33 浄化
それは、鹿に見えた。
シミ一つない身体は真珠のような七色の光沢があり、角があり、一桜がやっと跨がれるくらいの大きさだ。
しかし、四肢の先にあるのは蹄ではなく獰猛そうな蹴爪であり、角は鹿のそれより長く、湖水色の目は人間のようだ。
その生き物はゆっくりと一桜に近寄ると、カッと目を見開いて嘶いた。
『おお……待ちかねたぞ、聖剣士』
その口からは嘶きの代わりに人語がこぼれた。
『陰謀により聖剣士の命奪われてから、我にも穢れによって呪詛がかけられ、長きにわたり魂を縛られ、自失の中にあった』
「あなたは……昔、聖剣士により封印されたという、九頭龍ですか?」
おそるおそる問いかけた一桜に、白い首が揺れた。
『是、であり、否、である。我は、古よりこの湖を守護する者。その名は、白龍と申す』
「白龍…?」
一桜は握った刀を見た。これは、何かの偶然か導きだろうか。
大垣村が古より守護してきたこの刀は、白龍刀だ。
『そう。一度は聖剣士により、正しく刀に封印された。しかし、それは陰謀だったのだ』
「陰謀?」
『何者かが、聖剣士に毒を盛った。その罪を、咎無き少女にかぶせて我の封印されし刀で少女を斬った。我は血の穢れにより恐ろしい魔物に変貌した』
「なんだって?!」
背後から、声が上がった。牛若が、呆然と立っていた。
「じゃあ…じゃあ、乙女が生贄にされたのは」
『陰謀を企てし者が、我を魔物のまま留めておくために、絶え間なく贄を差し出したのであろう』
「そんな……」
白龍刀を持つ手が震えた。
昔からの伝承も、乙女の生贄も、すべて王家が仕組んだということになる。
なんのためかは、わかりきっている。
「王家が政を行うためにそんな陰謀を……ひどい……!」
生贄にされていった乙女たちの苦しみは、いかばかりであっただろう。
それを思うと胸が潰れる思いがした。
「ふざけんな!!全部王家が思い通りにするための悪事だったんだ!!畜生!!許さねえ!!」
怒りに燃える牛若を、白龍の湖水色の双眸がじっと見つめた。
『我は、我の贄になった乙女たちの魂に報いる。やっと現れた聖剣士と共に、悪を浄化せん』
刹那。
白龍の姿が白く光り、まっすぐに空へ上がった。
そして、まるで花火のごとく閃光が弾けた。
「一鉱!見ろ、光が……」
弾けた光の一部が降りてきて、飴細工のように溶けて白龍刀に巻き付いた。
『我は、この地に留まる宿命を負う者。しかし、魂の一部は白龍刀と共にある。聖剣士の旅の助けとなろう』
「刀が…」
呆然とする一桜の手の中で、白龍刀がほの白く光る。
その光が収まったあと、柄には湖水色の玉が埋まっていた。
*
「龍が姿を変えたということか」
持国は歯ぎしりした。
「何にせよ、我が主の邪魔をしてくれたことに変わりない。八つ裂きにしてくれる」
不穏な音を立てて持国の指の中で刃の輪が回りだす。
「よせ、持国。あれは緋耀様が連れてこいと仰せになった少女だ」
「しかし」
「とにかく、この場所で今我らにできることは無い。緋耀様に一刻も早くご報告するのが先だ。行くぞ」
言うやいなや、広目の姿は杉の木立の中へ掻き消える。
「ちっ」
持国も、すぐに続いた。
*
「花火?」
社の方角を見やっていた緋耀は眉間の皺を深くした。
「何がどうなっている…」
そのとき、風が起こったかと思うと多聞の姿が玄天の足元に現れた。
「緋耀様、すぐに退避の御準備を」
常に冷静沈着な多聞には珍しく、焦りが見える。額から幾筋もの汗が流れていた。
「なんだ多聞よ、何があった」
「九頭龍神社の龍が、封印されました」
「なんだと?!どういう――」
「それと、相模、駿河両方面より軍隊が近づいております。その数およそ一万」
「はあ?!」
「相模方面の軍は東方鎮守府の旗が見えます。駿河方面からの軍は、旗は見えませんが…おそらく西方鎮守府の軍かと」
「……月白か」
緋耀は舌打ちした。
「俺を挟み撃ちしようってか。あの小心者のお兄サマの考えそうなことだ」
緋耀は虚空を睨むと、手綱を強く引いた。
玄天が嘶く。
「多聞!一時退避するぞ!」
「は!どちらへ」
緋耀はにやりと口の端を上げた。
「状況を逆手に取るのも、戦術の一つだ。魔物が封印されたのなら、大波はくるまい?」
「では」
「灯台下暗しってやつだな。退くにしても、このままでは俺も腹が収まらん。行くぞ!」
強く腹を締められた玄天は、勢いよく走りだす。
多聞の姿も、既にそこになかった。
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