10 追撃


 桑名の港から駿河ノ国方面へ向かう船が出航して、間もなく。


 一糸乱れぬ隊列の軍隊が、北から街道を進んできた。

 金地の旗に、街道を行く者はみな慌ててひれ伏し、道をあける。


 西方鎮守府将軍・花崗は港の手前に設けた検問所で騎獣を止めた。


「どうだ、怪しい者は通ったか」

「怪しい者は今のところおりません」と兵士。

「商人ばかりでした。あとは、親戚の家へ行くとかいう者もおりましたが」


「……親戚の家?」


 背後からの優美な声に、兵士と役人は慌てて地面に平伏する。

「西方鎮守府大将軍、月白様!!御尊顔を拝し、恐悦至極にございますっ」

「その通行人、どんな感じだった?」


 自分たちの感激の口上をまるで聞いてないふうな貴人に兵士と役人はぽかん、としたが、すぐに思い当たる。


「ああ、はい、親戚の家へ行くといったのは、ただの小娘でして。お探しの輩とは違うかと――」

「どこに行くって言ってた?」

 間髪入れず問われ、兵士と役人は地面に額を擦りつける。

「はっ、武蔵ノ国に向かうとか申しておりました」

「武蔵ノ国…」

 貴人はその端麗な双眸を細める。

「その、刀持ってなかった?」

「ははあっ、さすがの慧眼でございますっ。確かにその娘、刀を持っておりました。自身も連れの者も、護身用でただ背負ってるだけと申しておりましたが」

「連れ?」

「はい。薩摩の商人だとかいう者が、小間使いとして連れていると申しておりました」


「…薩摩の商人」

 口の中でゆっくり呟くと、月白は美貌に薄っすら、笑みを浮かべた。


「君たち、おかしいと思わなかった?」

「は……?」

 問われた意味がわからず、兵士と役人は思わず顔を上げる。

「だって、その娘は親戚の家へ行くって言ったんだろう? なんで薩摩の商人が小間使いとして連れてるのさ」

「……あ………」


 自分たちの立場の危うさを一瞬で察知し、兵士と役人は再び地面に額を擦りつける。


「そ、その、しかしっ、見たところ特に怪しいところもない小娘でしてっ……」

「怪しいか怪しくないかをのが、君たちに課された仕事だと思うんだけど」

「ははあっ」

「能無しは、僕の軍にいらない」


――一瞬だった。


 騎上から一閃、月白の手がひらめいたかと思うと、地面が朱に染まった。

 転がった二つの首は目を見開き、何が起こったのかわからないという表情をしている。


「二人の懐を調べて」

 月白の声に近侍きんじの兵が胴だけの死体を検める。

「このような物が」

 それぞれの死体から出てきたのは、重そうな袋だ。

 同じ錦織の布でできた、同じ大きさの袋。

 それを、月白は刀の切先でつるし上げた。


「やっぱりね」


 優美に笑んだままの主に、花崗将軍は遠慮がちに声を掛けた。

「月白様。その袋の布は、見覚えが。もしや……」

「その『もしや』さ。どうやら愛すべき我が弟君が出張ってきているようだ。子猫ちゃんに変装した獲物は、あいつに捕まったってことだね」


 月白は刀を一閃。

 袋の中に入っていた貨幣が、朱に染まった地面に散らばった。


「『小娘』の乗った船をつきとめよ。それと、今朝出航した船の行き先の港に、乗客の足止めをするように通達を出せ」

「御意」

 花崗将軍は、騎首を返した。





 やがて船は、なだらかな湾に入った。

「船を降りる。準備しろ」

「降りる、って。ここどこよ」

「なにおまえ、駿河湾知らねえの?」

「なっ、し、失礼ねっ。スルガだかスルメだか知らないけど、知らないものは知らないのよっ」

「マジ? っていうか、『いやーん海見るの初めてー』ってやつ?」

「う、うるさいわねっ、だったらなんなのよっ」

「えっ、冗談で言ったのに。マジか。どこの山奥の田舎もんだよ」


 ケタケタ笑う緋耀を睨みつけ、一桜は言ってみた。


「田舎もんでけっこうよっ。それに、あたしは武蔵ノ国に行かなくちゃならないの。駿河では降りないわ」

「知るか。言っただろ。おまえはオレと来るんだ。おまえに選択の余地はない」


 緋耀は口調とは裏腹に、碧い双眸を鋭く光らせている。一桜は唇をかんだ。


 親しげにしているが、今、一桜が逃げれば、この男は躊躇なく刃を振るうだろう。白龍刀が目当てのようだから、最悪、白龍刀を奪われて殺されるかもしれない。


 そして、この男にはおそらく勝てない。悔しいが、認めざるを得ない。

(正攻法じゃ勝てないわ。一瞬の隙を狙うしかない)

 そのチャンスを見過ごさないよう、一桜は緋耀の後についていった。





 船を降りると、星彩が一桜の姿を見て嬉しげに嘶いた。

「無事だったんだね、星彩」

 首筋に抱き付くと、星彩も嬉しそうに顔を寄せた。

「ごめんね。本当にあの男に捕まったみたい…でも」


 見たところ、緋耀は一人旅のようだ。星彩がいてくれれば、戦って勝てなくても逃げ切れる可能性はある。


「隙をみて、必ず逃げるからね。山に入れば星彩にかなう馬はいない。それまで、おとなしくついていこう」

 わかった、というように星彩は顔を擦りつけてくる。

「いくぞ」

 緋耀が玄天に跨った。白龍刀の紐をぎゅっと握りしめ、一桜も星彩を走らせた。


 馬が走る道は、港近くの市場を迂回していく。


「うわあ…」

 一桜は、思わず目を瞠った。


 見たこともないほど多くの市が立っていた。

 遠目に見ても色とりどりの果物、野菜などが並び、水揚げされたばかりの魚が所せましと並び、たくさんの人々が市を埋め尽くしている。


「ここは沼津の港だ。駿河ノ国の中でも特に大きい港だな。でも、この港の本領はこんなもんじゃない」

「え? こんなに大きい市場なのに?」

「田舎もんはこれだからな。この港は、もっと商いを大きくできるはずなんだ。税をもっと軽くして、商人が通いやすいようにしなければならん。商人の通わぬ市に発展はないからな」


 緋耀は熱っぽく語る。

――なによ、本当に偉そうなんだから。あんたは王様かっての。

 言おうとして、一桜は言葉を飲み込む。


 空気を震わせる、聞き覚えのある響き。


 振り返ると、二十騎ほどの騎影がこちらに近付いてくる。一桜は手綱を強く握った。


「緋耀、様子が変だよ」

「お、よく気付いたな。前からも来るぜ」

 見れば進行方向からも騎影が迫る。その数、やはり二十騎ほど。

「ありゃ月白の犬どもだ。お目当ては――おまえだな」

「しつこい!」

 桑名で振り切ったと思ったのに。

「蹴散らすしかねえが、市場を荒らすわけにはいかない。離れるぞ」


 言うやいなや、緋耀は手綱を大きく振るった。

 みるみる玄天の速度が上がる。

――速い!

 驚いたが、一桜も星彩を急きたて必死についていく。

 二頭は前方へ疾走しながらも街道から緩やかに外れ、松の林を駆けた。




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