3 紅蓮


 父に叱責された後。

 なんとなく決まりが悪くなり、一桜は再び櫓に登った。


 心地良い春の朧月を眺め、祝宴のさざめきに耳を澄ませているうちに、どうやら寝てしまったようだ。


 

 目が覚めたのは、振動に気付いたからだった。


(これは……騎蹄の響き)


 一頭や二頭ではない。

 一桜はハッと身を起こし、櫓から身を乗り出した。


「なに、あれ……!」


 一桜はその光景に釘付けになった。


 夜闇の中、こちらに向かってくる大群の騎影。

 一糸乱れぬ動きのそれは、まるで黒い一頭の獣のようだ。

 そのところどころに月明かりを弾く金色の旗が翻っている。

 一桜は目を瞠った。


「国王軍の旗だ!」


 金地の御旗みはたは、国王軍の旗以外にあり得ない。


「どうして?!」


 災いが起こる、と言った父の声が脳内にこだまする。

 白龍刀の感触が罪の意識と共に手に蘇る。


(――まさか、あたしが宝刀に触ったから……)


 村の城壁のすぐ外で黒い獣が二つに分かれるようにしてぞわりと広がった。見る間に村を取り囲んでいる。 


「知らせなくちゃ……!」

 そう思って、櫓を降りようとしたときだった。


 轟、と夜闇が揺れ、一瞬にして城壁の外側が赤く染まる。


「う、嘘……?!」


 真っ赤な炎が村の城壁をぐるりと囲み、闇を舐めるように燃え上がっていく。


 どこかで非常時の鐘が打ち鳴らされた。

 祝宴の酔いがまだ残る男たちは、おぼつかない足取りで家々から出てくる。


「ダメだ……出ていってはダメ!!」


 一桜は本能的に叫んだ。

 しかし城門を開こうとしている男たちには聞こえない。


「ダメぇええ!!」


 一桜の叫びは、男たちの悲鳴となだれ込む騎蹄の音にかき消された。


 黒い獣はバラバラの騎影となり、村を埋め尽くしていく。

 一桜は櫓を駆け下りた。


「!」


 反射的に、櫓の柱に隠れた。


 悲鳴が聞こえる。女性や、子どもの泣き声。剣戟の音と肉を断つ音が鮮明に耳に届く。粘り気のある飛沫が、飛んできた。

「やめて……やめてぇえ!!」

 叫んだが、騎蹄と炎の轟音にかき消される。


――戦わなければ。


 一桜は走り出した。武器を、刀を取らなくては。そう思って全力で走る。闇を燃やす炎の中、どこをどうやって走ったかもわからず、屋敷を目前に見たとき、風を切る音が耳朶を打った。


「!」

 咄嗟に避けて身を翻し、地面に転がった。


 見上げれば、槍を持った数騎の兵士に囲まれている。

「ほう……悪くない獲物だ」

「待て、すべて殺せとのお達しだ」

強姦ったら殺すんだ、同じことよ」


 兵士たちは騎獣に乗ったまま、槍を突き出してくる。どうやら炎のせいで騎獣が興奮していて、降りられないようだ。騎獣を繰って一桜を追い詰めようとするが、うまくいかない。どうやら騎獣の扱いもあまり上手くない下級兵士のようだ。


――これなら逃げる機会チャンスはある!


 震える足を叱咤し、嬲るように突き出される槍を必死に避ける。避けながら、騎獣の合間を抜けようと探る。


――いまだ。


 わずかな隙間、騎獣と騎獣の間に屋敷の門が見える。一桜は走った。走り抜けたと思った刹那、凄まじい力で引っ張られ地面に倒れた。

「うっ……けほっ」

 あまりの衝撃に一瞬息ができなくなる。そこへ、業を煮やした兵士が一人、騎獣を降りてきた。


「てこずらせやがって」

 兵士が一桜を殴った。視界に火花が散った。

 こめかみに、生温かい物が伝う。

「う……」

 下卑た笑い声を上げる兵士は、皆、赤い。

 炎のせいで赤く見えるのか、伝う血が目に入ったのか――


「がほぉっ?!」


 突然、一桜に馬乗りになっていた兵士が奇声を上げ、血泡を吹いて倒れた。


「一桜!大丈夫か!」

「カズヤ?!」


 兵士を斬ったカズヤは、他の兵士の一撃をも刀で弾き、得意げに一桜を振り返った。

「俺だってやるときゃやるだろ?おまえには負けるけどさ」

「カズヤ…」

 ホッとして泣き笑いだ。カズヤは、繰り出される槍を次々と受け流していく。

「走れ一桜!屋敷に入れ!」

「でも」

 カズヤは応戦しているが、兵士の背後からも別の小部隊がこちらに向かってきているのが見える。

「いいから走れ!今ぐらいカッコいいとこ見てくれよ!結婚したら男は女の尻に敷かれるんだから!」

「え?」

「ここを生きのびたら結婚してくれ!」

「け……って、えええ?!」


 いきなりの求婚プロポーズに一桜は言葉もない。


「だから行け!!」

 一桜は、屋敷を振り返る。見れば、門には村人が幾人も逃げ込んでいき、門は内側から閉じようとしていた。非常時、村人は屋敷に避難することになっている。


「カズヤ!あんたも一緒に!門が閉まる!」

「わかってる!まずおまえが走れ!」

 じりじりと屋敷に近付いているのは、カズヤが目の前の二騎に押されているからだ。

――あたしに刀があれば。

 今いる二騎に加え、迫る騎影は五、六騎。二人で立ち向かえば門が閉まる前になんとか押し返せる。

「待っててカズヤ!すぐに刀を取ってくるから!!」

 一桜は屋敷に向かって走り出した、刹那。

「ぐはっ」


 不吉な音に振り返れば、槍先がカズヤの背を突き抜けている。


「カズヤっ?!」


 カズヤは槍の柄を持ち、凄まじい声を上げ、柄ごと兵士を騎獣から振り落とした。

 見る間にカズヤの背が朱に染まる。

「いやだぁっ!!カズヤぁっ!!!」

 兵士がカズヤを足蹴にする。もう一騎の兵士が槍をその上に突き出した。


「一桜様!!」


 屋敷の門から村衆たちが叫ぶ。

「門が閉まりますぞ!お早くお入りくだされ!!」

「いやだぁっ!!カズヤ!!!」

 駄々っ子のように泣き叫ぶ一桜に村衆の男が数人、素早く駆け寄ってきた。


「いけません!気を確かに!!」

「カズヤ!カズヤぁっ!!」


――赤い。何もかもが、紅蓮の炎に呑み込まれていく。


 狂ったように泣き叫ぶ一桜を抱え、村衆たちは門の内に滑りこんだ。




 後続の小部隊が屋敷の前に迫ったとき、重い門が地鳴りを立てて閉まった。





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