙句の果てに、人身売買の被害者になりかけたんだぞ。それが『好き好んであんなことになった訳じゃない』だと? 冗談も休み休み言え!」


 アレクシスの怒りの原因は、もちろん昨夜の一件に関してだった。

 ドミニクは二十三歳。アレクシスより四歳年下で、宰相職に就く父親とアレクシスの母方の伯母であるエメラインに溺愛されてきた。

 他人に緊張を強いるアレクシスの鋭利な容貌とは違い、ドミニクはくすんだ金髪に青い目の持ち主で、甘ったれな内面を示すように目尻のやや下がった優男風の顔をしている。声も成人男性としては少々高く、それが子供っぽい印象に拍車をかけていた。

 産まれたときから身の回りのこと全てをお膳立てされてきたドミニクは、他力本願で自己の欠点に目を向けようとしない。ちやほやされて育った貴族子弟にありがちな性格で、だからアレクシスはそのこと自体を問題にするつもりはなかった。もちろん自分に関わりがない限りは、という条件つきではあるが。


「お前が自分で文官には向いていないと言ったから、伯父上は用意していた宰相補佐見習いの席を流したんだぞ。それを伯父上がどれほど残念がっておられたかお前は知らないだろう。そうやって期待を裏切り、お前の希望でねじ込んだ近衛騎士の訓練はたった三日しか続かず、その後は胡散臭い賭博場に入り浸り。いいかドミニク、伯母上がどうしてもと仰るから揉め事の度に俺が出張ってきたが、それも昨夜で最後だ。今後は誰に何と言われようとも、お前の尻拭い役をするつもりはないからな」


 糾弾に対しても平然として見える従弟を、アレクシスは今日こそ許す気はない。そもそも亡母に似た伯母から涙ながらに懇願されたのでなければ、とうの昔に見限っていたはずなのだ。だが富豪の従兄の存在が却ってドミニクを大胆にし、甘えた性格を助長したとしか思えない。アレクシスはもう二度とこの従弟を助ける気はなく、伯母にもそれをきっちりと突きつけていた。


 それなのにドミニクは出された茶菓子を「美味しいね。これどこで売ってるの?」などとメイドに話しかけながらぱくついている。怒りが頂点に達したアレクシスは却って冷静になった。


「ドミニク。どうやら俺はお前に対して時間を浪費しすぎたようだ。お互いのために適切な距離を取ることにしようじゃないか。手始めにこの邸を出るところから始めてくれ」


 アレクシスが指を鳴らして警備を呼ぼうとするに至って、ドミニクはようやく用件を切り出した。


「待ってよ。今度こそ本当に悪いと思っているんだ。父上からも散々叱られたうえに母上からは泣かれてさ。次こそちゃんと仕事をするって言っても信じてもらえないし。どうしたら安心してもらえると思う? ねえアレク、一緒に考えてくれないか」


 アレクシスはよそよそしい堅苦しさで応じた。


「さあ、生憎だが俺にはさっぱり分からないな。ありがたいことに俺はバークリー公爵家の人間ではないし、公爵家の将来にも全く関心がない」

「そんな! 従兄弟だろ? 同じ『ジョナサン』の名を持つ者同士じゃないか。冷たいことを言わないで、ちょっとくらい力を貸してくれよ」


 ドミニクのミドルネームがアレクシスと同じなのは、ハリントンにあやかりたい伯母がそう名付けただけのことだ。同じような理由で息子にジョナサンと名付ける親はいくらでもいるし、元から珍しくもない名なだけに文句を言うつもりもない。しかし、返事をするためにアレクシスは数回深呼吸をする必要があった。


「……俺が今までお前のために、どれほど力を貸してやったかもう忘れたのか」


 地の底から響くような低い声で問われ、失言を悟ったドミニクは慌てて顔の前で手を振った。


「ち、違う違う! もちろん覚えているよ。君がいなければ僕はとうの昔に父上から縁を切られ、路頭に迷っていた。ありがとうアレク、本当に感謝してる」

「いいだろう。感謝の言葉は受け取った。気が済んだなら早く出ていってくれ」


 神妙な態度で告げられた感謝の言葉に微塵の価値も見出せないアレクシスは、今度こそ追い出そうと警備を呼んだ。だが、ドミニクは驚くべき素早さで立ち上がり、指を鳴らす従兄の腕にしがみつく。アレクシスは心底うんざりしてその手を振り払った。


「触らないでくれ」

「待って、待ってったら! ほんの少しだけでも話をさせてよ! アレク、頼むから!」


 百八十七センチあるアレクシスより低いとはいえ、ドミニクも体格がよく背も高い。そんな従弟に上目遣いで縋られたアレクシスは深いため息をついた。


「……分かったから座れ。話を聞いてやる」


 ドミニクはパァァ……と笑顔になった。


「相談に乗ってくれるの?」

「話を聞くだけだ。十分でいいか」

「短すぎるでしょ。一時間くらいは取ってよ」

「五分にされたくなければさっさと話せ」


 どこまでも冷たい従兄に、ドミニクはしぶしぶ口を開いた。


「あのさ、僕も色々考えたんだ。アレクの言うとおり仕事もせず遊び暮らしていては、公爵家の行く末だって危ぶまれる。下手をすると、分家筋から養子を取ってそいつに跡を継がせることになるかもしれない」


 アレクシスは胡乱な視線で従弟を眺めた。


「伯父上からそう言われたのか」

「うん……。また次同じことをしたら、今度こそ勘当する、って」

「そうか」


 アレクシスは執務机に右肘をつき、指先を薄い唇に当てた。


「実際に水面下で打診をしているようだからな。伯父上の求める公爵家嫡子のあるべき姿として、ご納得いただけるだけの結果が出せるかは分からんが、まあせいぜい頑張ることだ」

「ええっ!」


 ドミニクは椅子の上で飛び上がった。


「打診、って分家に養子の? 僕がいるのに?!」

「お前がその体たらくなのだから仕方ないだろう。ドミニク、お前は自分の父親が一国の宰相を務めている意味を考えたことがあるのか。不測の事態に対応できるよう、二の手三の手を考えておくのが宰相というものだ。伯父上にしたら歴史あるバークリー公爵家を、万が一にも断絶させる訳にはいかないのだから当然だ。いい加減自分の置かれた立場を理解して、与えられた機会を逃すことなく真面目に人生と向き合うがいい」


 しばし呆然としていたドミニクだったが、やがて背を丸めて頭を抱えた。心なしか金髪も輝きを失って見える。


「どう考えても僕は文官には向いていないし、近衛騎士だって無理だし……」


 絶望に満ちた呟きを耳にして、アレクシスはほんの少し優しさを声ににじませた。


「悪いことは言わないから、大人しく公爵領で領地運営を学んではどうだ。地代は入るし、伯父上の肝いりで始めた紡績業も上手くいっている。無茶なことさえしなければ楽に暮らせるだろう」


 その紡績業について上手くいくようアドバイスしたのは、もちろんアレクシスである。だがそれを恩に着せるつもりはないし、未だ貴族が事業に参入することをよく思わない連中が多いことを思えば、バークリー公爵の先見の明を称えたいくらいだった。


 

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