王太子と成り上がり男爵

「何をしているのあなたたちは。元気すぎるのも考えものね。ねえオーグ、いっそのことこの二人を王国軍に入れてしまえばどう?」

「それはいい考えだ」


 メルボーン侯爵よりも先に、金髪の男性が笑いながら応えた。アレクシスたちよりいくつか若いであろうその男性は、金色の肩章エポレットから掛かる肩帯サッシュという正装の出で立ちだ。アレクシスは襟を掴むニコラスの手を払い、男性に真っすぐ向きなおった。


「殿下。こちらが先ほどお話したハリントン男爵です。アレクシス、ジョージ殿下よ」

「噂は聞いているよ。……そうか、君が当代の『ジョナサン・ハーヴェイ』なんだね」


 男性は頷き、満面の笑みを浮かべた。

 ルフトグランデ王国の王太子ジョージ。先日遊学先から帰国し、側妃の息子である第一王子を差し置いて立太子したばかりの彼は、非常に聡明な王子だともっぱらの噂だ。最近も御前会議で述べた意見が大変有用なもので、大臣たちも舌を巻いたと、アレクシスは伯父のバークリー公爵から直接聞かされていた。

 身長はアレクシスよりも目線ひとつ分低いが、体躯はしっかりとしている。見目も――アレクシスほどではないものの――整っており、国内外の貴族令嬢から憧れの目で見られる存在である。

 ルフトグランデ王家は代々近親婚を可能な限り避け、できるだけ血の遠い相手と婚姻を結んできた。高貴な青い血を狂気的なまでに求める一部の重臣を退け続けた成果が、この王太子に結実したと言えるほど理想的な「世嗣よつぎの王子」だ。


「はい、ハリントン男爵アレクシス・ハーヴェイと申します。見苦しいところをお見せいたしました」


 何事もなかったように一礼するアレクシスを余所に、招待客の騒めきが一気に高まる。それはそうだろう、国の要人であるメルボーン侯爵が主催する夜会だとはいえ、予告もなしに訪れたのが次期国王だったのだから。

 ジョージは手を上げて軽く振り、静まるように合図をした。笑顔のままだが流石に王族というべきか、一筋縄ではいかない雰囲気を持っている。


「ああ、大げさにはしないでくれ。楽しんでいるところを邪魔していなければいいんだが」

「急な予定変更はお控えくださいとあれほど申し上げたではありませんか。殿下の気まぐれに付き合わされる近衛のことを、少しはお考えいただかなければ困ります」


 軍部を取り仕切るメルボーン侯爵から文句を言われた王太子は苦笑した。侯爵の苦言は当然のことで、いつの間にか招待客に紛れた近衛騎士が広間に散らばり、庭園には兵士が詰める混沌とした空間になっている。


「ようやく視察が終わったんだ、少しくらい息抜きをさせてくれ」


 ねえ、と目線で同意を求められたニコラスは蒼白になった。父や兄と共に拝謁したことはあるが、これ程近い距離でまみえたことは一度もない。しかも、王家の覚えめでたいハリントン男爵と争っているところを見られてしまった。

 カクカクと頷くニコラスを楽しそうに見ていた王太子は、ふと気づいたように首を傾げた。


「そういえば、僕のせいで話を中断させてしまったね。さあ、続けてくれたまえ」

「い、いえ、もう……」

「ん? 遠慮しなくていいんだよ」

「畏れながら殿下。私が体調を崩していたところを、ハリントン男爵様のお付きの方に介抱していただいていたところなのです」


 ジョージはようやく気づいたように、セリーナ・ノークスへ目を遣った。しかし、実際に反応したのは王太子のすぐ後ろに控えていた騎士服の男だ。


「セリーナ。どうしてお前がこんなところに一人でいるんだ」

「お兄様」


 急きこむように言ったのは王太子の側近で近衛騎士を務めるハドリー子爵の嫡子フランク・ノークスだった。周囲の視線が納得したものになる。フランクと王太子は乳兄弟で、王太子の腹心だと言われていた。その妹であれば、礼儀を逸したと見える王太子への直答も許されるだろう。

