30 格闘


「しゃべりやがった…性質たちの悪いヤロウだ」

 幻霞は舌打ちすると一桜の前に立ちはだかった。

「ここに来る前にオレが言ったこと、覚えてるな?」


 危ないと思ったら、おまえを連れて逃げる。武蔵ノ国へ行き青龍刀の持ち主に会うことが最優先だ、と。


 幻霞はそう言った。しかし。


「でも……五色の刀をここまで持ってきてるのに!」

「でももクソもねえ。ありゃあおまえの手に負えるもんじゃねえ。聞いただろ?奴は喋る。しゃべる異形は魔力が強い。おまえが封印の方法を探してそれを発動する間、オレと牛若はおそらくもたない。五色の刀があるからってなんでもできるわけじゃねえんだぞ」


 一桜はムッとした。


「龍をなんとかしなかったら水害が起きてこの辺り一帯は水に沈んでしまう! なんでか知らないけど、関所はそれを企んでる! それを阻止できる可能性があるのは、五色の刀なんだ! まだ何もしてないのに諦めるの?!」

「ああそうだ!人間諦めが大事だからな! それが生き延びる秘訣――っておわっ!!」

 ひゅ、と何かが風を斬った。幻霞と一桜はそれを反射的に避けた。


「「蛇?!」」


 一桜と幻霞の間に数匹の蛇が身をくねらせている。見ればそれは龍の鎌首から次々と飛び出してくる。


「言わんこっちゃねえ。一桜、早いとこ逃げるぞ――っておいっ!!一桜!!!」

「社に牛若が!牛若も連れていかないと!」


 一桜は龍に向かって、正確にはその下にある社に向かって走り出した。


「馬鹿野郎!! 戻れ!! 戻ってこい!! 死ぬぞ!! オレはこんなところで死ぬ気はねえ!! 畜生!! 逃げるからな!!!」

 幻霞は一桜の背中に叫んだ。その間にも、不気味な威嚇音と共に蛇が降ってくる。それを幻霞は手にした鋭利な刃物――風魔苦無くない――で斬りはらう。

 見れば一桜は龍のすぐ下、社の近くまで達している。半壊した社の傍に、牛若の姿があった。

「……ええいっ、くそったれが!!」

 次の瞬間、幻霞は社に向かって地面を蹴っていた。



「あった」

 牛若は、瓦礫の中から一枚の大きな板を取り出した。


 それは吹き飛ばされた祭壇の一部、万年香が捧げられていた台である。


 数百年もの間、香が焚かれたその台は燻され、芳香を放ち、この異臭の中にあっても見つけることができた。

 その板を裏返して、牛若は頷く。

「おそらくこれが……真の言霊だ」


 それは遥か昔、「大いなる厄災」以前、異国より伝わってきた呪力のある言葉だという。

 異国の言葉ゆえ、牛若には何かの記号にしか見えないが、一つの文章のまとまりとして記されていることはわかる。


 村中をどれだけ探しても見つからなかった「真の言霊」。それは万巻宮司でも知らず、どこかに秘されていると聞いた。

 灯台下暗し――真の言霊は本宮にあるのでは、と牛若は考えた。そしてその予想は当たっていた。


「これを早く、一鉱に」

 辺りを見回すと、一鉱がこちらに向かってくるのが見えた。禍々しい異臭が強烈になり、龍の身体から蛇が次々と落ちてくる。

 牛若は背の棍棒を抜き、振り回した。

「きりがない!」

 振り落としても振り落としても、蛇は降ってくる。たいていは気味悪いだけの害のない長蟲だが――


「危ない!!」


 声に牛若が振り返った刹那、白刃が閃いた。


 一鉱が振るったその刀がまむしを両断する、そう思った瞬間。


 蝮は光の粒子となって霧散した。


「あれが五色の刀の威力……」

 一鉱が振るう刃に当たる傍から、蛇は肉塊を飛び散らすことなく、霧散する。

 その様を茫然と見ていた牛若は、一鉱に肩をつかまれて我に返った。

「牛若!龍を封印する方法は?!」

 牛若は慌てて足元に守っていた板を拾う。

「これだ。これが『真の言霊』だと思う。伝承に倣うなら、これを龍に向かって唱えるんだが…俺には読むことができない」



 牛若が差し出した板を見て一桜は呻いた。

(なにこれ!!ぜんぜん読めない!!)

