プロポーズの作法

 二人きりになったら、途端に何を話していいのか分からなくなった。


 黙りこくったまま庭園を歩いていく。足元に落ちたパラソルの影が薄いのは、初夏とはいえまだ日差しがそう強くないせいだろう。

 ふと、自分の歩く速度とアレクシスが足を踏み出すタイミングが同じなのに気づき、歩幅を合わせてくれているのだと嬉しくなった。会いたくて会いたくてたまらなかった大好きな人。こうやって一緒にいられるのが信じられない。


「アレクシス様、さっきは――」

「きみの声が戻ったのは――」


 二人同時に言って、顔を見合わせて笑う。互いに譲り合った後、まずはクラリスが切り出した。


「あの、謁見室でわたくしがが言ったこと、本当にごめんなさい。……それに、扇も」

「ああ」


 アレクシスは左手で後頭部を押さえた。すっかり忘れていたが、指先で触ると少し痛む。あれだけ離れている場所から勢いをつけて投げられたのだから当然だろう。クラリスが心配そうに眉を寄せた。


「お怪我をなさったのではなくて? 大変! 傷を冷やして――」

「平気だ、何ともない」

「でも」

「クラリス。それより私のことを本当に『女たらし』だと思っているの?」


 クラリスは顔が熱を持つのを感じた。きっとまた真っ赤になっている。


「いいえ。あれは本心ではありません。……でも」

「でも、なに?」


 少し迷ったが、クラリスは自分の気持ちを正直に話すことにした。それが暴言を吐いてしまった自分に与えられた罰だと思ったからだ。


「わたくしはあの時気持ちを伝えたけれど……アレクシス様は『好き』とは仰らなかったって、国に帰ってから気がついたの」


 男爵邸を去る夜のことだ。アレクシスからの「生涯たったひとりの人」という言葉に感激したものの、国に戻ってから徐々に不安が頭をもたげてきた。

 アレクシスは「愛している」どころか「好き」という言葉すら口にしなかった。

 あの場、あの時には互いに同じ思いだと――愛し合っているのだと確信できたはずなのに、距離を置き時が経つうちに、もしやあれは男女の愛情を示す言葉ではなかったのかもしれないと、疑いの気持ちが強くなってきたのだ。


「もしかして、男女のではなくもっと他の……親愛の情のことかしらと思ってしまって。もしそうなら、わたくしのような田舎者の世間知らずを勘違いさせたアレクシス様はひどい人だと、あなたはとても素敵だから、きっと他のご令嬢にも同じようなことを囁いてきたんだろうって……きゃっ!」


 がばりと抱きしめられて、クラリスは小さく悲鳴を上げた。白いパラソルが地面に落ち、くるりと転がる。


「嫉妬したの? そんな心配なんてしなくていいんだ。だって私はきみと結婚できないなら、一生独身のままでいいと思っていたくらいなのに」


 抱きしめられたクラリスの頬に、アレクシスの早い鼓動が伝わる。クラリスは腕の中で身じろいだ。


「本当?」

「ああ、本当だとも。……愛しているよ、クラリス」


 アレクシスは腕を解き、跪いてクラリスの手を取った。


「花束も指輪もないが……」


 アレクシスは青い目を優しく細め、クラリスを崇めるように見上げた。


「クラリス・ウィニフレッド・シエルハーン王女殿下。ありがたくもあなたが私の妻となってくださるのなら、あなたを生涯に亘り愛し続けることを誓います。あなたを幸福にし、常に敬い、尊重し、決して後悔させないことを誓います」


 周りを見回せば、いつのまにか花の咲き乱れる一角にさしかかっていたようだ。爽やかな風に薔薇が香りを乗せ、緑の葉と共にそよいでいる。

 

