8 機略


「ここで服を脱げないなら、一緒に詰所へ来てもらおう」

「……!」


 一刻も早く武蔵ノ国へ行かなくてはならないのに。

 ここで捕まれば、一鉱から託された村再興の願いがついえてしまう。

 気持ちとは裏腹に凍りつく自分の身体に、憤りを感じる。


 一桜は兵士の手を振りほどいた。

「あたしは、お探しの野盗じゃありません」

「じゃあ、それをここで証明しろ」


(服を脱ぐ、たったそれだけのことだわ!)

 自分の中の自分が叱咤する。


「……わかりました」


 兵士も役人も手を組んで高みの見物を決め込んだ。

 一桜は覚悟を決め、長衣の前止めを外していく。鎖骨や白い首元が露わになったところで、役人がいやらしく息を呑むのがわかったがなんとか堪えて、長衣を脱ぐために白龍刀を下ろそうとした。


「あーっ、いたいた!どこ行ってたんだよ!」


 大声にどきりとして、緩めた背負い紐を胸の前でぎゅっと握った。その手を、がっしりとつかんできた大きな手の主を見上げる。


 背の高い、よく日に焼けた顔に、笑った白い歯が眩しい。


「刀は護身用なんだから、重くても降ろすなって言われただろう?まったくこれだから新人は……って、あれ? なに? なんかヤバイ雰囲気?」


 睨んでくる兵士と仏頂面の役人を交互に見て、青年は悪びれずに笑った。


「いやあ、すみません。うちの新人がなんかやらかしました? なにせ、初めて商いに連れてきたもんで」

「なんだ貴様は。この者の連れか」

「はい。薩摩の乾物商の息子です。駿河ノ国まで荷を運んでます。今回は荷が多くて、手伝いにこの新人を連れてきたんですが、使えないヤツでね。なんか迷惑かけました?」

「この者が、捜索中の野盗に似ているので検めようとしていたところだ」

「はあ、そうだったんすか。すみませんね、紛らわしくて……あ、うちの農園のサトウキビで作った黒砂糖、美味いっすよ。食べます?」


 懐から袋を二つ出して、少年は兵士と役人に渡した。

 じゃらり、と重そうな音がする。黒砂糖とは思えない音だ。


(――お金?!)


 一桜は思わず青年を見上げた。

 青年はにこにこして兵士と役人を見ている。


「う、うむ。黒砂糖はこの辺りでも珍しいからな。ありがたくもらっておく」

「どうぞどうぞ。で、オレたちもう行っていいっすか?」

「うむ。通ってよし」

「失礼しまーす」


 人懐っこい笑顔で青年は兵士と役人に頭を下げ、自身の馬を引く。


 漆黒の、美しい馬だ。

 一桜は思わず見惚れた。


 重そうな荷を積んでいるが、引き締まってよく手入れもされている。俊足なのは足を見ればわかる。かなり高価な馬だろう。

 商人だと言っていたが、相当に羽振りの良い商家なのだろうか。


「ほら、ぼさっとするな。行くぞ」

「え、あ、はい」

 青年に促され、一桜は星彩を引いて検問所を通り過ぎた


(助かった……!)


 額の汗を拭い、胸をなで下ろす。


「あからさまにホッとすんな。どこから見張られてるかわかんねえぞ」


 頭上で囁かれた低い声に顔を上げる。青年は相変わらず人懐っこい笑みを浮かべて馬を引き、視線は港の船を見ている。鼻歌でも歌っていそうな表情のまま、さらに少年は囁いた。


「それ、白龍刀だろ?」

 目を瞠った一桜を見て、青年はにやりと笑った。


「大当たりだな」

「あなた、誰?」

「命の恩人にそんなコワイ顔すんなよ。オレは緋耀ひよう。仲良くしよーぜ」


(どうして白龍刀だとわかったの?!)

 商人だと言っていたが、着ているすずしの衣服を見てもこの辺りの人間じゃないことは確かだ。


 話せる人間だろうか。

 飄々と歩く顔からは、何を考えているのか予想もできない。


 いや。

 話せるか話せないかではない。自分は、行かなくてはならないのだ。一刻も早く、武蔵ノ国に。


 一桜は立ち止まった。


「緋耀さん」


 長身の背中が、振り返る。

「緋耀、でいいけど。おまえの名は?」

一桜いおです。助けてくれて、ありがとうございました。駿河ノ国に行くって言ってましたよね。あたし、行き先が違うので、ここで失礼します」


 深々と頭を下げて踵を返し、武蔵ノ国方面の船を探そうと星彩を引いたとき、腕を掴まれた。


「待てよ」

 浅黒い顔が間近に迫る。彫りの深い精悍な顔の中、ぞくりとするくらい青い双眸が光る。


。白龍刀と一緒に」

「なっ……」


 言いかけた言葉を、一桜は呑み込んだ。肩に回された腕の下から、短刀を突き付けられている。

(速い!)

 動きが見えなかった。短刀を出したのさえ気付かなかった。


「わかったか?」

「……あなた、商人じゃないわね」


 緋耀は可笑しそうに肩をすくめた。


「おまえも、親戚の家に届け物に行く娘じゃねえだろ?」

「目的はなに?」

「おまえの知ったこっちゃない」


 緋耀は隙なく短刀を一桜に突き付け、大きな帆船が停泊している方へ歩き出す。

「ま、おとなしく一緒にいてくれれば手荒なことはしない。どうせなら、道中楽しくいこうぜ。よろしく、一桜いお

 白い歯を見せて笑う青年は、まったく悪びれた様子がない。傍から見れば、腕の下で隙なく短刀を突き付けているようには見えないだろう。


(反撃ができない)

 一桜は唇をかむ。こんなことは、初めてだった。


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