虜囚

 悲鳴のように鋭く息をのんだクラリスは、扉の前で棒立ちになった。

 アレクシスはいつものように完璧な出で立ちで椅子に座っている。ただ、両手は後手に拘束されており、両脚は椅子の足にそれぞれ括りつけられていた。

 グレッグは呆然とするクラリスの背を押すようにして部屋に入ると、王族特有の尊大さを存分に示した口調で告げた。


「歓迎するよ、ハリントン卿。よく来てくれた。なんでもブランドンとは旧知の仲らしいな。そのよしみで来てくれたのか? それとも……私の愛しい妻のおかげだろうか」


 クラリスの肩をぐいと抱き寄せ、上着を着ていない二の腕を上から下まで撫でおろした。ザッと鳥肌が立ったが、奥歯を噛んで堪える。アレクシスがなぜここにいるのか、それが分からないうちはうかつに動けない。

 大国として名高いルフトグランデの王族でさえ、ハリントン男爵に対する扱いは丁重なものだ。それが小国シエルハーンの、王族とはいえ今は逆賊でしかない男からの、この無礼な物言い。腹を立ててもおかしくはない状況だが、アレクシスは無表情のままだ。グレッグはうっすらと目を細めた。


「どうした。なぜ黙っている。ブランドンから話を聞いて、喜び勇んでやってきたのだろう? シエルハーンに投資できるのが嬉しいという気持ちは分かるよ。ああ、ひょっとして、王と王妃にこれほど近く拝謁できた喜びに口も利けないのか。実に初々しいことだ」


 頷くグレッグは、ふとアレクシスの上着に目をとめた。


「随分地味好みだな。……まさかとは思うが、金持ちとは噂ばかりで、蓋を開ければ困窮していたなどということはないだろうな」

「万が一にもそのようなことは。実際、クラリス殿下を……お引き取りになる際、弟君と合わせて二千ゴールドもの金をぽんと支払ったほどです。その時の殿下は薄汚れたストリートキッズにすぎませんでしたし、高貴なご身分であることを示すものもお持ちではありませんでした」

「ただの浮浪児に二千ゴールドか! 剛毅なものだ」

「はい。しかもその時の支払いは合わせて一万三千ゴールド弱にのぼります。それらを全て、男爵家の資産ではなく個人資産からお支払いになりました。困窮などとは最も遠いところにおられる方かと」

「一万三千ゴールド、ねえ……」


 グレッグは顎に手を置き、仕立てはよいが飾り気のないアレクシスの装いを再び眺めると、馬鹿にしたように軽く鼻を鳴らした。


「では、この地味な格好はただの吝嗇か。生地は上質なようだが、そのでかい図体に見合うだけの布を用意したら、装飾に使う金が残らなかったのだろう。金持ちでもその使い道を知らない者は愚かの極みだ。我が国への投資で金の使い方を学ぶがいい」


 何という侮辱かとクラリスは顔色を変えたが、アレクシスは変わらず無表情のまま僅かに首を傾げた。


「……確かに私のテーラーからは、一般的な体格の男性より多くの布地が必要だと言われたことがある。そういう意味では布地代がかさんでいるのは事実だろう。尤も装飾を省くのは単に好みの問題であって、仮に私が小柄で布地代が安く上がったとしても、あなたのように飾りをつける気になるとは思えないが」


 グレッグはアレクシスの静かな反論をぽかんとして聞いていたが、やがてじわじわと顔をどす黒くさせた。平均より小柄な自身の体格を揶揄されたと思ったのだろう。つかつかとアレクシスの前に歩み寄り、何をするのかと訝るクラリスの前で大きく手を振り上げた。


「……!」


 殴打の音が響く。頬を拳で殴られたアレクシスは顔を伏せたまま視線だけでグレッグを見上げたが、続けざまに反対の頬を殴られる。衝撃で椅子が大きく軋んだ。


「……! ……!!」


 もがくクラリスの両手を後ろからブランドンが押さえる。グレッグは口の端から血を流すアレクシスを満足そうに見下ろし、素手で殴りつけたことで痛む右手をプラプラと振った。


「王族に向かって生意気な口を利くとこういう目に遭うんだ。よく覚えておくがいい」

「……随分腰の入ったパンチだな。何かやっているのか」

「拳闘を少しな。だからお前が一発目のパンチを防御スウェイして、威力を下げたのも分かっていた。予備動作なしの二発目は効いただろう?」


 くつくつと笑うグレッグは、気が済んだのかまた楽しそうに目を細める。


「……本題に入ろうか。言え、どこまで知っている」


 殴られた衝撃で前髪が乱れている。その隙間からグレッグを見返したアレクシスは、小さく息を吐いてから口を開いた。


「私の持つ情報は多岐に亘る。もっと具体的に何のことだと言ってもらわなければ話すことはできない」

「時間を稼ごうとしても無駄だ。お前が単独行動を好むことは知っているし、今夜も護衛なしでやってきたことは調べがついている。勿体つけずにさっさと話せ。さもなくばまたお前を殴って……と言いたいところだが」


 ちらり、とクラリスへ視線を遣った。


「愛しい姪を痛めつけたほうが効果がありそうなら、そうすることもやぶさかではないがな」


 ぶわっ、とアレクシスの身体から怒気があふれでた。それはグレッグが思わず後ずさりたくなるほどのものだったが、プライドにかけて踏みとどまった。たかが男爵風情に気迫で負ける訳にはいかない。