「だからどうか、私の妻になってください」


 ふわっと風が舞う。初夏の太陽に暖められた空気と、下草からのひんやりとした風が混じりあいながらクラリスの髪を揺らした。


 子供の頃の夢が叶うなんて、ついさっきまで思ってもいなかったのに。

 クラリスは菫色の瞳に幸福の涙を浮かべながら、アレクシスの手を強く握った。


「はい。わたくしにとってあなたは生涯たったひとりの愛する人です。どうか人生を一緒に過ごさせてください」

「ああ、クラリス……!」


 二人は誰憚ることなく抱き締めあった。感情が昂り、気が遠くなるほどの幸福を味わう。アレクシスはここが王城の庭園であることを、何度も自分に言い聞かせる必要があった。


「……アレクシス様」


 クラリスの額や頬、瞼の上に繰り返しキスをしていたアレクシスは、愛しい婚約者の声に目を細めた。


「どうした?」

「ん……キスをされていると頭が働かないの」

「そうなのか? ……では試してみよう」

「ま、待って! あの……そう、さっきアレクシス様が言いかけていたことを教えていただけませんか?」


 はた、と動きをとめた。


「さっき? ……何だったかな」


 言葉の合間にも口づけをやめようとしないアレクシスだったが、しばらくしてからようやく記憶を蘇らせた。


「いつ声が出るようになったんだ?」


 ぱち、と丸くした目を瞬いたクラリスは、アレクシスの胸を押して少しだけ距離を置く。


「シエルハーンに戻ってお兄様と再会してから三日後に、突然声が出るようになったのです。お医者様からも治療法はないと言われていたから皆本当に驚いて。でも、一番びっくりしたのはわたくしでした」

「薬もなしでか。どうやって回復できたのだろうな」

「お医者様は、お兄様が斬られる場面を見たことがきっかけで声がでなくなったのなら、無事な姿に安心したことで声が出るようになった可能性もあるだろうと」

「……そうか。でも、本当によかった。きみの愛らしい声を聞くことができて嬉しいよ」


 あの性格の悪い兄のおかげと思えば忌々しいが、声が戻ったのは喜ばしいことだ。


「……世界で一番幸せです」

「何を言う。私はきみの倍幸せだよ」


 クスクスと笑うクラリスは、アレクシスの顔を見上げた。整えた黒髪に深い青の瞳。愛情に溢れたその表情を、クラリスはもう決して疑ったりはしない。


 二人は見つめ合い、やがて目を閉じたクラリスの唇に、アレクシスはそっと唇を重ねた。



 美男で知られるハリントン男爵と、神の恩寵の印を持つとされる美貌の王女。

 身分を越えた二人の恋物語は、後に歌劇となって国中の劇場で演じられることになる。護衛やメイドたちの目撃情報により庭園のキスは名シーンとして熱演されたが、二人が出会った場の描写は脚本家によってバラバラだ。

 ある者は街中で追手から逃げるクラリスを助け出すヒーローとしてアレクシスを描き、またある者は兄ルーカスの友人だったアレクシスを政変中のシエルハーンに登場させ、クラリスと恋に落ちるシーンを描いた。観客たちはその違いを楽しみ、誰の脚本が一番優れているかを口々に噂しあった。

 当然のように人々は彼らの馴れ初めを知りたがったが、二人は決してその出会いを語ることはなかったという。





◇◇◇◇◇◇◇


「親愛なるルーカスお兄様へ


 お手紙ありがとうございます。お兄様もヴィクもお元気そうで安心しました。

 早いもので結婚式からもう半年も経つのですね。

 私は毎日とても楽しく、充実した日々を過ごしています。

 男爵家の皆さんはとても優しくしてくださっていますので、どうか心配しないでね(そのことはヴィクもよく知っているはず!)


 今、私は男爵家の家政の他に、アレクシス様のお仕事を少しだけ手伝っています。スケジュールの確認や、手紙の代筆などほんの少しだけね。こんなことを書くとお兄様は『無理やり働かされている』と怒りだすかもしれないけれど、誤解しないでください。これは私が望んだことなのですから。


 アレクシス様と離れたくなくて、できるだけ一緒にいられる方法を二人で考えた結果です。私の働く姿を見てもらえたら、お兄様にも賛成してもらえると思うの。だってアレクシス様は本当にお優しいんだもの! 甘やかされすぎて駄目な妻にならないよう、注意しなければと思っているくらいなの。


 それから、シエルハーンへの援助について。

 既にアレクシス様から聞いていらっしゃるかしら。ルフトグランデとシエルハーンを結ぶ交易路に、トンネルを作ることになったそうですね。

 完成したら両国の移動は今よりもずっと早く、楽になると教えてもらいました。ゆくゆくは鉄道を敷く計画もあるのだとか。そうなれば、既にいくつかの事業を開始しているハリントンの会社もますます発展することでしょう。もちろん、シエルハーンにもたらされる恩恵は言うまでもありませんね。

