危険な男

7 検問


『 宝水の故郷』とは、この土地で古来より神聖視されている滝のことである。


 史書によれば、その滝の名称は『養老の滝』と伝えられている。

 しかし、この滝の水が病や傷に効くこと、近隣の村々の水源のひとつであることから、土地の者だけにわかる隠語で『宝水の故郷』と呼ばれるようになった。

 村からは大人の足で3時間ほどの距離だ。

 怪我人や女性、子供、老人がいるのでもう少しかかるだろう。


「お願い、どうか明け方には着いて」


  一桜いおは心の中で祈り、後ろを振り返った。

  追ってくる兵はいない。もう一度道を戻って、後続の兵をこちら側――揖斐川いびがわ沿いに誘導しなくてはならない。

「ごめんね、星彩。もう少しがんばって」

 汗でしっとりした星彩の身体を拭いてやり、川の水を飲ませ、一桜は街道へ馬首を返した。





「知ってる?五色の刀はその昔、王家が国を統一した際、各州の要となる国に与えられたものだ」


 大垣村より少し離れた小高い丘。

 月白つきしろは、自軍の夜襲により赤く燃える村を眺めていたが、ふいに花崗将軍に向かって問いかけた。


「金龍刀は畿内を直轄する王家に。赤龍刀は南西海州の筑前ノ国。青龍刀は東海州の武蔵ノ国。黒龍刀は東北陸州の陸奥ノ国。そして白龍刀は山陰陽州の美濃ノ国に」

「はっ。王家の偉大なる統治のもと、戦のない世となる象徴としての聖刀だと聞いております」

「だよねぇ。僕も子供の頃、教師センセーにそう習ったんだ。でも、異説もあるようだよ」

「と言いますと?」

「統治の象徴という単なるお飾りじゃない。五色の刀は、希代の刀鍛冶によって鍛えられた恐ろしい切れ味の刀だと」


 月白は、傍らに立ててあった刀を手に取る。白銀の柄に白い鞘の、美しい刀だ。


「これ、白龍刀なんだよね?」

「はっ。首を落とした若い村長が佩いておりましたゆえ」

「ふうん」


 刹那。

 白刃が闇に閃いた。

 硬い音と火花が散る。丘の頂上を示す標石の端がわずかに欠けている。


 いきなり間近で刀を振るわれ、さすがの花崗将軍も肝を冷やした。


「月白様…いかがなさいましたか」

「試したんだよ。これ、ニセモノじゃん。ただの石ころも斬れないし。刃こぼれしてるし」

「な、なんと!!」


 うろたえる花崗将軍に、月白は鞘に収めた刀を放り投げた。


「やっぱりあの彼――馬に乗っていた方の『一鉱殿』が本物を持っているようだね。これはなんとしてでも彼と白龍刀を捕らえなきゃ」

「は、はあ…しかし、あの者、揖斐川沿いで見たのを最後に、消息がしれないのです」

「揖斐川沿い、ねえ」


 月白は懐から大垣村周辺の地図を出し、まつ毛の長い双眸を細めて呟いた。


「彼は、どこへ行くつくもりなんだろう」

「は?」

「なぜ村人と一緒に逃げなかったのかな」

「それは…村人を逃がすためでしょうか」

「うん。そうかもね。でも、今のところ彼は捕まってない。僕らの送る兵士を鮮やかな手際で蹴散らし、攪乱し、村人を見事に逃がした。彼はおそらく、村人とは別行動をしているだろう。馬に乗った彼が僕らの追討の目をかいくぐるのは難しいからね。でも、僕らは村人の所在も、彼のことも見つけられていない」

「はっ、申し訳ございません」

 花崗将軍は巨躯を縮めてかしこまった。

「ただ今、総力を挙げてあのガ…少年を捜索しているところでございますれば、いましばらく」

「まあいいよ。彼の方が一枚上手だった。地の利も活かされたことだしね。それよりも、彼が村人と一緒に逃げてないってことが重要じゃない? たぶん、彼は『宝水の故郷』とやらには向かっていない」


 月白は地図をさらに広げて眺め、やがて端整な口の端を上げた。

「桑名かな」


「桑名、でございますか?それは大垣を南下した地点にある港のことで?」

「そうだよ」


 ちんぷんかんぷんな顔の部下を見て、月白は楽しそうに微笑んだ。まるで、面白い玩具オモチャを見つけた子供のように。


「とりあえず、桑名の港から出る船を制限し、乗船する者の荷物と身元のチェックを徹底しよう――楽しい狩りの始まりだよ」





 東の空が明るくなった頃、村人の逃走を確認した一桜いおは、そのまま星彩を走らせて揖斐川沿いを南下していた。

 

