牢獄の花嫁②

 クラリスがその言葉を理解するよりも先に反応したのはノエルだった。


「馬鹿な! そんなことが許されるものか」


 色めき立つが、縄で縛められ床に転がされている状態ではどうにもできない。グレッグはノエルの腹を靴の先端で突いた。


「誰に許しが必要だというんだ。少なくともお前でないことだけは確かだな」


 嘲笑しながらクラリスに視線を移す。そして不味いものを口に入れたように唇を歪めた。


「汚らわしい女風情に触れなければならないのは業腹だが、結婚式では誓いのキスをしなければならないだろう。仕方のないことだと分かっているが……この姿なら、見られなくもないな」


 クラリスが男装をしていることにようやく気づいたのか、床に伏せている姪の二の腕を掴んで引き上げた。


「……ッ!」

「よせ、姫様に触るな!」


 ノエルの喚き声など耳に入っていないのか、先ほどまでとは違い熱を持った目で撫でるように全身を眺めまわした。


「うん……悪くない。お前は本当にヴィクターとそっくりだ」


 そして、人差し指の背で滑らかな頬に触れる。おぞましさに全身が総毛立ち、クラリスは思わずその手を叩き落とした。

 王弟グレッグ・オニール・シエルハーン。王族でありながら王家の特徴であるプラチナブロンドの髪と紫の瞳を持たない彼にまつわる噂は複数あるが、そのうちのひとつが男色家であることだ。

 それも、年端もいかぬ男児が一番の「好物」なのだともっぱらの噂だった。婚姻歴があるものの子はおらず、妻は早世している。元々身体の弱い人だったというが、死因は公表されていない。それが憶測を呼び、自ら命を断ったのではないかと根強く囁かれている原因だ。夫婦としての触れ合いは一度もなく、冷たい夫に絶望した若い妻は死を選んだのだろうと。


 国政に関わっていた兄とは違い、クラリスたちがグレッグと接する機会は少なかった。だが、母は叔父がクラリスたちと――特にヴィクターと会う時には必ず同席していたように思う。今にして思えば心配だったからなのだろう。

 決して温かい関係ではなかったが、今まではごく普通の叔父と姪だったはずだ。それが、グレッグが本性を剥き出しにしたせいで完全に覆ってしまった。

 振り払った時にクラリスの爪でこすったのか、叔父の手の甲に赤い筋ができた。グレッグは腹を立てるでもなくそこにフッと息を吹きかけ、楽しげに目を細める。


「くくっ、生きのいいことだ。私は世の女たちを皆等しく嫌っているが、最も忌まわしいのはめそめそと泣く女だ。お前はそうやって、睨みつけてくるだけまだましだな。だが、この姿なら本当に……もしかしたら、私でも女を抱けるかもしれない。何なら今ここで、お前を花嫁にしてみるか」


 ウィンシャム公に絞められた指の跡が残る首を、グレッグは片手で軽く押さえた。もう片方の手で上着のボタンを外しはじめる。クラリスは叔父をおぞましい思いで見返した。叔父と姪という関係以上に、一人の人間として受け入れられなかった。

 だが、自分の置かれた状況を信じられずに棒立ちになるクラリスよりも、叔父の暴言に反発したのは護衛騎士のノエルだ。


「よせ! 絶対に、絶対に許さないぞ! そんなことをしてみろ、永遠に悪霊となってお前を呪ってやる!」


 半分冗談だったグレッグは、猛る護衛騎士の様子に気を変えたようだ。クラリスを湿った石壁に押しつけ、小さな尻を撫でまわしはじめた。


「ほう、それは面白い。前々から悪霊というものを見てみたいと思っていたんだ。これは何としても実行しなければ。お前の主を目の前で犯し、その後にゆっくりとお前を殺してやるよ。ああ、まずは私の男を勃たせてもらおうか。おい、ここに膝をついて奉仕をしろ」


 グレッグは目をぎらりと光らせ、クラリスから剥ぎ取った上着を床に放った。そして肩を押さえつけてクラリスを跪かせる。

 顔のすぐ側に男の股間がある。何をさせられるのか戸惑うクラリスだったが、叔父がウエストのボタンを外してようやく意図を理解した。


 ――いやっ!


 グレッグは顔を背けるクラリスの頭を押さえて、下着越しに萎えた性器を押しつけてくる。懸命に逃れようと頭を振る姪に苛立って声を荒らげた。


「おい、いつまでも子供じみた振る舞いをするんじゃない。いいか、ルークは死にヴィクターはもはや王族としての力を持たないただの子供だ。その中で唯一お前は王妃になれるんだぞ!? 私をその気にさせられなければシエルハーン王家は途絶える。それでいいのか!」


 何を言われているのか理解できない。クラリスは閉じた瞼の裏に涙が溜まるのを感じた。この男と身体を繋ぎ子を生すくらいなら、このまま死んでしまったほうがずっとましだ。しかし、クラリスが舌を噛もうとしたその瞬間、二人の間に控えめに割って入ったのはブランドン・クーパーだった。


「陛下。仮にも王妃となられるお方です。このような場所ではいささかお気の毒かと。ここはひとつ場を改めて、王妃様にもお仕度をしていただいたほうがよろしいでしょう。何しろ木の葉の中に身を潜めてここにいらしたのですから」