 鋭く光る青い目でグレッグを見ていたアレクシスは、しばらく考えてから話し始めた。


「『天海の稀布』の偽物を流通させようとしていたのはあなたですね。ウィンシャム公の母方の祖母がサノイ出身であることは分かっていましたが、あなたの亡くなった奥方はその祖母の妹――つまり、大叔母の孫です。クーデターが成功したとしても莫大な資金が必要だ。何等かの手段で金を調達しなければならない。だがシエルハーンの内需は小さく、必要とするだけの資金を国内で賄うことは難しい。そこで目をつけたのがルフトグランデで公爵位にあるグリーンハウ=スミス……ウィンシャム公爵家と、双方に伝手のあるサノイの布だった」


 アレクシスは一度言葉を切り、口内に溜まった血液混じりの唾液を床に吐きだした。


「失礼。血を飲むと気分が悪くなるものでね。……ダントン公、あなたは周囲から妻殺しの汚名を着せられているが、実は短い結婚生活でも奥方とはうまくやれていたのではないですか。サノイからは天海の稀布ほどではないものの、それなりに高価な織物を取り寄せて奥方に贈っている。持病を悪化させた奥方が亡くなる直前まで、あなたは薬を取り寄せ国外から医者を呼び寄せようと尽力されていた……公爵家の財を全て投げ出して」


 急に静かになったグレッグの応えを待つことなくアレクシスは続けた。


「僻地にあるシエルハーンへ高名な医者を呼ぶとなれば大金が必要だ。薬代だけで既に公爵家の財産を使い果たしていたあなたは、兄である国王陛下へ借金を申し込んだ。そしてそれをすぐに断られている。もう助からないと分かっている者に、これ以上の金を費やすのはやめろと言って。……客観的に見ればその意見は妥当かもしれない。だが、愛する者を亡くしかけているあなたにとって、その言葉は余りにも冷酷に響いた。やがて奥方は亡くなり、時が経って……それでもあなたの心の中には、熾火のようにその時の恨みが燻り続けていた」


 クラリスは初めて耳にする話に驚きながら、小さく震える叔父の後ろ姿を瞬きもせずに見つめた。


「……それほどまでに奥方を大切にしたのは、あなたが奥方を愛していたからですね。家族として、同士として、あなたは深く奥方を愛していた。それはあなたが初めて全てを――自分の性愛の対象が男であることを打ち明けて、そして受け入れてくれた初めての相手だったから」

「もういい! それ以上は言うな!!」


 はーっ、はーっと激しく息をしながらグレッグは叫んだ。アレクシスは静かにそれを見ていたが、しばらく経ってからまた話し始めた。


「あなたにはサノイとのパイプがあり、そしてウィンシャム公とのパイプもあった。内需の点でルフトグランデの市場規模は申し分ない。最初は本物を流通させようとしたが、どう交渉しても天海の稀布を入手することはできなかった。それでは、と端糸を集めて作った見本帳を使い、いかにも本物を仕入れられるように装って金をせしめた。計算が狂ったのはクーデターが失敗したことと、ウィンシャム公が病気になったことだ」

「……よく調べ上げたものだな。ハリントンの調査能力は一国の諜報機関にも勝るというが、噂に違わぬといったところか」


 頬を引きつらせながらグレッグはゆっくりと拍手をした。ぱん、ぱん、と、乾いた音が部屋に響く。


「ではついでに聞かせてくれ。お前が私の姪たちの正体を……シエルハーンから亡命してきた王族だと知ったのはいつのことだ」


 ひゅ、とクラリスの喉が小さく鳴った。アレクシスは一瞬だけクラリスに目を遣ったが、すぐに逸らしてグレッグの質問に答えた。


「……初めて会った時だ」

「初めて、というと」

「私の店で、特別な商品としてこのお二人をお見せした時のことですね」

「だが、店に連れ出された時にはまだ――」

「汚れきって異臭を放っている状態だった。だが、年恰好と紫色の瞳でもしやと思い、引き取って身ぎれいになった姿を見て確信した」


 ああ、そんな――。クラリスはギュッと目をつぶった。そんなに早くから素性を知られていただなんて。

 それなら、男爵家での厚遇も頷ける。護衛をつけられたのも、働かなくていいと言われたことも。

 

 傷ついた様子の姪を横目で見て、グレッグはちらりと笑みを浮かべた。


「初めから王女だと分かっていて従者にしたのか! ハリントン卿も人が悪い。姪が男の形をしているのを陰で嗤っていたのだろう」

「そんなことはない。彼女は真摯で、ひたむきで、いつでも周囲の人間のことを思いやっていた。王族というのはこれほど清らかな心を持つのかと驚かされたよ。さすがはエーベルで『神の恩寵』を示すと言われる紫の瞳を持つだけのことはある」

「そんなもの!!」


 ガン! と大きな音を立てて、グレッグがアレクシスの椅子を蹴りつけた。だが先ほどとは違い、彼はすぐに冷静さを取り戻した。


「神の恩寵など嘘っぱちだ。現に、その色を持っていた国王も、王太子も死んでしまっている。本当に神から愛されているのなら、今頃冷たくなっているのは私のほうだっただろうよ」


 余裕を示すために微笑もうとしたのだろうが、唇の端が引き攣れたようにしか見えなかった。


「で? 恐るべき洞察力を持つハリントン卿がなぜこんなところにやってきたんだ? クラリスが私の手に堕ちたとはいえ、元はと言えば赤の他人ではないか。身の危険を冒してまでやってくる必要はないはずだが」

「彼女は私の庇護下にある。他人とは言えない」

「それで、シエルハーンへの資金援助をするというのか。姪の命を助けるためだけに?」

「ああ、そうだ」


 アレクシスがきっぱりと言い切ったことで、グレッグは鼻白んだ表情になった。その一瞬の隙を衝いて、今度はアレクシスが質問を口にする。


「クラリス王女を妻にすると言ったが、どうやって子を生すつもりなんだ。あなたは男としかそういった『行為』ができないはずだが」


 


 

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