16 青鳥


「龍?!」

 一桜は思わず叫んだ。

「龍って本当にいるんですか?! 遭遇したらどうするんですか?!」


 一桜は以前、祖父に聞いたことがある。

 この蓬莱国には魔物が棲む。

 その地方に昔から棲み付いていて、人里に出るものもあれば、何もしなければ悪さもしないし人と関わることもないものもいる。そういう魔物でもしかし、うっかり尾を踏むようなことあれば、人など簡単に喰われてしまうほどの凶暴さを持つ。その最強種が、龍だと。


「やっぱり、なんとかして箱根の関所を通ったほうが」

 一桜の言葉を遮るように、幻霞が大きく息を吐いた。

「知らないようだから言っておくが、あそこは国中の関所の中でも最低最悪の難所だ。東方鎮守府の精鋭、その中でも武芸に秀でた変態ばかりが集まってる。怪しい旅人は問答無用で捕え、えげつない拷問、輪姦の後は遺体を山犬に喰わせるってなことを平気でやる連中だ」

「そんな…………!」


 あまりのことに一桜が言葉を継げないでいると、幻霞は困ったように頭を掻いた。


「な? わかるか? 正直、俺一人ならなんとか逃げ切れるだろうが、おまえを守りながらとなると、微妙だ。確かに龍の出る道はかなり危険だが、うまく通れれば面倒事は無いし生きのびる可能性も高い。箱根の関所は整備された道だが、はっきり言ってどちらかが命を落とすか捕まる。最悪、二人ともだ。俺たちは両方生きのびる必要がある。俺たちの目的は、箱根を超えた先にあるんだ。そうだろ?」

「それは……そうですけど」


 一桜も守ってもらうつもりはない。襲われれば戦うつもりだ。しかし、自分の戦闘能力では幻霞の足手まといになるだろう。

 はぐれてしまった黒い騎影――玄天と緋耀の姿が脳裏をよぎり、胸が痛む。あの時も、思い返してみれば、緋耀の足手まといだったのかもしれない。

 大垣村では、兄が、父が、村人が、殺され傷付けられるのを、ただ見ているしかなかった。


 これ以上、一緒にいる誰かを失いたくない。


 一桜は、膝の上で掌を握りしめた。

「……わかりました」

 顔を上げた一桜を幻霞の漆黒の双眸がじっと見つめる。そして、ふわっと笑った。

「よし。いい子だ」

 幻霞は大きな掌でわしわしと一桜の頭を撫でると、地図を指でなぞった。


「いいか。この愛鷹あしたか山中から、少し下って箱根方面に入り、川に沿って芦ノ湖を目指す。街道沿いは国王軍の兵がいる可能性があるから、基本、山の中を通るが……星彩は大丈夫か?」

「はい。山には慣れています」

「やっぱりそうか。世話すればわかる。良い馬だな、あれは」


 幻霞は心からそう言っていると感じて、一桜は嬉しくなった。


「だが、人にも馬にも、なかなか厳しい道行きだ。覚悟しろよ」

「わかりました」


 こうして、幻霞と一桜と星彩は、芦ノ湖に向かって出発した。



 相模ノ国、東方鎮守府。

 海を臨む高台にあるこの場所は、かつて古のつわものが建てた神の社があった。

『大厄災』によって世界が一度終わった後、神の社のほとんどは崩壊したが、奇跡的に残った一部の社殿を増改築して東方鎮守府は造られた。


 中でも、五重にそびえる塔は、この東方鎮守府を象徴する建物であり、ここを統括する大将軍の執務室がある場所でもあった。


「静藍様」

 呼ばれた人物は、長身を銀色の欄干に預けることもせず、後ろ手に背筋を伸ばして遠くを見据えている。

「なんだ。視力の鍛錬中だ」

「は。申しわけございません」


 かしこまったのは、女だ。

 人形のような冷たく整った顔、豊満な身体の曲線美。肌の露出の多い服とも言えぬ服には、目のやり場に困るほどだ。たわわな太腿に下げられた革袋からは、数本の刃物の柄が何かの装飾のように飛び出している。


 女は後ろ手にしていた手を、主の前に恭しく差し出した。


「西方鎮守府大将軍からの青鳥しらせにございます」

 やはり刃物の――こちらは細く繊細な刃物だが――の柄が装飾かのように刺さる腕の先に、目にも鮮やかな青色の小鳥がとまっている。


 身じろぎ一つしなかった濃青色の軍服が、振り返った。

 顔にかかる藍がかった黒髪が、濃青の軍服に映える。彫りの深い端整な造作の中で、切れ長の青い双眸が鋭く細まり、青鳥を見る。

「月白か。ロクな用ではあるまい」

「は。されど、この青鳥、金餌にて」

「なに?」

「いかがいたしましょう」


 青鳥は妖鳥、妖は餌に鉱物を好む種類が多い。

 青鳥もそうで、その餌は青鳥の階級により、屑玉、琥珀、黒曜石、碧玉、金、と分かれる。

 金餌の青鳥は、長く正確に文章を記憶でき、動きも俊敏なため絶対に捕まらない。最高機密のやりとりに使われる、青鳥の中でも希少な個体だ。


 静藍は少し逡巡した後、懐から小さな袋を取り出し、中から米粒ほどの金を出した。

 すると宝石のような小鳥はすぐに静藍の手にとまり、金の粒をついばんだ。

 その様子を眺め、静藍は青鳥に向かって呟いた。


「私は東方鎮守府大将軍、国王第二子水宝宮すいほうのみや静藍なり。汝が用件を述べよ」


 その声に、金粒をついばんでいた青鳥が首を上げ、およそ小鳥のさえずりとは程遠い、柔らかい軽低音声テノールを発した。


『私は西方鎮守府大将軍、国王第三子水晶宮すいしょうのみや月白にございます。お久しぶりです、静藍兄上。 美濃ノ国大垣村のことで、ご相談したいことがあり、青鳥しらせを飛ばしました』

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