19 思惑
次の日、日が昇り始めてすぐ、幻霞と
「芦ノ湖の向こう岸には、大きな社があってな。箱根の龍は、そこを棲み家にしていると言われている」
幻霞は、鬱蒼とした草を短刀で遊ぶように刈っていく。その後ろを、一桜は星彩を引いて歩いていた。
幻霞は鼻唄まじりに歩き、短刀を振るう。遊んでいるようにしか見えないのに、一桜と星彩が歩きやすい道ができている。しかも、かなり長い時間こうして進んでいた。
湿気が多く、かなり汗ばみ、体力を奪われる道のりである。
(幻霞さん、大丈夫なのかな)
美濃ノ国は山が多く、一桜は山道に慣れていて自信もあったのに、かなり消耗している。
(忍者って、すごいな……)
幻霞はずっと同じペースで草を刈り、話し続けている。それなのに平然としている。鼻歌まで口ずさんでいるのだ。
足手まといになってはいけない。
幻霞の目的がどうであれ、心強い同行者であることは間違いないし、なにより、幻霞は優しかった。素朴なその優しさが、一桜の心細さを和らげてくれることがありがたかった。
なんとか幻霞のペースに付いて行かなくては。
武蔵ノ国は遠い。まだ、箱根の関を越えてもいないのだ。
「目的の村は、その社の、近くなんですか」
息が上がっていることに気付かれまいと、できるだけ平静を装って聞いたつもりだったが。
「なんだ、おまえ、疲れてんなら言えって。病み上がりなんだからよ」
あっさりと見抜かれてしまった。
「もう少しだから、ちっとそこまで辛抱しろ」
幻霞がそう言ってからほどなく、草むらが途切れ、人馬が通れるように整備された山道が現れた。
「ちょっと休憩だ」
切り株を一桜に勧めると、幻霞は木の棒で地面の土をほじっている。
「何してるんですか?」
覗き込むと、横に細長い、いびつな円が描いてある。
「これが、芦ノ湖だ」
木の棒の先が、いびつな円を差す。
「んで、ここに社がある」
幻霞の前に、社を表す鳥居。
そして、幻霞の右、いびつな円の先端に、大きな三角形が描かれた。
「これは、箱根の関所だ」
「芦ノ湖畔にあるんですか」
「ああ。でもって、こっちが」
幻霞の左側、いびつな円の先端に、木と思しき物が三本、描かれた。
「鎮守の大木だ」
「なんですか、それ」
「こっから先は龍の縄張りだから入るな、っていう境界線だな。で、この鎮守の大木と箱根の関所までの湖畔。ここが、目的の村――九頭龍村だ」
「ずいぶん細長い村ですね」
「実際に村人が暮らしているのは、ほんの一部の土地……この辺りだ」
幻霞は木の棒で、細長い湖畔の一部分を囲った。そこは、ちょうど社の対岸にあたる場所だ。
「湖も九頭龍村の一部だ。この社もな。村人は、舟で湖のこちら側とあちら側を行き来する。その舟に乗せてもらおうと思っている。そうすれば関所を通らず、武蔵ノ国に入れる」
「話はわかりました。でも、その社には龍が棲んでいるんじゃあ……」
「おう」
幻霞は指先を地面に付けると、その手で一桜の頬を軽くはたいた。
「な、なんで汚すんですか?!」
「せいぜい汚くしてろ。バレなきゃ、関所を通るよりこっちの方が速くて安全だからな」
「それとこれとは」
「まあ聞け。村人が舟で行き来するのは、一つには社に近い場所に魚がたくさん捕れる場所があるから。そしてもう一つは、龍に生贄を捧げるためだ。毎年、春から夏にかけての時期に、村から乙女が差し出される」
「春から夏? じゃあ、ちょうど今頃なんじゃあ…」
「そういうことだ。わかったか? 絶対、女だってバレないようにしろよ。箱根を突破すりゃあ、武蔵ノ国はすぐそこだ」
幻霞は、ニッと親指を突き立ててみせた。
*
相模ノ国を出たその大型船は、追い風を白い帆にはらみ、快速で洋上を進んでいた。
甲板の上では、赤い装束の長身が身を乗り出して金属製の長い筒を覗いている。
「これはすごい。かなり遠くまで見える。これ、なんつったか……」
「望遠鏡でございますよ、幸村様」
傍に控えていた小柄な少年が答えた。
「大陸からの商船より、
少年は、くるりとした目で幸村を見上げて溜息をついた。
「幸村様は大胆で、戦上手で、剣技は蓬莱国一の完璧な軍人ですけど、思慮深さが足りませんよ。御従弟であらせられる水宝宮大将軍を少しは見習われませ」
「静藍を見習うだあ? イヤだね、俺はあいつみたいに部屋の中でネチネチ考えるのは苦手なんだ」
「この蓬莱国を背負って立つ御方には必要なことと存じます」
世間で「赤紅将軍」と恐れられる主を少しも恐れず、悪びれもせず、淡々とダメ出しをする可愛らしい少年を、幸村は呆れたように見やった。
「いつもながらサルは厳しいなあ」
少年――
「わたしが厳しくしなけりゃ、誰が幸村様に厳しくするんですか。人の言うことなんてまったく耳に入れない御方ですのに」
「違いない」
幸村は豪快に笑った。
「サルが俺の目付役で、俺は戦担当。ってなように、人には役割ってもんがある。執務室で策を考えるのは、静藍の仕事だ。俺は、静藍が思うままに己の道を進めるように、道を――拓く」
一閃。
幸村の抜いた刀は、風景をも切り取ってしまうかのように、宙を斬った。
その先に、陸地が見える。
「見えてきましたね。あれが紀伊半島ですか。神の国への、入り口だという」
雷太が興奮したように船縁から身を乗り出し、頬を上気させた。
「神の国、鎮守の森。そんな隠れ蓑なんぞ、俺には通用しない。青龍刀は、俺が必ず手に入れる。静藍のためにな」
幸村は、獲物を狙う獅子のように、口の端を上げた。
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