39  集結


「きたか」

 青い宝石のような鳥が櫓の手すりに泊まった。


 懐から金の粒を与え、そのさえずりを聞くと緋耀は櫓を駆け下り、屋敷の敷地内の反対側へ走る。


「涼竹!どうだ!」


 下から呼びかけると、白い神官装束姿が櫓から乗り出した。

「さきほど狼煙が! 駿河方面からの国王軍はもうすぐ関所に達するとのことです!」

「了解! こちらも準備ができた!」


 緋耀は走り出す。涼竹が櫓から降りてきて、緋耀と共に屋敷へ向かった。


「で、私はどうすればよろしいでしょうか」

「信用できる腕の立つ者が二、三人いるか」

「おりますが、外出しております。そろそろ戻るかと」

「わかった。では、屋敷をその者たちに託すよう、鈴音に指示しろ。おまえは俺と一緒に関所に行くぞ」

「殿下と御一緒に、ですか」

「緋耀でいい。おまえは万巻宮司の名代として行くのだ。関所は、知っていると思うが酒呑しゅてんというのが仕切っている。俺が兄と話している間に、おまえはヤツをうまく誘導して芦ノ湖がよく見える場所まで連れだせ」

「承知致しました」

「状況が動いたら、後のことは任せろ。俺にかまうな。おまえは村の女たちを救助することに専念しろ。わかったな」


 緋耀に肩を叩かれ、涼竹は胸が熱くなった。


「ありがとうございます……なんと御礼を申し上げたらよいのか……」

「喜ぶのはまだ早い。兄は曲者くせものだからな。酒呑のバカをいかに踊らせて騒ぎを大きくできるかにかかっている。頼んだぞ」

「はい」


 屋敷に着くと、鈴音が玄関にちょこんと座っていた。


 緋耀が来た時と同じように、まるで飾ってある人形のように、薄暗く広い玄関に一人ちんまりと座っている。

「鈴音。私はこれから、緋耀様と御一緒に関所へ行く。留守を頼んだぞ。じきに牛若が戻ってくる。幻霞殿も……力を貸してくれよう」

 涼竹は、一鉱のことは黙っていた。万巻宮司が紅玉宮の前で一鉱の名を出さなかったからだ。


 一鉱は白龍刀を持っている。西方鎮守府軍に村を焼かれて逃げてきているのだ。紅玉宮緋耀は南方鎮守府大将軍だが、王家に不穏な動きのある今、美濃ノ国大垣の一鉱という名は出さない方が賢明だろう。


「二人に、私が戻るまで万巻様を頼むと伝えてくれ」

「かしこまりました。いってらっしゃいませ」



 緋耀は玄天にまたがって待っていた。

「見事な馬ですね」

 褒められたことをわかっているのだろう。漆黒の馬は静かに鼻を鳴らした。主に似て気性は強そうだが、ほれぼれするほど美しい馬だ。

「まあな。これに勝る馬はないと思っているが」


 負けないくらい、見事だと思った馬はいる。

 星彩、といった。


――一桜いお


 多聞たち四天王に探させたが、見つからなかったという。まだ箱根に到着していないのかもしれない。


 無事だろうか。

 馬も刀も女ながらにまあまあ使えたし、何より白龍刀を持っているのだから、めったなことにはなっていないと思うが。


 武蔵ノ国へ行くと言っていたのだから当然、箱根は通るはず。

 箱根の関所は、昔から旅人が恐れる難所だ。


 道が険しいばかりではない。関所自体が、悪の巣窟のような場所だからだ。

 関所とは名ばかり、役人に賄賂を流す代わりに好き放題やっている山賊崩れのような連中が、手ぐすね引いて獲物を待っているのだ。

 高い通行料を取り、払わなければ身ぐるみを剥がし、拷問、輪姦は当たり前という無法地帯である。


一桜いお……無事でいろよ」

 念のため、関所内の牢獄を隈なく探させよう。

「箱根か。見ていやがれ。次は必ず大掃除してやる」

 今回は忌々しい邪魔が入ってできなくなったが。

 とにかく、今は月白を一刻も早く追い払うのが先だ。


「緋耀様?」

 引かれてきた馬に騎乗した涼竹が、怪訝げに覗きこんできた。

「おう、すまん。――行くぞ」

「はい」

 二人は手綱を引いた。



「あーあ、湿気が多くて嫌になっちゃうな。これだから東の方って来たくないんだ」

 馬上で嘆く主に、花崗将軍が心配そうに馬を近付けた。

「月白様、今からでも輿にお乗り換えされてはいかがでしょうか」

「えーもういいよ、めんどくさいから。あと少しでしょ、関所まで」

「ははっ。もう見えてまいりました」


 緩やかな登り坂の先、鬱蒼と茂る新緑の中に黒々とした甍の大きな建物が出現している。


「ところで、東方鎮守府軍の首尾はいかがなのでしょう」

「忍の報告だと、到着はまだみたい。関所の傍まできているみたいだけど」

「なんと!弟君であらせられる月白様に御遠慮していらっしゃるのでしょうか。さすが慎み深い御人柄で有名な青の皇子ですな」

 感激した様子の花崗将軍をちら、と見て「ほんとにおまえはお人好しだなあ」と月白が溜息を吐いた。

「あの静藍兄上が僕に気を遣うわけないじゃん。僕が緋耀を討ち取ったあかつきに西南海州の一部を分けるって言ったから兄上は軍は動かしたけど、最初からは参加しないつもりさ。緋耀を討ち取るのに僕がしくじりそうなら手を貸す、ってスタンスなんだよあの御人は。無駄な動きはしない、やれるなら僕だけでやればいいし万が一失敗して緋耀に返り討ちに遭うのも僕だけにしろってことさ」

「な、なるほど……」

「なに感心してるのさ。あっちがそのつもりならこっちも貸しは作りたくないからね。花崗に頑張ってもらわないと」

「はっ。この花崗、命に代えても任務を全うする所存にございます!」

「そんなこと言って、大垣村の若村長も仕留め損ねてるからなあ。ほんと気合入れてよ」

「も、申し訳ございません」


 大きな肩を小さくした部下を可笑しそうに見て、月白は言った。


「さあ、あれに見えるが彼の有名な箱根の関所だ。バカみたいに仁王立ちしてるのは所長の酒呑ってヤツかな。見るからに田舎者の下品な悪人だな」


 端からバカにされてるとはつゆ知らず、箱根の関所長は緊張と嬉しさでコチコチに固まっている。

――この田舎の関所に、南方鎮守府大将軍と西方鎮守府大将軍が同時にやってくるとは、運がいい。ここでどっちかの大将軍に気に入ってもらえれば中央進出も夢じゃないかもしれねえ。


 そんな皮算用をしつつ、酒呑は満面の笑みをうかべて馬上の麗人に深々と頭を下げた。



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