 肩で息をしていたグレッグは、自分が押さえていた銀髪に砕けた木の葉が絡んでいるのを見て、ぞっとしたように手を離した。取り出したハンカチでその手を拭う。


「……全く、女とは忌々しいものだ。ブランドン、さっさと用意をしろ」

「陛下。王妃様との初夜がこのような、異国の邸というのは情緒のないことでございますよ。お国に戻られてから段階を踏んでいかれるほうが、教会の心象もいいというもの」

「だが……いや、そうか。お前がそう言うなら、少し考えてみよう」

「有難いことでございます。どうやら、お待ちかねの客人がおみえのようですね。ささ、陛下。お急ぎになってくださいませ」


 用心棒から何かを耳打ちされたブランドンがそう言うと、満更でもなさそうにグレッグは頷いた。

 グレッグが急に機嫌を上向かせたのは、ブランドンのおもねりによる「陛下」との呼びかけのせいか、それとも待ちかねていたという客のせいだろうか。おそらくどちらも正解だ。このわずかな時間で、クラリスは叔父の焼けつくような激しい権力欲を感じ取っていた。

 我が身に起こったことが現実のものと思えず、ぼんやりとしていたクラリスの腕をグレッグが掴んで引き上げた。


「立て。お前も一緒に行くんだ」


 どこに連れていかれるのだろう。まさか、身支度をして「初夜」を迎えさせようとでもいうのだろうか。

 クラリスが示した微かな抵抗は、強引なグレッグの手によって封じられた。ノエルが何か叫んでいるが、叔父は見向きもしない。彼が何もできないことをよく知っているからだ。


 クラリスの手首を掴んだまま地下牢を出ようとしたグレッグは、隅で石壁の苔を削ぎ落していたウィンシャム公に気づいた。


「公には部屋にお戻りいただくように」


 ブランドンの目配せで、屈強な用心棒が二人ウィンシャム公の二の腕を掴んで立たせている。また暴れるかと思われたが、促されるままあっさりと歩きはじめた。視線は定まらず、手に握りしめた苔をむしゃむしゃと食べてはいるが。


「今のシエルハーンには外貨を稼ぐだけの力がない。このままでは国は先細りだ。ではどうすべきか。戦で領土を広げるか、交易を盛んにして外貨を稼ぎ、新たな産業を作り出すかだ」


 暗い廊下に足音が響く。先頭をグレッグが、そのすぐ後をクラリスが続き、最後にブランドンと用心棒たちが歩いている。どこへ向かっているのか分からないまま歩くクラリスは、叔父の言葉に混乱していた。


 グレッグの言葉はあながち間違いとは言い切れない。むしろ後半などはクラリスが兄と共に考えていたことと同じだ。

 どうして。クラリスは唇を噛み、叔父の後ろ姿を涙の浮かんだ瞳で見つめた。父と協力して国を治めてくれさえしたら。こんなことにはならなかったのに。


 クーデターは失敗に終わり、反国王派だったはずの軍の幹部は次々と裏切りに転じた。国民からの支持も得ることはできず、たった一人で異国に逃れるしかなかった。


 護るべき国民もない、空虚な玉座。それを手放さないよう必死に握りしめる孤独な王。それがグレッグだった。

 こんなことになる前に、どうにかできなかったのだろうか。その悔いがクラリスの胸を苛んだ。きっと自分にもできることはあったはずだ。こんな、こんな風に……全員が不幸になる前に。


「だが、外貨を稼ごうにも国庫には金が乏しくてな。私は今回初めて王国の財政状況を知ったよ。想像以上に悪かった。こんなことでは軍隊の装備を整えることもままならないだろう。金がないというのは本当に惨めなことだ。だが安心しろクラリス。私は強力な支援者を手に入れた。これで我が国は安泰だ」


 クラリスを背に、グレッグは機嫌よく話し続けている。階段をのぼると廊下は明るくなり、壁は濡れた石から板張りに変わった。公爵家の地下牢から出たことは分かるが、まだ客をもてなせるような場所ではない。


「その支援者は恐ろしいほどの大金持ちで、ちょうどいいことに軍事産業にも一枚かんでいるんだ。これで兵器を安価に入手できるぞ。それどころか、どれほど大きな事業を立ち上げようと無条件で資金援助してくれる。いいか、無条件だぞ!? 気前のいいことだろう」


 クラリスの胸が激しく脈打った。嫌な予感がする。クラリスは叔父の上着を後ろから掴んだ。


「なんだ? ……ああ。確かに交渉は必要だ。何と言っても莫大な額の援助をしてもらうのだからな。だが私は楽観しているよ。……クラリス、お前が私の側にいる限り」


 楽しそうに目を細めたグレッグは、ある扉の前で足をとめた。ブランドンに目で合図をして扉を開かせる。


「さあ、彼こそがかの有名なハリントン男爵アレクシス・ジョナサン・ハーヴェイだ。噂どおりのいい男だろう? ハリントン男爵、これはシエルハーン王国のクラリス・ウィニフレッド・シエルハーン王女だ。私の姪で、もうすぐ……私の妻になる」


 そこには、粗末な木の椅子に縛り付けられたアレクシスがいた。




 

 

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