2 宝刀
儀式は日暮れと共に始まった。
ここは
厳かに設けられた祭壇を赤々と松明の火が照らす。
そこへ神官と大垣の
まっすぐ前を向いた双眸は凛々しく、
「
「ほんとよねえ。白藍の衣装が金茶色の髪に映えるわあ」
「なによりあの美麗な御顔立ちが…」
「誰が一鉱様に嫁ぐのかしら」
「花嫁候補も近いうちに発表されるのよねえ」
溜息と、そわそわした囁きが聞こえる。
日頃、一桜には話しかけてもこない彼女たちが、一桜の姿を見るなりワッと囲むようにやってきた。
「一桜、一鉱様にはどなたか心に決めた方がいるの?」
「花嫁のこと、何か聞いてない?」
娘たちの勢いにたじろぎつつ、一桜は首を振る。
「特には…」
何人かが呆れたように笑った。
「やあね、一桜に色っぽい話なんてするわけないじゃない。刀と騎獣にしか興味ないんだからさ」
「あ、一鉱様が祭壇に上がるわ!」
祭壇に上がった新たな村長を一目見ようと、娘たちは我先に移動した。
内心胸をなで下ろし、一桜もその場を離れ、広場の外側にある
今日は村が新たな長を迎える、特別な日。村人たちは子どもも大人も祝宴に参加する。櫓には見張りはいない。
だから櫓の上が唯一、一人になれる場所だ。
櫓から、黄色い声で騒ぐ村娘たちを眺め、一桜は溜息を吐く。
「男に生まれたかったなあ…」
一桜は騎獣が好きだ。
馬も好きだが、神社などで大切に飼われ特別なときしかお目にかかれない妖獣も好きだった。
騎獣に乗って走ると嫌なことはすべて忘れられた。
刀技を習うのも好きだ。「女性の体」になるまでは、兄と一緒に道場へ通った。村で一桜に勝てる男子はおらず、父に使える侍衆の男たちくらいだ。
しかし一桜は女の子だ。
村長の家の子ではあるが、家を継ぐ長子でもなければ戦に出る男子でもない。
騎獣を操るのが上手くても、刀技に優れていても、誰からもそれを認められることはない。父などはあからさまに嫌な顔をする。
一応は村長の家の子であるため、無視されることはない。しかし、同年代の村娘たちから変わり者だと思われている。
自分を取り囲むぬるい敬遠。
一桜は、それに倦んでいた。
「べつにいいんだけどさ」
同年代の娘たちが興味を持つような恋や結婚の話には関心のない一桜だ。距離を置かれた方がラクであるしありがたい。
けれど、こんなふうに儀式や祭典が行われる日は、少し居心地の悪さを感じてしまう。
今日の儀式が、兄の成人の儀式だから、というのもあるかもしれない。
心地よい春の夜風に目を細める。広場を見れば、儀式は滞りなく進みついに最高潮の場面を迎えていた。
祭壇の前にたつ長身の姿に、一桜は桜色の唇を尖らせた。
「そりゃ兄さまは素敵だけどさ」
学問に秀で、人柄も穏やかで眉目秀麗。村娘たちが騒ぐのも無理はないと思う。
一桜も、幼い頃は本気で兄の嫁になるのだと思っていた。
「でも……刀技はあたしの方が強いんだから」
一桜が唯一、兄と張り合えるのは、刀技のみだ。
昨日も「儀式の後に披露する奉納の
「見た目は似てるって言われるんだけどなあ」
少しクセのある、陽に透ける金茶色の髪も、同じ色の双眸も、兄と同じである。両親や親せきには、二人はよく似ていると言われた。
「兄さまは素敵って褒めそやされるけどさ」
一桜は、いつも叱られてばかりである。
いつも、兄と比較される。
あたしは、なんだろう。
いつも頭の片隅にある問い。それがまた、頭を煙のようにぐるりと回ったとき、朗々と祝詞を唱える僧官の声に気づき、眼下に目をやる。
『ここに村長の長子、一鉱を美濃ノ国大垣村の新たな長として迎え、戴冠し、この宝刀を授ける』
