11 暗雲


 松林に沿って玄天と星彩は疾駆する。

「ちっ、しつこいな」

 後ろを振り返り、緋耀は舌打ちした。


 速度が緩やかになった玄天に、一桜は星彩を並走させる。

「どうしたの?」

「ここで蹴散らす」

「戦うの?!」

「不利な場所まで追い詰められるより、ここで決着つけたほうがいい」

「だってこっちは二人だよ?!」

「ここは平原だ。馬を自由に操れる。見ろ」


 緋耀が差した先を見上げる。なだらかな起伏の先には、厳かにそびえる巨大な山があった。

 見たこともないほどの巨影に圧倒される。


「富士山……」

「そうだ。富士へ近くなるほど道は狭くなるし田畑も多くなる。今は植えつけの時期だ。田畑を荒らしては農民の生活に影響が出る」


(この事態に、そんなことまで)

 一桜は内心驚いた。オレ様なのかと思いきや、付近の住民へ細やかな気配りをするとは。

 村のことが頭によぎった。大垣も、今は作付けの季節だ。精魂込めて耕した田畑が紅蓮の炎に呑み込まれた悲しみや悔しさは、痛いほどわかる。


「わかった」

 一桜は頷いた。

「決まりだな」


 目が合った刹那、二人は左右に分かれて馬首を返した。


 追ってくる騎影も、二手に分かれる。


 一桜は、白龍刀の柄を握った。

 手に吸いつくような感触。

 何かが、一桜の中に流れ込むような感覚がある。


(兄さま、あたしを守って)


 騎影が迫る。白刃の閃きが見えた。

「うわああああああああああ!!」

 雄叫びを挙げて、一桜は騎影に突っ込んでいった。

 間近に迫った騎手の首が二つ、派手に飛んだ。

 血潮が飛び散り、一桜を囲んだ騎影にどよめきが広がる。


「なっ……一気に首を二つだと?!」

「気を付けろ!! ヤツが持っているのは白龍刀だ!!」

「何?! こっちか!!」

「あっちのデカい男じゃないのか」

「女だぞ」

少年がきが女装しているという話だ!大したことはない!かかれ!!」


 一斉に騎影が襲ってきた。


 しかし、一桜は冷静だった。

――来る。

 相手の動きがゆっくり見える。

――落ち着いて。

 順番に刀を振るっていくだけだと自分に言い聞かせる。


「ぐあ?!」

「うげっ」

 刀ごと両腕を飛ばされた騎手はそのまま落馬し、首を飛ばされた騎手を乗せたまま馬が暴走する。飛んできた腕や首に当たった馬が混乱して騎手が振り落とされる。

「ガキがぁっ!!」

 大太刀を振り上げた男が背後に迫ってきた。

 一桜は、後ろ手に白龍刀を振り上げ、大太刀を跳ね返す。

「なにぃっ?!」

 自身の膂力を跳ね返され、男は均衡を崩した。その男を周囲の二騎が助ける。男は隊長なのだろう。

 残っている騎馬が次々に斬りかかってくる。


 一瞬のうちに野は朱に染まり、残る三騎ほどが疾駆する星彩に追いすがってきた。


 なんとか囲みを突破した一桜は、無我夢中だった。白龍刀を横に構えたまま、星彩の手綱を強く振り続けた。

「緋耀!!」

 周囲を見渡す。遥か向こうに、土煙を上げる集団があり、漆黒の馬を巧みに操る姿が見える。

 しかし、後ろには追いすがる三騎がいる。


(ごめん、緋耀。どうか、無事で……!)


 心の中で祈りつつ、一桜はそのまま後ろの三騎を振り切るために、緋耀から遠ざかった。

 田畑が見えてきた。豊かな土地なのだろう、人家の数が多い。農作業をする人々が、土煙を上げて走る一桜たちを呆けたように見ている。

――この人たちを巻き込むわけにいかない。

 一桜は山へ向かって、必死に星彩を走らせた。


 なだらかな起伏を見上げると、白く荘厳な巨山の頂に黒雲が迫っていた。



 田園風景が途切れてしばらく、木々が鬱蒼としてきた頃から雨が降り出した。


 後ろを振り返る。さきほどまで追ってきていた騎影は、いつの間にか消えていた。


 一度、叫び声が聞こえた。雨はしだいに激しくなっていて、人も馬も足を取られやすくなっている。下を見ると、そんなに深くはないが谷になっていて、川が流れていた。雨のせいか流れが早く、しかも急速に増水している。そこに、馬がもがいてながされていくのが見えた。追ってきた騎馬だ。

「………!」

 一桜は谷底に向かって手を合わせた。

 合わせた手に付いた赤黒い血糊が、雨に溶けて流れていく。

 それはまるで、身に刻まれた呪詛のようで。


――たくさんの人を、あたしはこの手で斬った。


 急に恐ろしくなった。

 身を守るためとはいえ、なんということをしたのだろう。

 一緒にいた緋耀のことも、結局は見捨てたのと同じだ。

 震えが止まらないのは、雨のせいではない。


――それでも。


 逃げなくては。白龍刀を、武蔵ノ国へ持っていかなくては。


 その一心で、一桜は星彩の手綱を握り続けた。


 しかし雨はいよいよ激しく、遠くで雷鳴が低く轟きはじめた。

 星彩の足が鈍ってきたことにも、一桜は気付いた。

「ごめんね星彩……疲れたよね」

 昨日の夜から走り通しだ。しかも、かなり無理をさせていた。


 木々の密集した、少し雨の激しさを凌げる場所を見つけて星彩から降りた。


「待っててね、水を見つけてくるから」

 牛の胃で作られた水嚢を持って、谷を覗きこむ。

 轟々と音をたてて水が流れている。むき出しになった木の根からも、伝うように水が流れていく。おかげで、谷まで降りていかなくても水が汲めそうだ。

 谷に向かってむき出しになった根から、飲めそうな水が滴っていた。

 一桜は、下を見下ろした。

 落ちれば川に流されてしまうだろう。けれど、もう遠くまで水を探しにいく余力がなかった。

 頑丈そうなつるに捕まって、流れる水に手を伸ばす。

「もう少し…」


 もう少し。もう少しで水に届く……さらに手を伸ばした、そのときだ。

 

「きゃあ?!」


 浮遊感に汗がどっと噴き出るのがわかった。


 と同時に、身体が谷肌を猛烈な速さで滑っていく。

 異変に気付いた星彩がこちらを覗きこんで嘶いた。

「来ちゃ駄目!!」

 そう叫んだが、声にならなかった。冷たい濁流に身体が放り出されたのだ。


「―――!!」

 泳ごうとしても手足が自由にならない。凄まじい流れに身体が奔流され、思うように動かない。


――ごめんね、星彩


 星彩の悲しそうな顔が急速に遠ざかっていく――そこで一桜の視界は、真っ暗になった。


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