 だが、一番納得していない様子なのが兄のフランクだ。口調は穏やかだが、いかつい顔で詰問する姿は迫力満点だ。


「一人で舞踏会に参加するなど、父上がお許しになるはずがない。そもそも招待状はお前の手元に届かないように――」


 フランクはハッとして、神妙な顔で俯く妹に目を吊り上げた。


「さては、叔父上に泣きついたな? 全く、二人して何度同じことを繰り返せば気が済むんだ!」

「ごめんなさいお兄様。お叱りは後でいくらでも受けるわ」

「お前はまたそんなことを――」

「フランク、そのくらいにしてやれ。サー・ホラスも可愛い姪に頼まれては断れなかったんだろう。それにセリーナも時には気晴らしが必要だ。たまにはお前が外に連れ出すなりしてやればいい」

「しかし、殿下」

「いいんだ。……セリーナ、久しぶりだね。あまりフランクを心配させるんじゃないよ。それにサー・ホラスも。僕にはあれほど厳しかった彼が、君にはこんなに甘いなんてね。体調は大丈夫なのか」

「はい。もうすっかり」

「……まだ顔色が戻っていないようだ。今日は早く帰ったほうがいい。フランク、ついでにセリーナを送っていこう。馬車の手配を頼む」


 ホラス・リックウッドはノークス兄妹の叔父で、高名な学者である。過去には王太子の教育係を務めていた。現在も議会や国王へ厳しい提言を許される立場だ。

 独身のサー・ホラス・リックウッドが姪を実の娘のように可愛がっているのは有名な話だ。議会で彼の厳しい追及を逃れるには、姪の話題を出せばいいとまことしやかに囁かれるほどだった。


 どうやら王太子はこのまま侯爵邸を後にするようだ。ここで顔を売りたかった招待客たちとは違い、突然の訪問に困り果てていたメルボーン侯爵と警備を担当する騎士はあからさまにほっとしている。

 一言挨拶だけでもと窺う貴族たちを余所に、王太子は誰かを探す素振りで辺りを見回した。そしてアレクシスの後ろに立つクラリスを見つけて目を細める。


「やあ、君が彼女を助けてくれたヒーローか。僕からも礼を言うよ」


 硬直するクラリスの背を軽く押したアレクシスは、内心驚きながら頭を下げた。次期国王が、いくら乳兄弟妹を助けたからといっていち男爵家の使用人に声をかけるなど聞いたこともない。この進歩的な考え方は、旧態依然とした貴族社会では異質なものとして受け取られるだろう。だが今後はこの王太子の元で国が作られていくのだ。アレクシスは右手を胸に当てて応えた。


「殿下。畏れながら、彼は口が利けないのです。返事をしない無礼をお許しください」


 主従揃って頭を下げる二人に、王太子はしばし瞬いた。だがそれは一瞬のことで、すぐにまた笑顔になる。むしろ今までのような作り物めいたものとは違い、人間らしい好感の持てる顔だった。


「そうか、そうか。……きっと君は、ハリントン卿にとってそんな不利ハンデを上回るほど必要な人なんだね。そういう関係は大切にしたほうがいい」

「殿下。馬車の用意が整いました」


 早く帰ってもらいたいという侯爵の願いは速やかに果たされたようだ。耳元で囁かれた言葉に「早いな」と苦笑した王太子は、騒がせたことを詫びるように辺りを見渡した。


「では、これで失礼するよ。皆楽しんでくれたまえ。セリーナ、君はこっちにおいで。帰る間中フランクに説教されるのを覚悟しておくことだ」


 にこやかに挨拶をした王太子ジョージは、最後にアレクシスを振り返った。


「ハリントン卿。会えて嬉しかったよ。君のような人がこの国にいてくれて心強い限りだ。次は王城で会おう。そこの、菫色の目をした従者と一緒に。いいね? これは命令だよ」


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