27 忍術
昔むかし、大厄災よりいまだ混沌が続き、魔物が跋扈していた頃。
人々を魔物から守ろうと、いつしか魔物を狩る者たちが出現し、魔物を斬る刀を作る里ができた。
そこで造られた刀を使う剣士は「聖なる剣士」と呼ばれ、各地へ魔物討伐の旅へ出ていた。
箱根山の芦ノ湖にも、古くから龍が棲み、近隣の村を悩ませていた。
芦ノ湖の龍は九つの頭を持つ大型の魔物で、一つ首を落としても死なない。生きている首があると落とされた首もすぐに復活してしまう。
そんなわけで、それまで幾人もの強者がやってきて退治を試みたが、皆、龍に呑まれて最期を遂げた。
そこへ、聖剣士がやってきた。
聖剣士は見事に次々と龍の首を落とすが、最後の首が「そなたの使い魔になる」と剣士に申し出たため、その首を残した。
龍は剣士に忠誠を誓い、剣士は村の対岸に社を建て、湖の底に聖剣の力を以て龍を封印した。
聖剣士は村人に大層感謝され、再び魔物討伐へ出発する聖剣士のために盛大な宴が開かれた。
その宴の席で、聖剣士は祝杯を干した後、大量の血を吐いて絶命した。
剣士に恋をした村娘が、剣士を引きとめるために、毒を盛ったのだった。
せめて黄泉の国でお会いしたい――そう言って、娘もその場で首を掻き斬り、息絶えた。
聖剣士の使い魔になった龍は、聖剣士が殺されたことに怒り、村を祟る。
以来、年頃の村娘を生贄にして出すことで、龍を鎮めているのだった。
「……というのが、この村に古くからある伝承だ」
芦ノ湖に向かって歩いていた。万巻の屋敷から、村の外れをぐるりと囲む杉林の道である。
「その風習で、今でも乙女を生贄に?」
「ああ。村娘が聖剣士を殺したのだから当然の報いだというのが、王家の言い分だ。魔物を封じた五色の刀の使い手、聖戦士を殺したのだからと」
牛若は最初に会ったときと同じ戦闘用の服に着替えていた。背には棍棒を背負っている。
「ま、自分たちの先祖を正当化するっつうのが、為政者のやり方だからな」
木の上から、幻霞が言う。杉の枝から枝へと、野生の猿のように幻霞は移動していく。
「伝承ってのは、民を縛る呪いでもあるからな。誰も過去の真相なんざ知ることはできない。だが、言い伝えではこうだ、と言われると、従わざるを得ない――芦ノ湖が見えてきたぜ」
杉の木々の間から、青い水が見える。
「牛若。先客がいるぞ」
幻霞が言うと、牛若は木々の間から目を凝らし、舌打ちした。
「長老衆とその取り巻きだ」
桟橋には、何艘もの小舟が繋いであった。その桟橋の手前に、髪の白い老人三人を囲むようにして木刀や弓を持った男たちがいる。
「どうすんだ?」
「舟はここにしかない。とにかく、行こう」
「正面突破しかねえってか」
幻霞が地面に降り立ち、牛若、一桜と三人で湖畔に出ていった。
髪の白い老人の一人がしわがれた声を張り上げた。
「牛若よ。言うたであろう。その西から来た少年を湖に出してはならぬぞ」
そうだ、と声が上がる。
「このところの雨で、湖が増水している。次に大波が起こったら、村が呑まれてしまうのだぞ!」
「そんな得体の知れない奴らを湖に出したら龍はますます荒ぶるぞ!」
「ふざけるな!!」
地の底から湧き上がり噴き出すような、叫び。牛若は顔を真っ赤にし、歯を軋ませた。
「目を覚ませ!! 己の頭で考えろ!! このまま王家の言いなりに、毎年乙女を生贄に出すのか!なんの罪もない乙女にすべてを押しつけて!!それが正しいことなのか!!」
空気を震わせるような怒号に、一瞬、辺りがしん、となった。鳥でさえ、さえずりを止めた。
「……乙女を贄として出すのは、この村が背負った罪ゆえ。仕方があるまい」
長老衆の一人が言うと、そうだ、と取り巻く村人から声が上がる。
「そんな昔の話、もういいだろう! 今まで贄にされてき乙女の犠牲で、もう十分罪を償ってきた! 今ここに、五色の刀があるんだ。生贄を出すより龍を封印できるかを試したほうがいいに決まっている!」
牛若は桟橋に向かって走り出す。男たちは長老衆を守って脇に避ける者と武器を構えるものに分かれた。
「牛若、おまえこそ目を覚ませ!」
牛若の棍棒の一撃を受けた男が叫んだ。
「おまえの姉だけ生贄を逃れるわけにはいかん! 掟に従え!」
「姉さんのためだけじゃない! 未来の問題だ!!」
牛若を取り押さえようと男たちは木刀や弓で応戦するが、十人はいる屈強な男たちを相手に牛若は見事に棍棒を操る。
「一鉱、幻霞!舟を出してくれ!!」
牛若が叫んだときには、男たちの数人が一桜と幻霞に向かってきていた。
「ちっ。素人相手に術は使いたかねえが、仕方ねえ」
幻霞はそう言うと、両手を素早く動かした。指で形を作り、宙を斬り、音を立てて息を吸い込む。
「風魔忍法、
幻霞の声であってそうでないような不思議な声が響く。
刹那、見る間に辺りが霧で覆われ、視界が真っ白になった。
「な、なんだこれは?!」
「急に霧が……!」
「おい、武器を下ろせ!仲間打ちになるぞ!!」
男たちはたちまち混乱して動きを止めた。霧の中、怒号だけが飛び交っている。
(これが忍術…)
呆然としている一桜の背後で、幻霞が鋭く叫んだ。
「走れ!ついてこい!」
「わかった!」
一桜は走り出す。何故だか、霧の中でも幻霞の姿だけは見えた。
幻霞は周囲が見えているのか、男たちの怒号の中をすり抜けるように走っていく。
必死に幻霞についていくと、横から風が起こった。
(誰かくる)
「!」
反射的に白龍刀を鞘ごと突き出していた。衝撃に腕が痺れた。
「すまん、一鉱か!」
霧の合間から並走する影は、牛若だった。
「大丈夫!牛若は幻霞が見えるか?」
「ああ。幻霞はたぶん視界が効いている。ついていくぞ」
幻霞の背を二人で追って、やがて足元が木の感触になった。
牛若が一桜の手を引いた。
「乗れ!」
咄嗟に飛ぶと、がたん、と船底に着地する音がする。重い着地音は幻霞だろう。
「一鉱!漕ぎ出せ!」
「わかった!」
一桜は船底に備え付けてあった櫂を手に取り、舟縁に降ろした。水の手応えがある。
「うんん…」
力入れて押すと、舟が動いた。
「貸せ、オレがやる」
幻霞が櫂を奪って動かすと、舟が滑るように動き出すのがわかった。同時に、霧が嘘のように晴れていく。
すっかり霧が晴れたときには、桟橋で怒号を上げている村人たちの姿がかなり遠くなっていた。
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