一鉱が祭壇の前で玉冠を戴き、宝刀を振り上げると、夜闇が揺れるほどの歓声が沸き起こった。
*
「一桜!」
一鉱は満面の笑みで迎えてくれた。
祝宴が始まっている。御馳走が次々と振舞われ、皆、飲んだり食べたりを楽しんでいる。今なら兄と言葉を交わせる――そう思って、一桜は幕内を訪ねたのだ。
そんな兄の笑顔が眩しくて、一桜は慌てて頭を下げる。
「
「なんだ、急によそよそしいな。いつも通りにしてくれ」
「でも…もう村長となられたのですから」
「おまえは私のたった一人の妹だ。気安くするのは私が許す」
戴冠した一鉱はいつもにも増して輝かしく見えるが、その笑みはいつもの慈愛に満ちたもの。
一桜はホッとして、ぎこちなく微笑んだ。
「ありがとう……兄さま」
一鉱も微笑み、傍らにある剣を手に取った。
「宝刀、白龍刀。初めて手に取った。思ったより、重くてね」
「うわあ……」
一桜は食い入るように剣を眺めた。
古よりこの地に伝えられる、宝刀、白龍刀。
一桜も、こんなに間近に見るのは初めてだ。
中ぶりで、やや細身。白銀の柄や白塗りの鞘は伝説の白龍を模していると伝えられている。
「持ってみるか?」
「え?」
「小さい頃から、持ってみたいって言っていただろう?」
「で、でも」
一桜は周囲を見る。幕内なのでそんなに人はいないが、それでも。
「今日の儀式の後は、
一鉱は刀を持った手を突き出した。
白龍刀……
小さい頃から憧れていた伝説の刀。
ちょっとくらいなら……
ためらいながらも誘惑に勝てず、一桜は両手で刀を受け取った。
「重いから気を付けて」
一鉱が気遣ってくれる。
(あれ?)
刀は、まったく重さを感じなかった。
(どうして?)
不思議に思いつつ、手に吸い付くようなその感触に気持ちが高揚した。
――すごい。
嬉しくなった一桜は刀を手に構える。
鞘を抜いて刀身を見てみたい――そう思ったとき。
「一桜!!」
鋭い声にハッと我に返ると、いつの間にか父が怖い顔で立っていた。
「なんということを! 宝刀は主を選ぶ刀ぞ! 汚すでない! 災いが起こる!!」
ただならぬ怒号に、周囲の人々の視線は村長親子へ向けられる。
「父上。私が一桜に持たせたのです。お許しを」
すかさず一鉱がとりなすが父は怒りの形相を崩さない。
「女のくせに日頃から武芸や騎獣にかまけおって、恥を知れ!」
「ご、ごめんなさい父さま…」
一桜は急いで地面に膝を付き、剣を捧げた。
「もう触りません。お許しください」
「二度とならぬ。次は獄へつなぐぞ!」
「父上、それは言い過ぎでは――」
「黙れ! 刀の主ではない者が宝刀に触れるは、それほどの大罪ぞ。一鉱、刀を佩き、表へ出よ。神官や役人に挨拶をするのだ」
父はさっさと幕内から出ていった。
一鉱は秀麗な眉を悲しげに翳らせた。
「ごめん一桜。私のせいだ」
「いいえ。兄さまは悪くない。あたしが掟を破ったから」
「父上は気が立っているんだ。王家軍がいつも目を光らせているから……おまえも知っているだろう」
「うん、わかってるから大丈夫だよ」
優しかった父が変わってしまったのは、少し前。
現国王・金剛王が、少しでも王家に反意ありとみなした村や国を次々と処断するようになってからだ。
「明日一緒に饅頭を食べよう。祝い用にもらったのがあるんだ。今日は宴から抜け出せそうにないからな」
一鉱は悪戯っぽく微笑むと「おやすみ」と一桜の頭を撫で、父のあとを追った。
「兄さま……ありがとう」
一桜は、まだ刀の感触の残る手を胸の前で合わせた。
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