仮面の下の素顔

 

 元々貿易商を営んでいたジョナサンだ。下位貴族の地位は貴族社会へ事業を展開する際の足掛かりになるだろうし、各種免除が認められれば復興需要による利益が更に拡大するとみてのことだった。


 話を聞いた王は唸った。貴族院との摩擦を覚悟して伯爵位へ越階させようとした自分とは違い、非常に理に適った要望だ。

 しかも「当代に限る」としたことで、周囲の無駄なやっかみを避けることもできるだろう。当時の平均寿命からみて、免除期間は長く見積もってもあと十年ほどと思われたからだ。


 結果的に貴族院、なかでも国庫を預かる財務大臣も免税を承認せざるを得なかった。男爵という低い爵位で納得してもらったのだから、時限的な税の免除はやむを得ない。そもそもいくら商才に長けているとはいえ、終戦で余裕がないのはみな同じ。ジョナサンとて元手が潤沢にあるとは思えず、税の免除くらいで何か大きく変わることもあるまいと。


 しかし、それは大きな誤算だった。

 実は、戦時中に国を捨て亡命を企てた貴族たちの一部に、金を融通したのはジョナサンだった。彼らが所有する動産不動産を金に換えてやったのだが、そうやって手に入れた山から金脈が発見されたのだ。

 ジョナサンはそれを元に、戦後復興と周辺国との取り引きを拡大していった。

 まずは戦禍に見舞われた国土の復旧のため、近隣諸国から資材を輸入し売りさばいたジョナサンは、たちまちのうちに莫大な富を得た。それだけではない。復旧需要による都市の人口集中を見越した国内主要都市の土地購入と市街の整備への大量の資金投入。それに加えて都市近郊農地の大規模農業化と流通網の確保までやってのけたのだ。


 賢いのは、同業者を上手く巻き込んだところだろう。人手が必要なところで仕事を請け負わせ、利益の出るよう面倒をみたうえで以後の継続的な仕事の受発注を確約する。もちろん、一定の品質を担保することが条件だ。言わば経営コンサルタントとしてアドバイスし、同業を下請け化したのである。

 時代が味方したことで、ジョナサンの率いる事業は飛躍的な成長を遂げた。そしてもう一つ、彼が当時としては驚異的な長寿だったこともハリントン男爵家が他に類を見ないほど成長した要因だ。

 ジョナサンがこの世を去った時の年齢は百二歳。しかも、代替わりしたのは何と百歳の時である。結果的に、税の免除は五十年以上続き、戦後の復興需要の中でハリントン男爵家の資産を国家予算に匹敵するまでに押し上げたのだ。

 ジョナサンを看取った息子ダニエルは父を讃え、代々嫡子のミドルネームにジョナサンと名付けることを約束したという。


 それからもハリントン男爵家の快進撃は続いた。鉄鋼業、製糸業、鉄道、造船と様々な業種へ出資し、それらが倍々ゲームの様相で現在も富を生み続けている。もはやハリントンには富を司る神が宿るとまで言われていて、それを証拠に軍事産業へ出資した途端、隣接する小国シエルハーンの政情が不安定になり、クーデターが起こったのだから神がかっているとしか言いようがない。


 ブランドンは手にした小切手を見てごくりと唾を飲む。アレクシス・ジョナサン・ハーヴェイ。爵位の書かれていない、個人名のみの署名だ。ということは、引き落としの口座はハリントン男爵家のものではなく、あくまでも個人名義のもの。あんな大金を、顔色ひとつ変えることなく個人資産から支払うというのか。


 もはや恐怖を抱きながら、ブランドンはミスター・Aを――いや、ハリントン男爵アレクシスを見つめた。彼は背中に向けられたブランドンの視線など頓着することなく、用心棒が持ってきたワインをグラスに注いでいる。


 と、そこでブランドンはあることに気づいた。


「ミスター……いえ、ハリントン男爵様。小切手の金額が少々――」

「金額がどうした。一万二千七百五十ゴールドだろう」

「あ、はい。一万二千ゴールドは商品の、七百ゴールドはそちらのお方の借金として頂戴いたしますが、この端数の五十ゴールドは……」


 言いかけたブランドンは、遠くから聞こえてきた騒めきに耳を澄ませた。どうやら階上で何かが起きたらしい。

 地下にある、秘密の部屋にまで聞こえるような騒ぎとは余程のことだ。様子を見に行かねばなるまい。


「ハリントン男爵様。私は少々席を外させていただきます。すぐに戻ってまいりますので、ワインを飲みながらお待ちいただければ」

「ああ、気にするな。すぐに終わる」


 アレクシスは目元を隠していた黒い仮面を無造作に外した。斜めに流していた前髪が乱れ、切れ長の青い目がその隙間から覗く。軽く眉を寄せ、邪魔くさそうに髪をかき上げた彼の姿に、ブランドンは場所柄も弁えず思わず見惚れた。

 秀でた額と男らしい眉。涼しげと言うには鋭すぎる眦と高い鼻梁。噂は真実だったとブランドンが感心するほど、ハリントン男爵アレクシス・ハーヴェイは掛け値なしの美男子だった。


 ベルベットが張られた仮面を、アレクシスはワインの乗ったワゴンに放った。名を明かし、素顔を晒すほど自分を信頼してくれたということだろうか。ブランドンは知らず胸のときめきを覚えた。

 だが、最初は遠かった騒めきがどんどん近くなる。ドタバタと響く物音と何人もの怒声が近づくにつれ、ブランドンは我に返ってアレクシスに尋ねた。


「……すぐに終わる、とは?」

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