34 反撃


 鬱蒼とした杉林に、馬蹄の音が響く。

 緋耀は疾風のごとく玄天を走らせていた。先行している多聞の馬が、遠く前方に見え隠れしている。鎧は既に脱いでいるので身体が軽い。玄天の疾走にどこまでも付いていける気がする。緋耀は両の足で玄天の腹をさらに締める。応えて玄天はさらに速度を増した。

 街道ではなく、芦ノ湖をぐるりと囲む林の中を走っていた。木々が密生していて走りにくいが、良馬なら難なく進める裏道だ。


「もうすぐ九頭龍村だな」


 木々の間から、独特の幾何学模様の家々が見え始めた。一見、山奥の集落だが、寄木の絡繰りを多用した家屋の造りはもちろん、やぐらの配置から道の通し方、田畑の位置まで、考え抜かれた要塞のごとき村だ。


「やはり、欲しかったな」

 緋耀は悔しそうに歯をかみしめた。


 九頭龍村が生贄を差し出して鎮めているという龍に目を付け、それを退治すると同時に箱根の関所を大水に沈め、民からの支持と箱根そのものを手に入れる――それが今回、大宰府より出張ってきた緋耀の計画だった。


 それを、月白によって足をすくわれた。


 少し前、箱根の関所で歓待の宴を開くと東方鎮守府から使者がきた。静藍は策を弄するタイプではないのでおかしいとは思っていたが、月白が裏にいたならば納得できる。

 二人とも兄ではあるが、性格は全く違う。

 静藍は骨の髄まで軍人であり、月白は根っからの策士だ。

 月白は何かの条件を提示した上で静藍を動かし、箱根で緋耀を討ち取るつもりだったのだろう。


「相変わらずイヤな奴だ」

 緋耀は月白が嫌いだった。異母兄弟だからか、幼い頃から会えば陰湿な言動で気分を害されることが多かったため、顔を合わせるのを避けるようになった。


 だからこそ今回、父・金剛王よりがあったとき、月白と直接ぶつからないよう、まずは箱根という作戦を考えたのだが。


「俺の邪魔したことを後悔させてやる」

 緋耀は口の端を上げた。九頭龍村はもう目前だ。


 たくさんの顔が積み重なるように彫刻された奇妙な柱の横で、多聞が馬を止めていた。ここが村の入り口なのだろう。

「お気をつけください、緋耀様。静かすぎます」

「確かにな」

 ここから見るかぎり、田畑や道に人影がない。

「櫓には、見張りがいるようだが」

 村のあちこちに櫓が立っているが、少なくとも一番近い櫓には人の気配がする。

「私が先に入ります」

 多聞が村の入り口に馬を進めた。その次の瞬間。


「!」


 宙を切る音が耳朶を打つ。反射的に緋耀は剣を抜き飛んできた矢を払った。

 それが合図かのように左右の櫓から次々と矢が降ってきた。


「緋耀様!」

 多聞が背負った武器を投げた。

 その円環状の武器は矢を薙ぎ払いつつ弧を描いて多聞の手に戻っていく。

 それは乾坤圏、と呼ばれる。

 禁軍の兵士はもちろん、一般の民は見たことも聞いたこともないような特殊な武器だ。

 見たことのない武器と意外な反撃に、櫓の上からの攻撃が止む。その一瞬の間隙に、緋耀が叫んだ。

 

「俺は九州の大宰府より物見遊山に来た者だ!ここの者たちに危害を加えるつもりはない!万巻宮司に会わせてもらいたい!」


「おまえらのような余所者に万巻様は会わん!!」

 櫓の上から怒号が響いた。

「物見遊山ならば街道を行け!」

「箱根の関所で、この村の女たちを大勢見たぞ」

「な、なに?!」

「村に帰りたがっていたな。俺は、関所から女たちを連れてくることができるが」


 静かになった。櫓の上で、何やら話し合っている。


 やがて、櫓から一人の男が降りてきて、鍬を構えながら近づいてきた。

「村の女たちが関所に連れていかれたことは、村の者以外に誰も知らん。なぜおまえたちが知っている」

 男は血走った目で緋耀と多聞を睨んでいる。緋耀は平然と言った。

「俺は、王家とゆかりのある者でな」

「なっ……そんな出まかせを信じると思うか!」

「どうとでも思え。確実なのは、俺が関所から女たちを連れてこられるってことだ」

 男は何やら考えこんでから、低い声で言った。

「ついてこい」

 鍬を担いで走り出した男の後から、緋耀と多聞は馬を歩かせた。


 田畑にも道にも人影はなく、ひっそりとしていた。唯一、櫓の上から食い入るようにこちらを見ている村人が見えるだけだ。

 多聞が馬を並べて、緋耀に並んだ。


「おそれながら、緋耀様。関所の女たちを連れてくるなどと…そんな約束をしてもよろしいのですか」

「多聞。広目と持国から連絡はあったか」

「いえ、まだ」

「あいつは…増長ますながはどうしている?」

「は……実は、増長はいまだから動きませんで…まったく困ったものです」

「いい塩梅だ」

「は?」

「広目、持国両名に伝えろ。急ぎ関所に行き、文殊に関所長の酒呑を足止めさせろと。その上で――」


 緋耀が耳にささやいた指令に、多聞は秀麗な眉を上げた。


「それはまた…しかし、うまくいくでしょうか」

いいのだ。迅速さも大事だ。早く青鳥せいちょうを飛ばせ」

「御意」


 多聞が青鳥を飛ばして間もなく、なだらかな坂の上に一際大きい門構えが見えてきた。


 門の周囲は幾人もの槍を持った男たちがいる。

 先導の男がその男たちに何やら話すと、男たちは顔を見合わせた。かなり動揺している様子だが、ややあって門が開かれた。


「こりゃすごい。見事な絡繰り屋敷だな」

 中へ玄天を進めた緋耀は、思わず目を瞠った。


 寄木細工の幾何学模様が見事なのはもちろん、いかなる絡繰りなのか門は重い鎖を巻き上げてひとりでに開き、閉じた。

 門が閉じた途端に庭の植栽が動き、玄関へと通じる道が現れたのだ。


 緋耀は玄天を降りると、先導してきた男に手綱を渡した。

「預ける。悪いが、水を飲ませてやってくれ」

 そうして、石畳の道を奥へ進んだ。


 玄関は開いていて、広い土間には誰もいない。

 上がり口の縁に、巫女装束姿の少女がぽつんと座り、丁寧に頭を下げた。

「いらっしゃいませ。ただいま、取次の者が参ります。しばし、お待ちください」



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