神の恩寵

「バリー。お前はシエルハーンについて何を知っている」


 思いもよらないことを尋ねられ、ダンカンは思わず主の顔を見返した。


「……元エーベルの地方領。真偽は不明ですが、立国の経緯から反乱を恐れたエーベル国王の指示により、国軍を持つことを許されなかったと聞いたことがあります。歴代の王は穏やかで、陸の孤島扱いされているせいか、戦争をしかけたこともしかけられたこともありません。主要産業は農業で、険しい山々に囲まれているため交易はさほど盛んではなかったかと思いますが」

「ああ。現にとは取り引きしていない」

「まあそうでしょうね」


 ハリントンの関係する会社でも、農業は既に事業として確立している。余程珍しい物でない限り、わざわざ輸送費を上乗せしてまで取り引きしようとは思わないだろう。


「クーデターの件は?」

「首謀者は王弟殿下だとだけ。なにぶん情報が少なく、詳しいことは伝わっておりません。それよりもがいつの間にか軍事力を保持していたことに驚きました」

「王弟と国王一家についてはどうだ」

「王弟に妻はなし、子もおりません。国王一家は王妃に王太子、王女と第二王子がいたと記憶しております」

「王弟は未婚なのか」

「確か妻とは死別していたと」

「彼らのその後についてはどうだ」

「まだ混乱しているのでしょう。生憎そちらについては何も」

「そうか」


 エーベルから国軍を持たないよう横槍が入っていたとしても、それはあくまでも立国の頃の話だ。独立国家なのだから、自国防衛のため軍を擁していても不思議はない。ダンカンの驚きは軍隊云々についてというより、地理的には隣接しているシエルハーンのお国事情が全く漏れ伝わってこないことに対するものだった。


 ルフトグランデにもハリントンにも関係のない、小国のクーデターだ。積極的に情報収集へ動かないのも当然ではある。

 それにしても、なぜ突然そんなことを言い出したのだろう。疑問に思ったダンカンだが、肘をついて何か考えている主に口を噤んだ。


「エーベル王家に産まれたものは皆、紫の瞳を持つという話を聞いたことはあるか」


 アレクシスの質問に、ややあってから家令は答えた。


「はい。エーベルは王権神授説を信じている国ですので、紫の瞳に神性を見出し神の恩寵の現れだと敬っているとか。確かに珍しくはありますが、全く無い色でもあるまいにと思いますがね。ただエーベル王家の特徴である淡い金髪と合わされば、その姿はまるで妖精のようだと――」


 ダンカンは言葉を切り、主の冴えた青い目をまじまじと見た。ようやく彼の言いたいことを察したのだ。アレクシスはゆっくりと口を開く。


「シエルハーンの初代国王は、エーベルのどの王族よりも濃い紫の瞳を持っていたという。もしそれが本当なら、顕著な『恩寵』を受け継いだことがエーベルを追われた理由だったのかもしれない。すんなりと玉座に就くことはできない立場の者だったんだろう。そして、シエルハーンの直系王族であれば、今でもその特徴を持っていてもおかしくはない」


 ダンカンはついさっきハリントン邸で引き取ることに決まった、二人の兄弟の姿を思い浮かべた。

 汚れてはいたが、二人とも美しい紫の瞳をしていた。頭が小さく手足がほっそりとして長い。どことなく浮世離れした、妖精じみた雰囲気があった。

 人品卑しからざる風で品のある顔立ち。髪はおそらく銀に近い金髪だ。


 ゾッと鳥肌が立つ。殆ど国交のない異国で起きたクーデターと、斃された王家。その生き残りの王族がこの邸にいるかもしれないのだ。

 顔色を変えたダンカンだったが、アレクシスが気にしていたのは別のことだった。


「グロスターでは小口の取り引きは行っていないはずだな?」

「はい。取引先は王国軍が七割、残り三割は各地の警察組織となります。物が物ですので販売先は厳重に管理しておりますし、民間の業者とは契約しておりません」


 グロスターはアレクシスが出資する兵器製造工場の建つ場所の名前だ。小国とはいえ国境を接するシエルハーンでクーデターが起きたため、国軍の兵器需要は高くなっていた。


「もしや、グロスターの兵器がクーデターのきっかけになったのではないかとお思いなのですか」


 アレクシスの沈黙こそが答えだった。

 グロスターへの出資は十分な検討ののちに行われた。兵器とはそのまま他人の命を奪うものだ。だが自国民の命と財産を護る砦でもある。大義あっての利益だと判断したからこそ大金を投じたのだ。

 己の判断に何ら恥じることはない。だが目の前の孤児が小国とはいえ王家の人間で、あれほど哀れな姿になった原因の一端に自分がいるとなれば、それを無視できるほど冷淡にもなれなかった。


「……国王一家がどうなったのか、調べてもらえるか」


 シエルハーンの国王と王妃。そして王太子と、王女に第二王子。

 彼らの年齢と容姿、食の好みから宗教観、政治信条まで調べられるだけ調べろということだ。

 もちろん一番はクーデター後の処遇についてだろう。その生死を確認し、男爵邸にやってきた「フレディとヴィク」が何者なのかを確かめるのだ。


 他国の情報を入手するのには金と時間がかかる。それが政変の最中にある国となれば尚更だ。

 だがハリントン男爵家に長く務め、大きな裁量を与えられている家令は主の言葉ににこりと笑って頭を下げた。


「承知いたしました。直ちに」






 アレクシスはベストのポケットから懐中時計を取り出した。ルイから贈られた試作品の懐中時計だ。


 時間を確かめ、更に部屋の隅に置かれた振り子時計に目を遣った。

 狂いのない二つの時計が指し示す時間は全く同じだ。となると、今朝早くにロナルド・ストロング警視監が来てから――二人の孤児を引き取ってから早四時間が経過したことになる。

 風呂に入れて食事を摂らせるにしても、時間がかかり過ぎなのではないだろうか。そわそわとするアレクシスだったが、妹に任せた手前自分から進んで様子を見にいくことは躊躇われた。


 何となく家令には頼みづらい。こっそりメイド長のノーラに聞いてみるかとアレクシスが立ち上がりかけたとき、書斎の扉をノックしたダンカンが来客を告げた。

 

「バークリー公爵家のドミニク様がお見えです」

「いないと言え」

「居留守とは酷いじゃないか、アレク」


 すべてを無視して部屋に入ってきたのは、言うまでもなくアレクシスの従弟ドミニクだった。人身売買の被害者として売られる寸前だった彼は、事情聴取の直後だというのに溌剌とした様子でソファに腰掛けた。 



 



 


 

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