29 異形
鬱蒼と茂る杉林。
見上げれば、枝が空を覆い隠すように広がる。
社に向かう道は、誰が整えているのか真っ白な玉砂利が敷かれていた。
牛若、一桜、幻霞が玉砂利を踏む音だけが、かすかに響く。
「これが龍の社か。空気がぴりぴりしていやがる」
幻霞が臭いを確かめるように大きく息を吸った。
「幻霞もここは初めてなのか」
「あたりまえだろ。ここは、この辺りじゃ聖域だ。いくら俺様だって聖域に踏み入るほど罰当たりじゃねえよ」
肩をすくめた幻霞が、少し眉をひそめた。
「それにしてもなんか、におうな」
言われて、一桜も鼻を動かす。
「――うん。そうだね。なんだろう、この匂いは」
「おそらく、万年香の匂いだと思う」
前を歩いていた牛若が前方を指し示した先。
黒々とした、大きな藁葺の建物がそびえていた。
「毎年、生贄にされる乙女は大量の香を持ってここに渡されるんだ。そして、社に着いたら、祭壇に香を供えて焚く。香は、一年ほど香り続ける。そして、新しい生贄の乙女がまた香を供える。そうやって、ずっと香が焚かれ続けるんだ」
確かに、目の前の社から匂いが流れてくるようだ。
「香?それにしては、妙な臭いだな。どっかで嗅いだような…」
幻霞はまだ臭いを気にしていた。社の前に着くと、確かめるように建物の裏を覗きこんで、首を傾げる。
「うーん、香もそうなんだが、なんていうかこう、もっと違う臭いがするだろう」
「違う臭い?」
一桜は大きく息を吸い込む。
確かに、香にしては変わった匂いだと思うし、何か別の臭いが紛れているような気もするが、はっきりとはわからない。
「忍者って、鼻もいいんだね」
「まあな。それにしても――」
幻霞はぐるりと社の周囲を巡って戻ってきた。
「臭いも妙だが、造りも妙だな」
社は、どの方向から見ても同じ造りだった。大きな両開きの扉があるだけ。正方形の巨大な社だ。
「うん。村にも、養老山にもおおきな社があるけど、似てるけど何かが違うような…」
幻霞が、そうか、と手を打った。
「床だ。普通、社の床ってのは、高床になってるもんだろ。でもここは、普通の家のように地面に床が接している」
「確かに」
神社の、特に本殿の建物は組まれた土台の上に建っている。一桜は、その床下に入って遊んで、大人たちに怒られたことを思い出した。
「この社の真下に、龍が棲んでいるらしい」
ぽつりと、牛若が言った。
「乙女が社に入ると龍が社に現れ、乙女を喰う。村の長老が言っていた」
「まじか!じゃあ、この微かに臭う、腐った水みてえな臭いは――」
幻霞と一桜の視線が合う。
「いるのか。龍が」
牛若が頷いた、その時だった。
「!」
異臭が鼻腔を突く。腐った水のような臭い。香の匂いに紛れていた何かの正体。同時に、地面がぐらりと揺れた。
「何かくる!!」
一桜は思わず叫んだ。
全身に鳥肌が立っている。地面が震えているのか、我が身が震えているのかわからなかった。全身にその何かの気配が伝わってくる。
地の底を這う気配。
(――追われている)
そう思った刹那、轟音がとどろいた。
「伏せろ!!」
幻霞に襟首をつかまれ、地面に伏せる。木片や石が飛んでくる。
「幻霞!」
幻霞は一桜をかばって身を伏せている。その幻霞の腕の間から、一桜は信じられないものを見た。
「龍……あれが」
社の屋根から鎌首をもたげ、こちらを見下ろす巨大な影。
蛇のようだが、頭部に二本の角がある。
「あれが、伝説の九頭龍」
牛若も言葉を失っている。
幻霞は降ってきた社の残骸を振り払い、魚鱗の手甲から小型の刃物を静かにしかし素早く抜く。
「伝説の龍なんて神聖なもんじゃねえよ。ありゃあ、異形の魔物だ」
異臭を放つ泥にまみれ、鱗の色もわからない。鋭い鉤爪を持つ前足が、社の黒藁葺を木の葉のように潰していた。ゆらゆらと動く頭部の中で、二つの濁った黄色い目だけが爛々と光っている。
地獄から吹く風のように不気味な声が、響いた。
《待ちかねたぞ、我が贄よ》
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