 異国の言葉だろう、見たことのない文字が刻まれている。ひとまとまりの文章になっていることはわかるが、一文字も読めない。

(兄さまと一緒にもっと勉強しておけばよかったーっ)

 悔やんでも遅いし、時が無い。


 白龍刀で蛇が不思議な消え方をするのがわかってホッとしたのも束の間、目の前に封印できる方法があるのに解読できないとは。


「牛若!どこか一か所でも解読できないか?」

 「それは古の異国の言葉で、俺もまったく読めない…すまない!」

 牛若が苦しそうに言った。棍棒をふるい、蛇から一桜と板を守ってくれている。


(そうだ、今いちばん苦しいのは、牛若だ)

 村のため姉のため、ここまでやってきたのに、無念だろう。


 牛若の頭上に振ってきた蛇を白龍刀で振り払い、一桜は牛若と背を合わせた。

「封印すべきもの、封印できる方法はわかってる。粘って、必ずなんとかしよう」

 できるだけ明るく、一桜は言った。



 牛若は瞠目した。この状況の中、一鉱はうっすら笑んでいる。

(これが五色の刀の使い手というものなのか)

 その昔、聖剣士と呼ばれた強者。心技体、すべてが揃った、比類なき剣士。

 同時に牛若は、一鉱の腕をつかんで飛び退った。大きく開いた龍の顎が、二人のいた場所を大きくかすった。


《なんじゃなんじゃなんじゃ……おとなしく我に身を捧げよ》

 怒りに満ちた咆哮が空間を歪ませる。


「俺や一鉱に喰らいつこうとした?どういうことだ。贄は乙女じゃなくてもいいのか…?」

 牛若は突如、一鉱の腕を離した。

「『真の言霊』を持って、村に帰れ!万巻様なら、それを解読できるかもしれない」

「何言ってるんだ牛若!ここで退いたら龍を村に呼んでしまうことになるぞ!!」

「いいからおまえは五色の刀と『真の言霊』を守るんだ!それがあれば村はきっと守れる!ここは俺が時間を稼ぐ!!おまえを死なすわけにはいかない!!」

牛若は思い切り一鉱を突き飛ばした。

 


 玄天が低く嘶いた。その首筋を、緋耀は軽く叩いてやる。

「よしよし。おまえも感じたな、この揺れを」

 地面が揺れている。水面にも、揺れの振動が伝わっている。地震ではない。湖の底から何かが蠢いている気配。


「出たな、魔物め。数百年もの間、身体はさぞ腐っているだろうな」

 緋耀は鎧の下でにやりと口の端を上げる。

「多聞、持国と広目から狼煙は?」

「いえ、まだ。しかし、二人は舟に乗り、社方面へ向かった模様」


 望遠鏡で確認を終えた多聞は、その異国渡りの利器を恭しく主に差し出した。


「結界の破壊は成功したのでしょう。しかし狼煙を出さぬのは、何かあったのかと」

「うむ、そうだな。多聞、行ってくれるか」

「御意」

「ついでに、万巻宮司の様子も見てこい」

「は」


 短く返答があったときには、もう多聞の姿は消えていた。入れ違いに、愛らしいツーテールの美少女が現れる。


「緋耀さまぁ、あたしにも何か言いつけてくださいぃ。あの鬼ゴリラに色目使われて気持ち悪いぃ……働いてないと吐きそうですぅ」

 本当に吐きそうな顔の『文殊』に、緋耀は笑った。

「おう、文殊はオレと来い。龍退治だぞ。楽しそうだろ」

「えっ、出てきたんですか龍。見たい!見たいですぅ」

「万巻宮司の結界が崩れ、龍が芦ノ湖に出現、芦ノ湖畔は水に沈み民が悲しむ中、南方鎮守府大将軍が龍を退治してこの地を平定する……て筋書きなんだが。肝心の龍がまだ社の中らしくてな」

「えー、そうなんですかぁ? あの嫌味コンビ、仕事しくじったのかな。あたしがちょっとお仕置きしてきましょうかぁ?」

「今、多聞が様子を見に行った」


 緋耀は望遠鏡を覗いた。何か、どす黒い物が蠢いているのが見える。おそらくあれが龍だろう。結界が壊れたのに、なぜこちらへ来ないのか。


「とりあえず、関所の軍と合流する。が、オレの指示ですぐに動けるよう、オレの軍は前方にまとめておけ」

「はぁい」


 言うやいなや、文殊は消えた。

 文殊のいた場所をじっと見つめ、緋耀はふと呟く。


「一桜……巻き込まれてないといいが」

 四天王には一桜の特徴を伝え、それらしき少女を見たら保護するように申し付けてある。

「ま、この渦中に居合わせても、あいつならなんとか切り抜けるか?」

 そんなことを思い、ふと笑む。こんなにも、一人の女について考えたことなどなかった緋耀にとって、新鮮な感情だ。


「龍を片付けて、手に入れる」

 箱根も、一桜も。


 緋耀は玄天の馬首を返した。





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