9 緋耀
船は滑るように洋上を走る。
「うわあ……」
思わず、声を挙げていた。快晴、どこまでも青い空。そよぐ風は初めて嗅ぐ匂いを含んでいる。その風をいっぱいに帆にはらみ、船はぐんぐん進んでいく。
船底に預けた星彩のことが気になるが、一桜は動けないでいた。動けない原因を、横目で睨み上げる。
(商人、っていうのも、あながちウソじゃなさそうだけど)
船に乗りこんでから、黒砂糖(本物)や変わった果物をひとしきり売り歩いていた。愛想よく相手と話し、いつの間にか品物を買わせてしまう。その人懐こい感じや手際の良さは、商人そのものに見える。
(でも、あの動きは只者じゃない)
刃を突き付けてきたあの動作。
あれは、護身術を身に付けている程度の動きではない。訓練された動きだ。
そう、軍人のような。
背は高い。そして、よく見れば筋肉の発達した鍛えられた身体をしている。漆黒の短髪に鮮やかな碧い双眸。浅黒さも手伝ってか、精悍な顔立ちだ。さっきから、しきりに商いの女たちが緋耀を振り返っていた。
緋耀は急に一桜に視線を落とした。ぎょっとする一桜に、にかっと白い歯を見せる。
「やっとオレに見惚れてくれた?」
「は、はあ?!自惚れないでよっ、誰があんたなんかに!!」
「オレよりまず玄天に見惚れた女なんて初めてだったぜ」
あの漆黒の良馬は、玄天というらしい。
「だからもしかしてマジで男かと思ったけど…やっぱり女だよな?」
「そ、そうだけどそうじゃないっっ」
なぜかカッと熱くなった顔を慌てて背け、船べりをぎゅっと掴む。緋耀は声を上げて笑った。
「まあ玄天が良い馬だと見抜いたその目は、信じてやってもいいけどな」
「なによ、偉そうに」
「偉いからな、実際」
(なんなのこの人?!)
本当に商家のボンボンなのかもしれない。このオレ様発言。
「はいはい。いいわね、偉くて」
「おまえは、何者なんだよ。ただの小娘じゃないよな。なんせ」
緋耀は一桜の背中の刀に目をやる。「そんなモノを持っているんだからな」
「言わない。あんた、ぜったい商人じゃないでしょ。あんたが素性を隠しているなら、あたしも言わない」
「ま、いいけど。おまえみたいな小娘がそれを持って逃げてるってことは、白龍刀を守っていた美濃ノ国大垣村は派手に襲われたんだな」
襲われた――その言葉に、怒りで体がカッとなる。
襲われた。そう、突然。何の前触れもなく。すべてが、紅蓮の炎に呑み込まれた。でも。再興してみせる。そのために、武蔵ノ国へ行く。
「逃げてなんかない!」
「まあまあ、熱くなるなよ。どうせ襲ったのは月白だろ?」
「っ!なんでそれを……」
その問いには答えず、緋耀は口の端を上げた。
「でもあいつは、白龍刀を手に入れそこねた。逃げてるんだか届けるんだか知らんが、虫も殺さないような女の子が持ってるときた。白龍刀がなければ、山陰陽州を掌握したとは言えない。ざまあみろだ」
「…あんた、月白のことを知ってるの?」
「知ってるさ。うんざりするほどな」
どういう関係なのかはわからないが、緋耀は月白のことを知っており、嫌っているようだ。
ならば。
教えてくれるかもしれない。
「知っていたら教えて。なぜ西方鎮守府は、大垣を襲ったの?」
しばらく、間があった。
緋耀は、碧眼を細めて、彼方を見る。やがて、ぽつりと呟いた。
「聞かない方がいい。いろんな意味で」
その言い方は、意外にも柔らかく、優しいとも言えて。
「え……?」
「言っておくが、これは親切心からの意見だ。って、うわーっ、オレってやっぱりめっちゃいいヤツじゃん?」
緋耀はニカっと、白い歯を見せて笑った。
(な、なんなの、コイツ……調子狂うったらないわ)
呆れるやら腹が立つやら、一桜は大きく息を吐いた。
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