31 少女


「牛若ーーーっ!!!」


 突き飛ばされた一桜は派手に地面に転んだ。

 牛若は龍に向かって真正面から駆けていく。その背を追いかけようと立ち上がりかけた――そのとき。


 蛇が数匹、ばらばらに刻まれて降ってきた。


「幻霞?!」

 一桜をかばうように立ちはだかった幻霞の腕には、蛇の返り血が無数に散っている。 

「先に逃げてって言ったのに――」

 言い終わらないうちに額を小突かれた。

「俺を逃がそうとするとか、百万年早いわ……ってあのバカ少年っ、なんで龍に突っこんでんだ?!」

「わからないけど時間がないの!幻霞、これ」

 一桜は《真の言霊》が刻まれた板を幻霞に見せた。「ここに書いてある文字が《真の言霊》らしい。これをあたしが唱えればいいみたいなんだが、読めなくて――」


 言い終わらないうちに幻霞が板をひったくった。


「こりゃ真言じゃねえか!!」

「真言?」

「古より呪力のあるとされる梵語ぼんごって言語がある。その梵語で編まれた呪文だ。俺も少しは読めるが……」

「幻霞、読めるの?!」

 一桜は幻霞の胸をつかんだ。

「解読して!!早く!!」

「苦しいっ、わかったから落ち着けっ、読むから蛇追っ払え!!」

「わかった!」


 どちらかが応戦していないと蛇はあとからあとから降ってくる。

 威嚇音を発して襲いくる蛇に、一桜は白龍刀を振るった。蛇は白く光り、霧散していく。


イキなことするじゃねえか!」

 言いながら幻霞は一桜から板を取り上げた。


「オン・ア……キャ、ベイロ……マカ……ボダ………ニ、ハ………ジン…ヤ、ウン、だな」

「え?!なに?!」


 聞いたことのない発音に一桜は混乱する。蛇が次々に降ってきて聞き取りに集中できない。


「耳の穴かっぽじってよく聞けっ!オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンド・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」


 一桜が復唱しようとしたとき、生臭い異臭が強くなった。

 背筋がぞわり、としたとき、背後から異形の声がとどろいた。



〈我が贄、乙女よ。その穢れなき身を我に差し出せ――〉


 

 赤黒い顎がぐわと開くと同時に、鋭い牙が迫ってきた。



「くそっ、なんでだ」

 生贄は、乙女でなくてもよかったのではないのか。


 すぐに仕留められる位置にいるのに、龍は牛若に見向きもせず、一鉱へとじりじり近付こうとしている。幻霞がやってきて応戦するのが見えた。

「なんとかしないと」

 牛若は龍のあぎとに向かって走った。


 二人は、もともと無関係な客人だ。

「巻き込んだのは俺だ」

 村の未来のためというのも、嘘ではない。


 しかし、やはり、姉・琴を助けたいというのが本心だった。


 早くに死んでしまった両親の代わりに、牛若を育て、年老いたじじばばの面倒も見てきた琴。

 そんな琴が、生贄に選ばれた。

 将来有望な涼竹という、素晴らしい相手と結婚することが決まった矢先だった。


 姉と、涼竹という新しい家族が加わった幸せな未来を守りたい。

 そんな自分の都合で一鉱と幻霞を巻きこんでしまったのだ。

 それなのに、一鉱は快く五色の刀の封印を試すと言ってくれた。こんな状況になっても、なんとかしようと笑ってくれた。


 なんとしてでも二人をここから生きて脱出させなくてはならない。


「龍よ!!贄はここだーっ!!」

 あちこちから降ってくる蛇を棍棒で弾き飛ばし、叫びながら走る。

 龍の顎が見えてきたとき、横から風を感じた。

「?!」

 反射的に避けた。しかし、腕に火のような熱さを感じた。見れば、一文字の傷から血があふれている。


「ほう、避けるとはたいしたものよ」

「万巻宮司といい、箱根は放ってはおけぬという緋耀様のご判断はさすがの慧眼」

 いつの間にか、牛若を挟むように長身の人影が立っていた。


 二人とも、涼竹のように美しい男だ。しかし、鋭い目つきと独特の斑草色はんそうしょくの衣装はこの者たちが特殊なことを示している。

「おまえら……忍の者か。幻霞の仲間か」

 波打つ薄茶色の髪の男が笑った。

「あんな風魔忍びと一緒にしてくれるな」

 両手の指に、輪のような物が回っている。おそらく牛若を傷つけた武器だ。

「それに、貴殿には我らの邪魔をしないでいただきたい」

 短く刈り込んだ髪の男が穏やかにそう言ったとき、何かがこちらに向かって飛んできた。

「なに?!」

 一瞬だった。おもりの付いた紐が牛若の手に巻き付いていた。

「龍退治は我が主の仕事。それと、あの少女には我らと一緒に来ていただかねばならぬ」

「少女? 女はここにはいない」

「貴殿はわかっておらぬか。まあいい。白龍刀を持っているのは間違いなく少女であると主から言われているのでな」

「そんな――」

 牛若は一鉱と幻霞の方を見る。


 村から社まで、舟を出しても大波が起こらなかったのはなぜか。


 龍が、執拗に一鉱を追っているのはなぜか。


「嘘だろ……」

 しかしそうだとすれば、すべてつじつまが合う。


 一鉱は、少女なのだ。


「あの少女を餌に龍を芦ノ湖に引きずり出す」

 いとも簡単に言ってのけた男に、牛若は叫んだ。

「やめろ!!そんなことしたら大波がきて、村が沈んでしまう!!」

 薄茶色の髪の男が、くすりと笑んだ。

「安心せよ。我が主が龍退治に御出陣なさる。村や関所が水に沈むことなど、些末なこと」

「やめろーっ!!」

 棍棒を振ろうとした刹那、右手に激痛が走った。錘の付いた紐が手首に食いこんでいる。

「動くな。手がちぎれるぞ。持国、あの少女を連れてこい」

「はいはい。まったく広目は人使いの荒い」

「あの風魔忍びとこの少年に、我らが少女を連れ出すまでの時間を稼いでもらう。少年、望み通り贄になるがいい」

「………!」

 本当に手首がちぎれそうで動けない。

 薄茶色の髪の持国という男は、あっという間に一鉱たちのいるところまで到達した――と思った刹那。 


 その場所で閃光が弾けた。





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