25 歯車
庭に出ると屋敷の四方に立つ櫓の一つに牛若は上った。杉の木で組まれた頑丈な梯子を、一桜と幻霞も続いて上る。
櫓に立つと、村の様子がよく見えた。
この屋敷の規模をうんと小さくしたような、変わった木造の変わった家が、決して豊かとはいえない畑の周囲に点在している。
「この屋敷も、民家も、独特な美しい模様ですね。木が活かされている」
一桜が言うと、牛若は懐から小さな箱を出した。木製で、屋敷の中で見た模様と同じ模様が施されている。
「開けてみろ」
一桜は、箱をぐるりと観察した。どこにも蓋らしき物がない。美しい幾何学模様に目を凝らすが、入り口らしき場所もない。
「貸してみな」
幻霞が横から箱を取って、箱の上で指を滑らせた。
すると、箱の一面が横にずれる。そのずれた場所にあった小さな木片を動かすと、かたん、と蓋が外れた。
「開いた!」
一桜は思わず目を輝かせた。
「これは寄木細工と言ってな。木を組んだ美しい模様と絡繰りが特徴だ。模様も絡繰りも様々なパターンがある。この箱根に古くから伝わる技術を、九頭龍村がずっと守ってきている。で、それがこの屋敷や民家にも活かされてる。ちなみに、この技術は王城にも活用されている。この村が王家に庇護される理由の一つだ。そうだろう、牛若」
「庇護しているなら、なぜ村から生贄を出させるのだろうな。五色の刀を持つ王家が龍を封印してくれれば済む話だ」
吐き捨てるように言った牛若は、彼方を指差した。
「あれが、龍の社だ」
青々とした広い湖の向こうに、その一か所だけ白く霧が立ち込めている湖畔がある。わずかに、白い鳥居が見えた。
「湖は社の下まで達していて、龍は社の下に棲んでいると言われている。年に一度、春から夏にかけてのこの時期に、村から乙女があの社へ渡される。生贄だ。そうすることで、俺たちは芦ノ湖で漁をし、木材を運び、生きる糧を得ることができる。芦ノ湖に舟を出せて初めて、この自然の厳しい箱根山の中で俺たちの生活は成り立つんだ。なのに――」
「箱根の関所が根こそぎ女たちを持っていった、と」
「そうだ!俺たちに生贄を出させておいて、その生贄になる女たちを連れ去っていったんだ!龍は荒れている。舟を出せばたちまち大波が起こって呑まれてしまう。木材を伐り出せないのはまだしも、漁ができなくては日々の食事にも事欠く。このままでは、餓死するか龍に呑まれるのを待つしかない!」
牛若は怒っている。が、その叫びは悲痛なものだった。
「……なぜ、箱根の関所は女性たちを連れていったのでしょう」
一桜が言うと、幻霞は呆れ顔で言った。
「それが分かりゃあ、こいつらも苦労してねえんじゃねえか?」
「それは、そうですけど」
(だって、おかしい)
今が生贄の時期だというのは、箱根の関所もわかっているはずだ。
まるで、わざと生贄を出させないかのように。
「……そうか。そういうことか!」
一桜は、牛若の肩を揺さぶった。
「龍が荒れ続けたら、最終的にどうなりますか?!」
牛若は一桜の勢いに面食らいながらも答えた。
「え? それは……おそらく、芦ノ湖全体に大波が及んで、水害が起こる。この辺り一帯が芦ノ湖の水に呑まれるだろう」
(やっぱり!)
わざとだ。
「牛若さん! 関所の狙いは、きっと水害です!」
「はあ?! なんで。だって水害が起きたら、関所も呑まれるんだぜ」
「わかりません。わからないけど、でも」
そうとしか考えられない。
事情は複雑に絡み合っているが、生贄である女性たちが連れていかれたこと、生贄を出さなければ龍が荒れて水害が起こることだけは、明確なのだ。
「なんとかしなくちゃ…!」
この美しい家並みを。厳しい山あいの土地を苦労して耕した畑を。そして、何よりここに暮らす人々を。
自然の猛威も、人災も、防げないことがある。悔しいけれど。
だけど、予測できるなら、できることがある。救うことができる。
「おいおい、一……一鉱、どうしたよ。何とかするったって、俺たちは先を急ぐし、なんせ『余所者』だから手出しできねえんだぜ?なあ、牛若よ」
牛若は憮然として答えない。
「な? 俺も他の方法を考えてみるからよ。余計なこと考えずに、ちょっと白龍刀だけ貸してやって、俺たちはこの屋敷で休ませてもらって――」
「私が、行きます」
牛若と幻霞が、同時に一桜を見た。わからない、という顔をして。そんな二人を、一桜は交互に見上げて言った。
「私が龍の社に行きます。五色の刀は、龍を封印できるって言ってましたよね」
*
黒い甍に、巨大な門が見えてきた。
「山の中の関所のくせに、相変わらずムダに御大層な建物だ。なあ玄天」
返事をするようにかすかに黒い頭が動く。その首筋を撫でて、緋耀は改めてその黒い建物群を見渡した。
箱根の関所。古より、ここは交通の要衝だ。西から来た者の多くはここを通らなくては目的地に行けない。
そういう場所だからこそ、役人が好き勝手にし、横領目的で高い通行税を取り、それを中央が黙認する仕組みができあがっている。
全国に、そういう場所はいくつかあるが、その中でも屈指の『魔の巣窟』がここ、箱根の関所だった。
「俺が統治する国に、そんな場所はいらないからな」
税を高くすれば、人が寄り付かなくなる。ヒトやモノが通わない場所は、すぐに廃れ、荒れる。それは、国の発展や繁栄を妨げる。――現王朝に腐臭が漂っているように。
黒塗りの門から、筋骨隆々とした鎧武者が近付いてきた。
「西方鎮守府大将軍、紅玉宮様。お待ちいたしておりました。某、東方鎮守府大将軍よりこの箱根の関所を預かっております、
大男は深々と叩頭した。
「おう。堅苦しい挨拶は無用だ。すぐに中へ入れてくれ。馬が疲れているんでな」
大男は顔を上げた。銀色の蓬髪は鬼のようだ。赤黒い、残忍そうな顔には斜めに刀傷がある。金色に光る眼が、ニヤリと笑った。
「かしこまりました。すぐに支度致しますゆえ、ささ、こちらへ」
玄天の轡を取って、酒呑は門をくぐる。
「……せいぜい、きれいにしてやる」
呟いた緋耀を、怪訝気に赤黒い顔が見上げた。
「何を仰せです、紅玉宮様。御馬のお世話は厩番が責任をもって丁寧にいたしますゆえ、ご案じなさいますな。宮様におかれては、ごゆっくり旅のお疲れを御癒し下さいますよう」
それを聞いて、緋耀は笑った。酒呑はぽかん、と間抜けな顔をして馬上の王子を見上げている。
「そうだな。頼む。俺も久々に箱根の湯に浸かることにしよう」
――水に沈んだら、しばらくは湯に入れないからな。
という言葉は、胸の内に留めておいた。
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