悪徳商人と富豪の男爵②

 ブランドンはグッと言葉を詰まらせた。

 アレクシスが支払い、そして放棄した金額は莫大なもので、補えない損失などあるはずがない。実際にクーパー商会が警察の捜査によって店を閉める間の損失や盗品と認められた品の返還――ネヴィルの絵も含まれていた――、従業員への賃金補償だけではなく、三千ゴールドという高額な保釈金を支払ってなおまだ余るほどだった。


 しかし。

 ブランドンはあの時思ったのだ。この取り引きでクーパー商会は、創業以来最高益となることが確定したと。


 それを覆された精神的な打撃は大きい。事件の夜からこっち、ブランドンは幾度も幾度もアレクシスのことを思い出し、彼の言葉や態度、視線の動きまで反芻するかのごとく記憶に刻みつけてはのたうち回って屈辱に震えていた。

 だがそれは、単純な憎しみや怒りという言葉では説明がつかない複雑な感情だ。ブランドンの心の奥深くを覗き見れば、そこにあるのは「裏切られた」という失望で、さらに紐解けば憧れの相手から手ひどく振られたのと似た恥辱だった。


 これで仕事を廃業する羽目になれば恨み骨髄に徹するところだが、最も重い罪である人身売買が証拠不十分となったことで辛くもそれを免れた。


 ブランドンの抜け目のないところは、人身売買に関わる顧客の情報を手元に残していなかったことだ。

 もし過去の売買履歴が明るみに出れば大変な騒ぎになっただろう。何しろ国の中枢や高位貴族の中にも客はいたし、その連中はブランドン逮捕の報に接して注意深く捜査の推移を見守っていた。万が一にも顧客情報が洩れていたなら、ブランドンは自らの命も危うかったと自覚している。


 一番大変だったのが、踏み込まれた時その場にいたドミニクと浮浪児二人に対する言い訳だ。浮浪児のほうは汚れたままだったのが幸いし、篤志で面倒を見るため連れてきたと言い逃れることができたのだが、もう一人のほうはそうもいかない。何しろ筆頭公爵家子息が借金の形に腰布ひとつで売られそうになっていたのだから。


 ブランドンは懸命に説明した。借金を背負ってどうしようもなくなった彼を引き受け、クーパー商会で働かせるつもりだったのだと。腰布一枚しか身につけていなかったのはブランドン自身の性癖によるもので、今から自分に奉仕してもらうつもりだったのだとも。

 しかしそこにアレクシスがやってきて、従兄弟としてドミニクを引き取り、ブランドンに対しては面倒事に引き込んでしまった謝罪と感謝の気持ちを込めて小切手を切ったのだ――という非常に苦しい、半ばやぶれかぶれの供述をしてのけたのだ。


 どうなることかと思ったが、結果的にこの捨て身の戦法によって彼は釈放された。警察官から奇異の目で見られはしたが、色々な意味で自分を犠牲にした甲斐があったというものだ。


 実際のところ愚息の不始末を速やかに葬り去りたかったバークリー公爵の暗躍と、人身売買を立件するには売った側だけではなく買った側、即ちアレクシスの罪まで問わねばならず、それを避けようとする勢力があったこと、そしてもちろんクーパー商会の顧客による圧力が働いたことにより、ブランドンは放免となった。世には清い水に棲む魚だけではないという証明だが、どんな理由にせよクーパー商会とブランドンは首の皮一枚で命を繋いだのだった。


 ともあれブランドンは金輪際、ハリントン男爵と――ついでにバークリー公爵の子息とも――関りを持つつもりはなかった。そもそも、どの面を下げてうちに来ることができるのかさっぱり分からない。ブランドンは憤然としながら閑散とした店内を見回した。


 平民から下位貴族たちまでが気軽に買うことのできる、入りやすい店構えだ。いつもなら若い女性で賑わうはずの店の中は、ドアベルの音も鳴らずしんとしている。店員の若い女性が退屈そうに髪を弄っているのを視界の隅に認めながら、ブランドンは向かいに座る招かれざる客を睨みつけた。


「警察に踏み込まれたという噂はあっという間に広まりましてね。お陰様でこの調子です。本当にありがたくて涙が出ますよ」

「そんなに怖い顔をするな。俺とお前の仲じゃないか」

「私のように善良なただの小市民と、ハリントン男爵様とでは身分も立場も天と地ほど違います。どうぞあなたさまに相応しい店へお行きください。ああ、ご存じかとは思いますが出口はあちらです」


 ブランドンは顔を背けたくなったが、アレクシスからまた小娘扱いされるのも腹が立つ。不自然なほど肩を強ばらせる悪徳商人に向かい、アレクシスは甘い笑みをみせた。


「ブランドン。今日は地下のあの部屋に通してはくれないのか」

「生憎地下の商談室はクーパー商会にとって大切なお客様だけをお通しすることにしておりますので」

 

 一階の、値段の安い小物が並ぶ店舗の隅椅子に腰掛けるアレクシスは実に堂々としている。彼は吐き捨てるように言ったブランドンに平然と尋ねた。


「ほう。では俺はお前にとって、取るに足らない客だということだな。そうなのだろう? だからこそ、絶対に利益が出ると分かっている儲け話を断ろうとしているじゃないか。そんなに俺の……いや、ハリントンの名が信用できないというのか?」


 忌々しいことに、商売人の性が先に立ったブランドンはその言葉に同意することができなかった。

 この国で、いや周辺各国を合わせても、ハリントンの名で事業を持ちかけられて断る者はいないだろう。むしろ目の色を変えて前のめりになるに違いない。


 憮然とするブランドンに、アレクシスはごくあっさりと告げた。


「まあいい。俺の願いは先ほど話したとおり、天海の稀布を卸すと偽る闇ブローカーに接触し商品を買い取ること、ただそれだけだ」


 本当にそれだけで済むのだろうか。ブランドンは疑わしい思いで憎らしいほど魅力を振り撒く男爵家当主を見つめた。


「どうしてそんな顔で俺を見る」

「……そんなに美味い話を、なぜ私に持って来られたのです。おかしいではありませんか。もしや、あんな目に合わせた私をまだこれ以上酷い目に――」

「ブランドン。俺は人を見る目だけはあるつもりだ。その俺がこの話は是非ともお前にやってもらいたいと、そう望んだ。これはそんなに信用のできない理由なのか」


 これほどの人物から見込まれたとあって、ブランドンは決意がグラグラと揺らぐのを感じてハッとした。



 

 

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