36 駆引き


 涼竹が部屋を出たあと、万巻はふらつく身体を支えて立ち上がろうとした。

「村を守る結界を紡ぐ。それだけが、この老いぼれにできることじゃ」

 涼竹には、魔物除けの結界のことはまだ教えていなかった。万巻からあの有能な青年に唯一伝授していないことだ。


 万が一、社の龍が暴走したときに自分が結界を紡ぎ村人を逃がす。そして、涼竹に九頭龍村を託す。

 そのために、結界のことはぎりぎりまで伝授しないつもりだった。


――生きよ。


 若い者が生き残り、未来をつないでいく。そのために、自分は命を削ってでもできることをしなくてはならない。


 もう少しで立ち上がろうというところで、万巻の痩身は布団に崩れ落ちた。

「情けない……あれしきのことで、使い物にならなくなるとは」

 枯れ枝のような己の手足を憎々し気につかむが、その手にもあまり力が入らない。


 襲ってきた二人組の使った薬は、初めてみる巧妙なものだった。

 神経系統を鈍らせる毒だろう。医術の心得のある万巻は毒薬の知識も有しているが、このように意識は明瞭であるのに手足に痺れが出るというのは聞いたことがない。おそらく、数種類の植物を調合してあると思われるが。かなり高度な技術が必要であろう。

「王家の忍びであることは、間違いなかろう。いったい、この箱根に王家の忍びが何用でやってきのだか…」

 一鉱の故郷や幻霞の里を襲った忍び狩りのように、箱根にも王家の魔手が伸びているということなのだろうか。


 きりのない思考の連鎖に沈んだ意識がハッと引き起こされた。

 廊下を、聞いたことのない足音が近づいてくる。それも、複数。


「万巻様。入ります」

 涼竹が入ってきた。

「お客様をお連れしました」


 涼竹が部屋の中へ通した二人は、万巻の布団の脇へ座った。


「万巻宮司だな」

 聞いてきた青年は、涼竹より少し歳下だろう。

 浅黒い肌と彫の深い顔立ちもさることながら、青い双眸が印象的だ。一目でこの辺りの人間ではないとわかる。

 おそらく、身分ある人物であることも。


「はい、いかにも私が万巻でございます。お見苦しい姿で申し訳ございませぬが――」

 青年は万巻の言葉を止めた。

「あまりしゃべるな。すぐに手当させる。多聞」

 青年の背後にいた従者らしき青年が進み出てきて、万巻の手を取った。

「失礼いたします」

 瞬く間に多聞という青年は医術道具を取り出し、万巻の脈を診たり瞳を調べたりした後、部屋の隅で何やら薬を調合し始めた。

 その様子を横目で見つつ、碧い目の青年は口早に言った。

「火急な話ゆえ、手当を受けながら聞いてくれ。俺は緋耀という」


 瞬間、万巻宮司の目が大きく見開かれた。

「緋耀……紅玉宮こうぎょくのみや緋耀様!」


 平伏しようとした万巻を緋耀が止めた。

「俺を知っているなら、話は早い。東方鎮守府と西方鎮守府の軍勢が箱根に近付いているという話も信じてくれるな?」


 そのとき、回廊をどたばたと走ってくる音とともに、部屋の外で大声が響いた。


「涼竹様!!も、ものすごい数の軍勢が駿河方面からこちらへ向かっているそうですっ!! 金地の御旗――国王軍の旗が見えます!!」

 万巻は緋耀と目を合わせた。

「ほらな」

「どういうことでございましょうか」

「俺の兄、月長宮つきながのみやはつい先日、美濃ノ国大垣村に夜襲をかけ、西方鎮守府の領土として大垣村を召し上げたそうだ」

「その話は……聞き及んでおります」

「ほう。さすが朝廷から召喚され続けているだけあるな、万巻。耳が速い」

「はあ、いや……」


 万巻宮司は言葉を濁した。その大垣村から白龍刀を持って逃げて来た者がここへきたことは、言わぬほうがいい気がした。


「しかし、山陰陽州を統括する証である白龍刀は、兄の手にはない。とある村人に持ち出されたようだ」


(やはりそこまでご存じか)

 一鉱のことを言わなくてよかった、と万巻は胸をなでおろした。


「兄は白龍刀を追って箱根まできた。この村の女たちが関所へ駆り出されたのもその影響だと思うのだがな」 

 緋耀はいささかきまり悪そうにあさっての方向を見た。


――万巻を襲わせたのは、俺だ。

 広目と持国ならしびれ薬を使うことは承知しているし、その解毒薬は多聞が持っている。

 人助けなどではなく、月白に反撃するために九頭龍村へ来たのだ。

 緋耀の邪魔をしたうえ東方鎮守府に働きかけて緋耀を討ち取ろうとした、そのことを後悔させるために全ての罪を月白におっかぶせてやる。


「殿下?」

「――とにかくだ。俺は月長宮のやり方には反対だ。ゆえに、白龍刀も月長宮に渡すべきじゃないと思っている。そこで、月長宮の兄には箱根から大人しくお帰りいただきたいのだ。村の女たちも取り返す。そこで、万巻宮司の力を借りたい」

「それはありがたいお話ではありますが、この老いぼれに何ができましょうか。今は、身体の自由も利きませぬ」

「許可をもらいたいのだ」

「許可?」

「村の端、箱根の関所のつわものさえも祟りを恐れて近寄らぬ場所があるだろう。鎮守の大木が立つ湖畔だ。あそこに隠してあるものを使う許可をもらいたい」


 万巻の表情がいつになく険しく、硬くなった後、深々と溜息をついた。


「あれのこともご存じでしたか……さすがは、玉座に最も近いと謳われる紅玉宮殿下ですな」

「世辞はいい。一刻を争う。白龍刀と村の命運がかかっているぞ。許可をくれ」

 皺だらけの顔の中、万巻の双眸が閉じた。


 知略に長け勇猛果敢。時に、残虐非道。

 ゆえに、最も玉座に近いと恐れられている。王に逆らう可能性が最も高いと言われているのが紅玉宮緋耀だった。

 その皇子の話に、乗っていいものかどうか。


 一拍の、後。


「鎮守の大木の湖畔に隠してあるものは、本来、非常時に村の民の避難場所です。事が終わりましたら、お返しくださいましょうか」

「もちろんだ。月長宮を追い払うために借りるだけだ。他意はない」

 万巻は頷いた。

「承知致しました。九頭龍村の命運、殿下にお任せしましょう」



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