37 巨木
芦ノ湖畔には杉の木が密生している。松も多いが、杉が圧倒的に多い。
昼なお暗い杉林。
その中を、馬と変わらない速さで移動していく影が三つある。
そのうちの一つが、ふと跳躍して木の上に飛び移った。
「どうした、多聞」
後続の影が下から見上げた。「鎮守の大木はもう少し先だ」
杉の枝に立った影が大きく息を吐く。
「あそこに着く前に、おまえたちに言っておこうと思ってな」
すると、地面のもう一つの影がくすりと笑った。
「はあ?何を?我らはちゃんと任務を果たしたのに完全なる徒労に終わったことを笑おうっての?」
――刹那。
不満たっぷりな様子で肩をすくめた影の前に、黒い影が降りてきた。
「それだ、持国。そのひねくれた思考を即刻やめろ」
「ひねくれたくもなるさ。多聞はずっと緋耀様と一緒だったからいいよな。我らは緋耀様からの指令通り、あの枯れ木みたいなお爺さんを眠らせて、あのおっかない社に行ったんだ。龍を湖に引きずり出すためにさ。なのに龍は目の前で封印されちゃって、こんな山奥を走り回って、我らの動きはすべて無に帰したんだ」
「無駄ではない。持国と広目が万巻宮司の動きを封じてくれたことが今ここにきて幸いしている。宮司が寝込んでいなかったら鎮守の大木に隠してあるあれをこうも簡単に貸してはくれなかっただろう」
紅玉宮緋耀の四天王筆頭にそう言われて、持国も気を良くしたのか、先ほどまでのとげとげしい態度を急にひっこめた。
「えー、そお?ならいいけど。じゃ、断然楽しみになってきたな、あれに乗るのが」
「そういえば増長のヤツ、ずっとあれの傍にいるようだが、大丈夫なのか?ただの自分の趣味であそこに残ったんだぞ、あいつは」
多聞が頷いた。
「心配ない。趣味で残ったからこそ、あれは今ごろ増長の玩具になっているだろう。あとは緋耀様の御意向を伝えて指令を実行するだけだ。急ぐぞ。西方鎮守府軍がこちらにくる」
多聞、持国、広目は再び杉林を疾走した。
*
芦ノ湖北西部。
湖の幅が狭くなる湖畔には、常に霧が立ち込めている。
杉林がもっと鬱蒼と、原生林と混ざりあうこの場所は、不思議なことにいつも霧が出ている。そして昼でもうすら暗い。
そして、この辺りには魔物が棲む。
ヒトに化ける狐のようなあまり害のないものから、人や獣を襲って喰う恐ろしいものもいる。
鎮守の大木は、そんな魔物から箱根に住む人々を守るために立っている。地元の、特に九頭龍村の人々からは聖なる木と崇められている。注連縄が新しいのは、毎年九頭龍村の人々が取り替えるからだ。
大人が五、六人で囲むほどの太い幹のクスノキが三本、湖畔の最端に行くことを阻むように鎮座している。
ここから先は入ってはならぬ――そう言っているようだ。
「ここに入るのか……やっぱ、増長は変人だよね」
持国が苦笑する。
「僕もたいていのものは怖くないけど、この先に行くのは嫌だな。緋耀様の命令じゃなかったら絶対行かない。本能が拒否してる」
「同感だな」
広目が言った。「ヤツは本当に、この向こうに行ったのか?」
「文殊の話では嬉々として行ったようだ」
多聞は指をさす。その先には、大木と大木の間の地面があった。
巨木の根が、まるで魔物の足のように張り出したところが苔むしており、よく見るとその一部分が剥がれている。
「増長の仕業だ。ここに入った、と我らに知らせるためにやったんだろう」
「うわー、まじ信じられない。今ごろ魔物に喰われてたりして」
「いや、あいつに限ってそれはないだろう。行くぞ」
多聞が、増長の足跡の残る根を乗り越えた。
しぶしぶ、持国と広目も続く。
途端に空気が変わったことを三人共に感じた。
冷んやりとした空気は、肌にまとわりつくようだ。
いつの間にか、三人とも手にそれぞれの武器を構えていた。
「……くさい」
持国が眉をしかめた。
「くさいよ。これって――」
「しっ。何かいる!」
鋭く言ったかと思うと、多聞は片方の乾坤圏を薄闇に向かって投げた。
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