17 戦略
「幻霞さん、星彩に乗ってください」
峠を目指して沢づたいに山を上っていた。一桜は星彩を降りて手綱を差し出す。
「ぜんぜん休んでないじゃないですか!」
少し先の大岩の上に立って物見をしていた幻霞が、振り返った。
「何言ってんだ。さっき休んだぞ?」
「あれはお昼ご飯食べただけじゃないですか!」
しかも幻霞は、見張りをするからと木の上で立って食べていたのだ。
「ここ数日、あたしの看病もしてくれていたから疲れているでしょう? せめて星彩に乗ってください。こう見えて、あたし山を歩くのは慣れてるし得意なんですよ」
幻霞は、珍しいものでも見るかのように、大岩の上から一桜をまじまじと見た。
「おまえ、めっちゃいい奴だな」
「……ありがとうございます。それより、早く乗ってください。星彩も気にしてますよ、幻霞さんのこと」
「星彩は、俺が一桜に危害を加えないかを気にしているんだ。主思いだからな」
幻霞はにやにやと言う。つかみどころがない。冗談なのか、本気なのか。
一桜を青龍刀の持ち主のところへ案内する――それは幻霞の目的ではない。幻霞は、王家内部で何が起こっているのかを確かめるために、東の様子を見に行くのだと言った。
――それは、何のために? 誰のために?
幻霞には、おそらく一桜にはすべてを話せない目的があるのだろう。
一桜は、そう思っていた。
しかし忍者であり地の利に通じた幻霞は、心強い同伴者だ。
一桜と一緒にいるのが何かのついでだとしても、行動を共にできるのはありがたかった。
だからこそ、思惑はどうであれ幻霞に無理をしないでほしかった。
一桜は、再び手綱を差し出した。
「さ、どうぞ」
それを見て、幻霞は人懐っこい笑みを浮かべた。
「ありがとな。だが、まったく大丈夫だ、つか、かなり元気だ。移動中に昼メシ食べれるなんて、普段の仕事中はまずあり得ないからな。てことで、遠慮せずに星彩に乗ってろ」
心配する一桜とは対照的に、幻霞はあっけらかんとしていた。沢に点在する大岩を、まるで猿かモモンガのようにひょいひょいと渡っていく。
「もう。大丈夫かな、ほんとに」
星彩が幻霞の向かった先を見て、ぶるっと首を振った。幻霞はあんな軽口を叩いていたが、星彩は幻霞を心配しているのだ。
幻霞の姿が遠くなっていたが、しばらくすると大岩を飛ぶように戻ってきて、一桜の前に降り立った。
「この先の山の中に、少し開けた場所がある。今夜はそこで野営する」
一桜は慌てて空を見上げた。太陽は中天より傾いているが、日暮れにはまだ時間がある。
「まだ明るいですし、頑張って歩けば、今夜のうちに芦ノ湖を抜けられるんじゃ――」
幻霞が大きな掌を広げて一桜の言葉を遮った。
「そう焦るな、一桜。朝から移動しっぱなしだし、おまえは肩の傷もまだ完治してない。だいぶ疲れた顔してるぞ」
「へ、平気です。幻霞さんだって大丈夫なんだから、あたしも」
「忍者の身体能力は普通の人間のそれとは比較にならねえんだよ。俺と比べるバカがいるか」
「でも――」
「それに、星彩も休ませてやらんと。そいつ、辛抱強くて従順そうだからな。おまえが休めって言わないと、潰れるまで走るぞ。いいのか?」
一桜は、慌てて星彩を見る。確かに、かなり汗をかいているし、朝より足が鈍っている。
見知らぬ山の中を、ずっと歩き走りしてきたのだ。
「ごめんね、星彩」
一桜は、額を星彩にくっつけた。それを見て、幻霞が諭すように言う。
「夜は獣はもちろん、魔物との遭遇率が上がる。芦ノ湖に近付くほど、龍の瘴気に集まる魔物が増えるしな。確かに少し早いが、今、安全な野営地を確保したほうがいいんだ。その分、明日の朝早く出発すればいい」
「……はい」
「おまえが焦る気持ちもわかる。村のことを思えば、一刻も早く青龍刀の持ち主のところへ行きたいだろう。だが、そのためには休むべき場所で休め。安全を確保しろ。それが結局は一番の近道だ」
幻霞の言うことはもっともだった。
*
伊勢ノ国、桑名大社。
連翠殿、貴賓室。
