決断②
木箱の中でクラリスは身じろいだ。一緒に詰め込まれている木の葉が潰れて乾いた音を立てる。身体をすっぽりと覆うように被った布越しに葉が動くのを感じ、クラリスはうなじの毛を逆立てた。おそらく何十匹――もしかしたら数百匹はいるかもしれない小さな虫が肌を這っている気がするが、外から門番の声が聞こえてくる。下手に動く訳にはいかなかった。
「その箱はいつものか?」
「ああ。これだけ敷地が広ければ、木の葉はいくらでも集まるからな」
「確かに。だが、念のため確認させてもらうぞ」
「好きなだけ見てくれ。何なら棒で突いてもらっても構わないが」
「いや、そこまでしなくていい。……よし、いいぞ」
「ありがとよ」
荷馬車がまた動き始めた。クラリスはホッとしたが、箱は外からしか開かない構造になっている。いつまでこのままでいればいいのか不安になるが、心を無にして耐えるしかない。できるだけ身体を小さく丸め、固く目を閉じた。
ノエルから受け取ったメモに記されていたのは、秋薔薇の茂みの下を探せという指示だった。
居ても立ってもいられず、夜半に抜け出して指定の場所を探った。そして発見したのだ。ノエルからの手紙と――生死不明の兄が生きているという証拠を。
兄は叔父の手を逃れ、クラリスたちと同じようにルフトグランデに入国していたようだ。支援者のおかげで安全な場所にいるが、クーデターの際に負った傷が悪化し動くことができないらしい。そして、看護師が街中で語った男爵邸の兄弟の話を聞き、クラリスとヴィクターの消息を知ったという。
『王太子殿下は、お二人のことをとても心配なさっています。街で噂になっているハリントン男爵邸の病人のことを耳にされ、ご自身の妹弟に違いないと涙を流していらっしゃいました』
綴られた手紙に同封されていた、刻印のある金色の釦。それは紛れもなく兄の、シエルハーン王太子のものだった。
ゴトゴトと荷車が揺れる。それに合わせて身体を揺らすクラリスは、手紙の内容を何度も反芻した。兄はクラリスとヴィクターに会いたがっている。そのため人知れず男爵邸を抜け出してほしいというのだ。
『男爵邸の温室には特に出来のよい腐葉土が必要です。ウィンズロウ・ハウスの一角にある
兄が生きている。それが事実だとしたらどんなに嬉しいだろう。ヴィクターだって喜ぶはずだ。しかし。
ヴィクターはクラリスにとって、兄と同じくらい大切な存在だ。そしてシエルハーン王家復興の最後の切り札でもある。この手紙に書かれていることが真実だとしても、ヴィクターをこの脱出劇に巻き込むことはできなかった。ただでさえ病気で弱っている弟を、世界で一番安全な場所から連れ出すことはできない。
クラリスは両手をぎゅっと握りしめて顎に押し当てた。そう、ハリントン男爵邸は世界で一番安全な場所だ。だって、アレクシスがいる場所なのだから。
ゴトン、と、ひときわ大きく揺れた荷馬車は唐突に止まった。それでもクラリスは身じろぎひとつせず、目を開くこともない。ただじっと息を凝らして外の音を聞いていた。
ガタガタ、バサバサと人が動き回る音がする。一人じゃない、数人の気配だ。不安が胸を過る。やはり、アレクシスに相談したほうがよかったのでは――。そんな思いを無理やり押し殺した。
ギギギ、と軋みながら蓋が開いた。ドキドキする胸を宥めながら祈る。お願い、神様どうかお願いします。どうか、どうか外にいるのがノエルでありますように……――!
バサバサと乱暴に木の葉が取り除かれ、身体を覆っていた布が勢いよく剥がされる。辺りを舞う土ぼこりで息ができない。しばらく経って薄目を開けたクラリスは、自分の願いが届かなかったことを知った。
「おい、久しぶりだな」
そこに立っていたのはブランドン・クーパー、クーパー商会の会頭だった。突き出た腹を揺すりあげ、唇を歪めて笑いながらしげしげとクラリスを眺める。
「……随分と綺麗な顔をした、いわくありげな餓鬼だとは思っていたが、まさか女だったとは。しかも、王女さまだとはね。私の目の確かなことが証明されたな」
満足そうに言うブランドンの後ろで、拘束されたノエル・キーツが立っていた。頭に木の葉を絡ませたクラリスを見たくないとでもいうように大きく顔を背ける。
「会頭。こいつ一人だけですぜ」
「なに? おい、お前ひとりだけで出てきたのか。弟はどうした」
ブランドンが軽くクラリスを小突くと、ノエルが顔色を変えた。
「やめろ! お前たちが容易く触れていいお方じゃないんだ!」
「何を言う。その『容易く触れてはならない』高貴なお方を騙したのはお前だろう」
ぐっと言葉に詰まるノエルを、ブランドンは面白そうな顔で見ている。
「……約束だ。ルーカス殿下のところに連れていってくれ」
「さあて、それはどうだろうな。依頼主の希望は王女と王子二人とも呼びだすことだろう? 片割れだけでは約束を果たしたとは言えないんじゃないか」
「そんな、話が違う!!」
拘束されたノエルが暴れだす。それを苦もなく押さえているのは屈強な大男だ。クーパー商会の地下にいた、禿頭の金壺眼だった。
「……!」
後ろ手に縛られたノエルが地面に突き倒される。思わず駆け寄ろうとしたクラリスの右手首が、ブランドンに掴まれた。
「護衛騎士のことより自分の心配をすることだな。喋れないのは静かでいいが、暴れられては面倒だ。おい、薬を持ってこい」
「よせ! 姫様には手を出さない約束だ!」
「約束約束うるせえな。ガチャガチャ喚くんじゃない。ここから先はお前じゃなく、俺が決めたルールに従ってもらう」
別の用心棒が、クラリスの背後から大きな手を突き出した。ツンと嫌な匂いのする布を持っている。必死に頭を振って逃れようとしたが、舌打ちをした用心棒が乱暴に顎を掴んで布を押し付けてきた。
――お兄様……ヴィク…………アレクシスさま……ごめんなさい…………
あっという間に意識が遠ざかる。クラリスを抱きとめたブランドンと用心棒は、無表情で彼女を見下ろした。
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