 桑名に行こう。

 その一心からだ。


 東海州武蔵ノ国へは、陸路でも行けるが海路の方が断然早く、安全だとも言われている。その分、船賃も高いが、荷にはかなりな額の路銀が積んであったから、馬を連れていても難なく乗船はできるだろう。


 桑名からは東海州の国々へ行く船が、頻繁に出航しているという。

 星彩は一桜の気持ちを察してか、疲れているはずなのによく走った。

「ごめんね星彩…もう少しだからね」

 川幅が広くなる。川面に、朝陽が反射している。桑名の港は目前だった。


「!」


 遠くに違和感を覚えて、一桜は慌てて星彩の手綱を引いた。

「なんだろう、あれ」

 星彩を降りて、近くの木の下へ星彩を引いていく。


 桑名の港へ続く道に、人が大勢並んで列を作っている。皆、荷を担いだ旅装だ。桑名から船に乗る人々だろう。

 列の先には、兵士と役人がいた。


「検問だわ」


 一桜いおは素早く木の影に身を隠した。

 おそらく、村を襲った軍が一桜を探すために手を回したのだろう。


「落ち着いて、落ち着いて…何かいい手立てがあるはず」

 荷物の中を漁っていると、一桜の衣服が出てきた。長衣に下履きを合わせた、この辺りの女の子の日常服だ。


「そっか…『女装』すればいいんだ!」


 一桜は「一鉱」だと思われている。

 ならば、女子になりすませば、敵の目をくらませられる。


 一桜は急いで身支度を整えた。

 服を着替え、短くなってしまった髪を二つに結び、煤や泥で汚れた顔をきれいに拭いた。

「これでよし」

 大丈夫。これで絶対、気付かれない。


 そう自分に言い聞かせながら、一桜は星彩を引いて、人々の列へゆっくりと向かった。


「あの、桑名から船に乗りたいんですが、ここに並べば船に乗れるんですか?」

 前に並んでいた中年の男は頷いた。

「ああ、いつ乗せてくれるんだかわからんがね」

「何かあったんでしょうか」

「なんでも、美濃ノ国大垣村の方で野盗騒ぎがあったらしくてね。西方鎮守府の月白様が軍を出してくださったらしいが、残党が桑名へ逃げ込んだらしいよ。物騒な世の中だねえ」

「そうですか…」


 内心、ひやりとする。やはり一桜を捜しているのだ。

 同時に、腹の底が煮えるように怒りがこみ上げてきた。

 襲ってきたのは野盗なんかじゃない。他でもない、西方鎮守府だ。


「お嬢ちゃん、そりゃ本物かい」

 男が一桜の背を指差した。白龍刀のことを言っているのだろう。

「え、ええ。一人なので、護身用に持ってきたんです」

「そりゃいい。女の子の一人旅なんて、今の世の中ほんとうに危ないからなあ。良い馬と刀があるってのはいいことさ」

 一桜は曖昧に笑ってごまかした。

 後ろを見れば、一桜の後ろにも列が続いていく。


 大丈夫、あたしはどこをどう見てもただの女の子に見えるはず。

 そう言い聞かせて、星彩の手綱をぎゅっと握りしめた。



「次!」

 言われて、一桜は前へ進んだ。前に並んでいた男はにこやかに手を振って去っていった。商いで、遠江ノ国へ行くそうだ。


「親戚の家へ届け物に、武蔵ノ国へ行きたいんです」

 何度も心の中で練習した言葉を言い終わらないうちに、兵士が一桜の顔を覗きこんだ。


「おまえ、どこから来た」

「え、あの…揖斐いび村から」

「その背中の得物はなんだ」

「あ、あの、一人旅なので、護身用に両親が持たせてくれました」


 頭のてっぺんから足先までじろりと一桜を見て、兵士は低く言った。


「大垣から逃走した野盗は、おまえくらいの年齢の、女みたいな男だという」

「そうですか」

 一桜は顔色を変えまいと必死に相づちを打ったが、兵士は冷酷に言い放った。

「服を脱げ」

「え?」

「おまえが本当に女かどうか、確かめる必要がある」


(そんな)


 ここで服を脱いで女だと証明できれば乗船できる。今日中にも、武蔵ノ国へ着くことができる。


(でも……!)

 羞恥心に顔が熱くなる。こんなに大勢の人の前で、服を脱ぐなんて。


 兵士に役人。後ろにも乗船を希望する人々が列をなし、今か今かとこの検問所を食い入るように見ている。


「どうした。早くしろ」

 冷酷に言う兵士の横で、役人が下卑た笑みを浮かべている。

「いえ……あの」

「あやしいな、貴様」


 戸惑う一桜の肩を兵士がつかんだ。





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