18 焚火


 生い茂った原生林の中、その場所だけは何かの印のようにぽっかりと存在していた。

 草花が生い茂ってはいるのだが、地面がまるで切り取られたように、そこだけ周囲の山野と違うとはっきりわかる。


「遥か昔、おそらく大厄災の前に、何かの目的で拓かれた場所なんだろう」


 言いながら、幻霞は簡易なほろを張るための場所を見繕っていた。一桜いおは星彩から降りて、水草の茂る池を覗きこんでいるところだった。

「この池、わざわざここに造られたんでしょうか。星彩が飲んでいるから、澱んだ水じゃないみたいだけど…」

 幻霞は呆れたように肩をすくめる。

「なんだってこんな山奥に池やら砂場やらがあるのか、わからんな。大厄災前の人類ってのは、酔狂なことをするもんだ」

 言いながら、ちょうどいい高さに張り出した枝に、手際よく幌を張っていく。

「これでよし、と。あとは火だな。一桜、乾いた枝を集めてくれ」


 二人で枝を集め、火を熾すまであっという間だった。


「幻霞さんて、本当にいろんなことがを素早くできますよね」

 謎の四角い物体を炙る幻霞の顔が、火に照らされている。よく見れば、幻霞の顔には頬に三本線の傷がある。

「あたし、忍者って初めて見ました。なんでもできて、強いのに……」

「なんでもできて強いのに、なんでコソコソ隠れるようにして生きてるのかって?」

「あ、いえ、そんなつもりは」

「いいんだ。そう思うよな」


 幻霞は苦笑し、器用に炙っていた物を一桜に差し出した。


「まあ、食え。見た目ほど悪くないぞ」

 その四角い物体は、薄い茶色に草が混じったようなもので、細長く串に差してある。ヨモギだろうか、微かに青臭い。

「……甘い!」

 思わず一桜は目を見開いた。想像していたのと違う。ほのかに甘い、餅菓子のような。

「だろ?」

 幻霞は嬉しそうにニカっと笑った。

「これはな、薬羹やっかんという」

「薬羹?」

 初めて聞く食べ物だ。

「種々の薬草といくつかの食物を混ぜて作った、忍者特有の保存食。忍びの里によって、混ぜる物は変わるが、薬と食料の機能を両方兼ね備えている点では同じだ」

「すごいですね。薬の機能もあるなんて」

「旅の途中、路銀が足りなくなるとこれを売って小銭を稼ぐんだ」

「たしかに……これは売れますよね」

「おう。売れる。高値で売れる。忍者にしか作れない保存食だからな。でも俺たちはよほど困らない限り、薬羹を売らない。なぜだか分かるか?」

「それは…」


 一桜は考える。売れば儲かる物を作れるのに、売らない。隠れ里にひっそりと暮らす、忍者。


「はは、そんなに真剣に考えこまなくてもいい。この話をしたのは、それがさっきの答えだからさ」

「さっきの?なぜ、いろいろなことができるのに、人里離れて暮らしているのか、ですか?」

 幻霞は頷いた。

「忍びの里に伝わる秘密が、俺たちの命を守るんだ」


 一桜は薬羹をかみしめながら幻霞を見る。その表情は、炎に目を細めているのか、諦観の笑みなのか、区別がつかなかった。


「薬羹だけじゃない。他にも、薬や医術や、忍びの里で秘伝されているものは多くある。古来より、時の権力者は、忍びの秘儀を欲した。それらを厳しい掟で秘することによって、俺たち忍者の存在意義を保っているんだ」

 一桜は、手元の薬羹を見つめる。

「でも、それじゃあ、忍者の人たちには自由がないってことですよね」

 切ない。それは。

「はは、まあな。だが、仕方ない。そうするしか、俺たち忍者の生きのびる道はない。権力者にとっちゃ、俺たちは両刃の剣だからな」


 生きのびる道。


 一桜も含め、大垣村の人々も、青龍刀の持ち主に助力を請い、村を再建しなければ、西方鎮守府の支配下にいるより生きる道はない。


――みんな、必死で生きているんだ。


 一桜は、薬羹の一口ひとくちを、よくよく噛みしめた。


「なんだなんだ、そんなシケた顔すんな。あ、そうそう、食ったらこれに着替えろよ」

 幻霞は明るい声で、荷物から布を出した。

「服、ですか? まだそんなに汚れては」

 怪訝げな一桜に、幻霞はちっちっと手を振る。

「変装するんだ。男に」

「なるほど」

 すぐに納得した一桜に、幻霞は目をしばたたかせる。

「え? 驚かねえの? 男に変装なんてイヤーっとか言わねえの?」

 一桜は思わず笑った。

「言いませんよ。もともと、男として村を追われているから」

「へ?」


 一桜は、大垣村が襲われた夜のことを話した。


 幻霞はその話を、目を閉じてじっと聞いていた。


「あたしは、殺された兄の代わりに、白龍刀を持って逃げてきたんです。自分が兄・一鉱だと偽って。生き残った村の人たちも、死んだのはあたしで、兄が生きて白龍刀を持ち出し、村を再建してくれると信じています」

「――そういうわけだったのか」


 幻霞はなにやら真剣な表情でしばらく黙っていた。

 あんまり幻霞が黙っているので、一桜が慌ててしまったほどだ。


「あ、でも、気にしないで下さいね! いいんです、あたしってもともと、村でも存在感薄かったし。兄が生きてるってことがみんなの希望になるなら、あたしは死んだことになっててもいいんです」

「――よくねえよ」

「え?」

「誰だって、生きてていいんだ。生きてるうちは、そいつのありのままで、ただそこにいていいんだ」

「幻霞さん……」

「だからよ、おまえは一桜として、変装しろ。おまえの兄にな。いいか、変装だぞ。なりきるわけじゃねえ。誰にも、誰かになるなんてことはできねえ」

 幻霞はそう言って、一桜の腕に衣類一式を押しつけた。

「明日、芦ノ湖を安全に渡るために、ある村に行く。そこじゃ、女だってことを悟られたらならねえ。バレたら――生贄にされる」







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