 石炭で動く鉄の塊が馬車よりも早く動くなんて、ちょっと想像もつきません。少し怖いような気もするけれど、アレクシス様の言葉を信じようと思います。


 結婚してすぐ、お父さまたちの眠る王墓への墓参についてアレクシス様から尋ねられたことがありました。私はもちろん、心から想っていれば墓参できなくてもいいと答えたのだけれど……もしかしたらトンネルや鉄道は、私のために計画されたのではないかと思うと怖くなります。アレクシス様がお金持ちなのは分かっていますが、金銭感覚が余りにも私とはかけ離れていて、プレゼントをもらう度に戸惑ってしまうのです。

 豪華な宝石やドレスも、アレクシス様のプレゼントの中ではごく些細なものです。先日は大きな別荘を贈ってくださいました。その別荘には私の名前がつけられていたの! とても美しいお邸だったからそれは嬉しかったけれど……その夜、アレクシス様にこれ以上プレゼントは受け取れないと伝えました。すると世にも悲しそうなお顔をなさるから、慰めるのが本当に大変で……。

 男の方のプライドを傷つけずに贈り物を断るにはどうしたらいいのでしょう。お兄様からアドバイスをいただきたいです。


 そして(お兄様がきっと一番知りたいと思っていらっしゃるはずの)ジュリアナ様のことです。

 ジュリアナ様は相変わらずとてもパワフルで、慈善活動や趣味の乗馬やサロンなど、毎日活動的に過ごしていらっしゃいます。

 ドミニク様のことを覚えていますか。お気付きかもしれませんが、ドミニク様はジュリアナ様のことがお好きで、結婚を望んでいらっしゃるの! 

 幸いにもジュリアナ様にその気はなさそうですが、何と言ってもお二人は従兄妹で幼い頃から見知った仲だし、毎日のように顔を合わせているから、これから先どうなるかは分かりません。

 

 お兄様がお忙しいのはよく分かっていますが、どうにか時間を作ってルフトグランデを訪問できないでしょうか。実は今日もジュリアナ様はドミニク様と観劇する予定になっています。

 私も同行させてもらえないか頼んでみましたが、急にアレクシス様と外出することになってしまって、邪魔することができませんでした(ごめんなさい)。


 ジュリアナ様から手紙の返事をなかなかもらえないとのこと、私なりに理由を考えてみたのだけれど……お兄様もいけなかったのよ。アレクシス様の申し込みを勝手に断ったせいでジュリアナ様の心象は最悪なのに、晩餐会でいきなり結婚の申し込みをするだなんて。ジュリアナ様が怒るのも当然だと思います。反省してね。


 やはりここはアレクシス様に(過去の行いを詫びてから)正式な形で婚姻の申し込みをするのが一番いいのではないでしょうか。王としての矜持を捨て、ひとりの男性として愛を乞うの。アレクシス様はあんなに優しいし、ジュリアナ様とも仲がいいからきっと協力してくださるわ。


 もしお兄様の気持ちが変わらず、今でもジュリアナ様と結婚したいと思っているのなら、できるだけ急いでください。

 ご存じのとおりジュリアナ様は美しく社交的で、とても人気があります。心が広く慈愛に満ちていて(私とヴィクを引き取るよう口添えしてくださったほどだもの)、そのうえ大富豪ハリントン男爵家当主の妹なのですもの。これでモテないはずがありません。私が結婚してからだけでも、少なくとも三人から結婚を申し込まれています。いつ婚約が調ったと聞かされても驚かないくらいよ。

 とにかく、他の男性に奪われてしまうのが嫌なら、できるだけ急いで申し込んでください。私はいつでもお兄様の味方です。頑張ってね!


 あ! とても大切なことを書き忘れるところでした。ジュリアナ様はプロポーズの時に花束と指輪が欠かせないと仰っていたそうなの。プロポーズの作法はとても大切よ。経験者の私が言うのだから間違いありません(エヘン!)。

 ただ、ジュリアナ様は高価な宝石をたくさん持っていらっしゃるから、生半可なものではご満足いただけないかもしれないわ。やはりそれもアレクシス様に相談するのがいいのではないかしら。きっといいアドバイスをくださるはずよ。


 では、同封した手紙はヴィクへお渡しください。また近いうちに手紙を書きます。もちろんジュリアナ様のこともたくさん書くので楽しみにしていてね。


 世界で一番幸せなあなたの妹   クラリスより 

 愛をこめて」


 

 

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【完結】ハリントン男爵アレクシス・ハーヴェイの密かな悩み ひなのさくらこ @KU68

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