闇仲買人と希少な布②
「若。フレディの顔に何か大切なことでも書いてありますか」
そわそわと落ち着かない様子のクラリスを見かねたダンカンが助け舟を出す。アレクシスはハッとして机に向き直り、今度はそこに置かれた曇りひとつない純銀製のペーパーウェイトを指先で弄びはじめた。
「……ヘンリー・ボード・テイラーズはともかく、ジェムズ・サンほどの老舗が閉店するとなれば周囲の店舗へも影響はある。腕のいい
「ではいかがいたしましょうか。闇仲買人が相手となれば、少々お時間をいただくことになるかもしれません。連中はとかく身を隠すことに長けていますので。むしろこの件は警察に話を通されたほうが、公権力で調査できてよいのではないかと思いますが」
「いや。これは俺が対処する」
ダンカンは片眼鏡を指先で押し上げた。
「何かよいお考えでも」
「ああ、いいことを思いついた。連中に水面下で動かれては面倒だ。もっと派手に立ち回るよう仕向けてみよう」
「……あまり好ましくはありませんね。お嬢様のお耳に入れば、またご心配になるでしょう」
「だからいちいちジュリアナに話すなと……ああ、分かったからそんな顔をするな。身の安全は確保するし護衛もつける。ストロングにも知らせて構わないから」
家令のじっとりとした視線に耐えかねたアレクシスは組んだ脚をほどいて立ち上がり、歩き始めてからふと気づいたように振り返った。
「俺は今から外出する。君は邸に残って弟と過ごすように」
命令口調なのはクラリスが従いやすいようにとの配慮だったが、椅子から飛び降りた従者は小走りに主へ駆け寄った。もちろん、自分も一緒に連れて行ってくれと訴えるためだ。アレクシスのすぐ前まで近づくと、身長差のある彼の顔を真っすぐに見上げる。化粧をしていない素顔の頬が薔薇色に上気し、上がった体温のせいで甘い肌の香りが漂ってきた。
「……いくら頼んでも無駄だ。君のような子どもを同行できる場所ではない」
眉尻を下げ、必死に見つめる紫の瞳から目を逸らす。誰からどう説得されようが、クラリスを連れていくつもりはない。しかし、彼女とて従者の役割りを果たそうと懸命なのだ。
幾度も頭を下げて食い下がったが、心を強く持つと決めたアレクシスは断固として首を縦に振らない。クラリスはしょんぼりと肩を落とし、それを見たアレクシスは激しい罪悪感に苛まれた。
一見平然として見えるが、アレクシスを幼い頃から知る家令には主の心情が手に取るように分かる。窮地を見かねたダンカンは口を挟んだ。
「フレディ。ここは若のお言葉のとおりにしておきなさい。そうすれば明後日の舞踏会には連れて行ってもらえますよ」
「バリー!」
明後日開かれるメルボーン侯爵邸――馬で十分もかかる隣家――の舞踏会への同伴を、勝手に許可されてしまった。アレクシスはぎょっとして家令を部屋の隅へ連れていき、クラリスの耳に入らないよう小声で問いただした。
「どういうつもりだ? 彼女を人目に晒すのがどれほど危険か分かっているのか!」
つい二日前、アレクシスは優秀な家令から「フレディとヴィク」がほぼ確実にシエルハーンの王族「クラリスとヴィクター」であるという報告を受けている。
「頭は髪粉をつければ問題はありません。あの規模の舞踏会なら、人に紛れますので却って目立たないかと。第一、貴族たちが使用人を視界に入れたりはしないでしょう。せいぜい家具か主の付属品程度の認識でしかありません。まあそのぶん若に目立っていただくことになるかもしれませんが。お嬢様の腕の見せ所でございますね」
想像しただけでうんざりしたアレクシスは眉間にしわを寄せた。美しい兄を自慢にしているジュリアナは、彼を等身大の着せ替え人形か何かと勘違いしているふしがある。兄の懇意にしているテーラーに出向いて勝手に生地を見繕い、ボタンや飾りどころかデザインにまで口をだしてこの世に二つとない衣装を誂えたりするのだ。理想的なマネキンとして度重なる仮縫いに付き合わされる身にもなってほしい。
救いはジュリアナの審美眼が確かなもので、あらゆる角度からどんなに批判的に見ようとしても、文句のつけようがないエレガントな仕上がりになるところだろう。もちろん、そうやって作られた衣装の予算はないも同然だった。
ちなみに、例の天海の稀布で作った上着もジュリアナの見立てだ。アレクシス個人としては仕立てにはこだわるものの、むしろ地味な出で立ちを好んでいるのだが。
「まあそこはお嬢様と交渉なさいませ。さあフレディ、あなたは弟さんのところにお行きなさい。そろそろ授業が終わる頃ではありませんか?」
迷う素振りを見せながらも、舞踏会への同伴を許されたクラリスは嬉しそうだ。はにかんだ笑みを浮かべながらアレクシスにぺこりと頭を下げ、はずむような足取りで部屋を出ていった。
「……さて、本当にその闇ブローカーとやり合うおつもりなのですか?」
クラリスの前とは打って変わり、真顔の低い声で問われる。好々爺然としたダンカンよりも余程馴染みのある姿に、アレクシスはにやりと笑った。
「その点は心配するな。直接交渉するつもりはないし、俺は適任者に心当たりがある」
「そうですか。ではせめてどなたかと一緒にお行きなさいませ。……夕方からでしたら私がご一緒できるのですが」
ダンカンには別邸の管理人との面談予定があった。
「護衛を連れていくんだ。一人でいい」
「それで結局護衛は外で待たせるのでしょう。ハリントンの名を知ったうえでこんなことを仕掛けてくるような相手です、油断してはなりません。……困りましたね。誰か同行してくださる方がいればいいのですが」
アレクシスは頭も切れるし交渉術にも長けている。剣でも弓でも銃でも、大抵のことを上手くこなしてしまうだけに他人の助勢をあてにせず単独行動をするところがあった。ダンカンはハリントン男爵家の当主である彼が無茶をするのではないかと心配でたまらない。
誰か、この主の無茶な振る舞いを止められるような人物を同行させられないものか。できればアレクシスの足手まといになるような、面倒を見なければならないという義務感に駆られる者がいい。そうは言ってもクラリスやヴィクターでは駄目だ。もっと別の、少々危険に晒しても問題ないような者が――。
頭にある人物が思い浮かび、ダンカンは満足げに微笑んだ。
「お任せくださいませ。すぐに支度をいたします」
◆
「ねえアレク、用事はすぐに終わるんだろう? 終わったら遊びに行かない? アレクと一緒なら紳士クラブに顔を出しても父上は怒らないと思うんだ」
「……お前は寄り道をしないほうがいい。帰りは送ってやろう」
「えー。つまらないなあ。僕、最近真面目に働いてるのに」
「礼儀作法の教師として、お前がよくやっているのは知っているさ」
ドミニクは馬車の窓から外を見ながら、うきうきと従兄に話しかけた。引き取った二人に礼儀作法を教える教師としてウィンズロウ・ハウスへ通うようになり、ドミニクは元気いっぱいだ。
腐っても公爵令息というべきか、数代遡れば王家の血筋が入るバークリー公爵家の一人息子として幼い頃から厳しく礼儀作法を躾けられたドミニクは、アレクシスの目から見ても理想的な礼法の教師である。
彼からすれば両親に課せられた「仕事を探す」という義務を果たせたうえに、大手を振ってジュリアナに会うことができるのだ。非常に充実した生活を送っており、バークリー公爵夫妻も安心しているようだった。
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