「月白様、芦ノ湖に放った者より、南方鎮守府大将軍に接触したとの知らせがまいりました」
繊細な金細工の茶器を持った手が、止まった。
「で?弟君は?」
「は。喜んで招きに応じ、関所の駐在所へお立ち寄りになるとのこと」
ははは、と軽やかな笑いが高い天井に響いた。
「あいつにしては珍しく、茶番を打つんだ。で、饗応の馳走を食べて、影武者が一人死ぬ、と。そんな可哀想な生贄まで出して時間稼ぎか。あいつは何がしたいんだろうねえ?」
「おそらく、月白様の御考えになっている通りかと」
「んー、やっぱりそうかぁ」
紙のごとく薄い茶器には、琥珀色の芳香漂う茶が入っている。それをゆっくり飲み干し、月白は音も立てずに茶器を置いた。
「兄上に青鳥を飛ばしておいて、よかったな」
「いかがいたしましょう」
月白は立ち上がり、白い軍服の裾を美しい所作で払った。
「僕は桑名が気に入ったから、しばらくここに滞在するよ。引き続き、箱根の関所にいる者とは連絡を取ってくれ」
*
相模ノ国、東方鎮守府。
奥の敷地を囲む鎮守の森に、一羽の大きな鳥が降り立った。
高い木の梢に泊まったその鳥の前に、枝に腰かけた人影が肉片を差し出す。
すると、鳥は軽くひと羽ばたきして、革手甲に覆われた腕に泊まり、肉片を啄んだ。
その頑丈そうな足に、紙がくくり付けてあった。
人影は紙を器用に外して開き、中に目を通すと、鳥を枝に泊まらせた。
刹那。
人影は一気に地面へ飛び降り、奥の敷地――五重塔の方角へ走り去った。
ほう、と鳴いた鳥は、腹が満たされたのか、大きな丸い目を閉じた。
*
「静藍様。東の動きを探らせていた者より、梟が」
その人影が差しだした紙片を開いて、静藍は目を通す。
「……これは面白い」
端麗な口の端が上がった。
「このタイミングでそんな動きがあろうとはな。引き続き梟の連絡を密にせよ。それと、箱根の動きも知らせるように」
「御意――」
人影は応えながらすでに姿を消していた。
「面白くなってきた。さあ、私の言葉を伝えに飛ぶがよい」
静藍は執務卓の横の鳥籠を開ける。
宝石のような青い小鳥が飛び去っていくのを眺め、静藍はわずかに笑んだ。
「相変わらず姑息な弟には辟易するが、今回ばかりは褒めてやろう」
冷たい美形が、さらに冷たさを帯びる。青い双眸は冬に凍てつく湖を思わせる。
「あの御方が優れているのは、その姑息な土俵に相手も乗せてしまうところだな」
その言葉に、静藍が振り返った。
そこに、いつのまにか背の高い男が立っていた。
髪の赤い、筋骨隆々とした男だ。身に付けている鎧も、見事に赤い。精悍な眉に目尻の下がった双眸で、なかなかの伊達男である。
男は静藍を見て穏やかに微笑んだ。
「相手を乗せるのが上手いのだ、あの御方は。労せず自分の思うように
「うるさい幸村。おまえは別働隊だ」
「えー、箱根の関所じゃないのか。久しぶりに温泉行きたいんだが」
「任務が終わったら箱根でもどこでも好きなだけ入れ。この国は温泉だらけだからな」
「お、言ったな。遠慮なく好きなだけ入るぞ。ついでに背中を流してくれる美女も付けてくれると、最高だな」
「青龍刀を持ち帰ったらな」
静藍の言葉に、赤い男は不適に笑んだ。
「なぁるほど。別働隊とは、そういうことか。青龍刀……武蔵ノ国か? あそこは温泉、ないんだよなあ」
幸村がぼやくと、静藍は長い指で一枚の紙を弾いた。ひらり、と宙に舞ったそれは幸村の手元に見事に落ちる。
それを見た幸村の表情が、変わった。
「おまえ、これは」
「彼の国の詳細な地図だ。青龍刀の持ち主の所在は、おそらく他の王族にはまだ知られていない。東方鎮守府副将軍、
それまで人を喰ったような横柄な態度だった幸村が、神妙に片膝をついた。
「御意。この幸村、必ずや青龍刀を持ち帰って御覧に入れます」
言うや否や、赤い髪を翻し、幸村の姿は東方鎮守府から消えた。
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