42  正体


 一桜たちは小舟を桟橋に括りつけて、注意深く岸へ降りた。


「静かだな」

 幻霞が言うと、牛若も頷いた。

「何かあったようだ。普通なら、この桟橋には何人か守り人がいる」

「とにかく万巻宮司の屋敷に急ごう。幻霞の出血が酷い」


 一桜は幻霞の腕の下に入り、素早く支えた。幻霞は苦笑する。


「こんな傷、どうってことねえよ」

「こんなときに軽口を叩かなくていい」


 幻霞はいつものように不敵な笑みを浮かべているが、顔色が悪い。だいぶ出血しており、巻いていた止血の布はすでに赤黒く染まりきっている。

 一桜は自分の着物の袖を引きちぎって幻霞の肩に巻いた。一桜の白い肩が露わになる。


「粋なことしてくれるじゃねえか」

「いいから、私と牛若につかまって歩いて。――どうした、牛若」

 牛若が慌てて一桜から目を逸らすように、幻霞の反対側の肩へ回った。

「牛若?」


 幻霞を挟んで歩き出す。幻霞は胸板が厚いので、向こう側にいる牛若は見えないが、明らかに何か動揺している様子だ。


「いや、やっぱりそうだよなって」

「? 何が」

「腕が、華奢で……その……やっぱり、女だから」


 一瞬の、沈黙の後。


 幻霞が空に向かって笑った。


「はははっ、バレたか。痩せっぽちの洗濯板だから意外と騙しとおせると思ったんだけどな」

「げ、幻霞!!!」

 一桜いおは叫び、牛若はますます顔を赤くして「いやそういうことでは」とごにょにょ言った。


「魔龍が荒れているときの湖は、乙女を乗せてないと必ず大波がくる。でも俺たちの舟は無事に社へ着いた。正直驚いた。五色の刀の力かと思ったんだ。でも、龍がしつこく一鉱を狙っているのを見て、一鉱が女だったら全部つじつまが合うって思ったんだ」

「……ごめん。騙していて」

「謝るのは、俺の方だ。女だとわかっていたら神の社に一緒に行ってくれなんて言わなかった。怖い思いをさせてすまなかった。そして…心から礼を言う。五色の刀が龍を封じるっていうのは、本当だったんだな」


 幻霞が、二人の肩を軽く叩いた。


「まあいいじゃねえか。俺も最初はコイツが白龍刀持って神の社に行くって言ったときはドン引きしたけどな。どうやら龍神を刀に封印できたようだし、そのおかげで刀も鍛えられたようだし、終わりよければ何とやらってことで。な、一桜いお

「……一桜いお?」


 牛若がいぶかし気に言う。

 一桜は、大きく息を吸い込んで言った。


「あたしの名は、一桜いお。一鉱は、兄の名なんだ」

「じゃあ……村が襲われて死んだっていうのは」


 一桜は頷いた。


「死んだのは、兄の一鉱。あたしは、白龍刀を兄に託された。一刻も早く武蔵ノ国へ行き、青龍刀の主にお会いし、村再興の助力を請うために」

「そうだったのか……」

 それきり、牛若は黙った。

 誰も口を聞かなかった。村の道にも人の気配はなく、何事もなかったように遠くで鳥がさえずっている。

 沈黙が気づまりになる前に、万巻宮司の屋敷門が見えた。



「襲われた?」

 玄関の広い土間で足を洗いながら、牛若は目をむいた。

「誰にだ?!」


 気色ばんだ牛若とは対照的に、鈴音はいつもと変わらず人形のように答える。


「わかりません。万巻様が結界を紡いでいる最中に、神殿に何者かが忍び込み、万巻様に薬を嗅がせた、と」

「馬鹿な。そんなことをしたら結界が壊れるとわかりきっている。村の者の仕業ではないな」

「はい。外部の者のようです」

「くそっ。それで龍が社から出てきたのか…!」

「今は容体は落ち着かれています」

「わかった。あとで万巻様の部屋へ行く。とりあえず、幻霞の怪我がひどいから手当を」

「かしこまりました」


 鈴音は立ち上がると、絡繰り人形のように廊下を進んでいく。

 幻霞を両側から担いで、一桜と牛若も続いた。


「良いお知らせもあります」

 幾何学模様に彩られた長い回廊を進みながら、珍しく鈴音が口を開いた。


「良い知らせ?」

「村の女たちが、帰ってきます」

「何だって?!」


 牛若が前のめりになる。「いつ?!どうしてそんな、急に」


「国王第四子、南方鎮守府大将軍紅玉宮様が御力をお貸しくださいました。涼竹様は、紅玉宮様のお手伝いで出かけております」

「そうか…でもなんだって南方鎮守府大将軍がこんな山奥に……まあいいか。女たちが、姉さんが帰ってくるなら。うん、そうだよな」


 牛若はまだ信じられないといった様子で事態を納得しようとしている。


「南方鎮守府大将軍って?」

 一桜が小声で言うと、幻霞が眉をしかめた。

「おまえ、本当に何にも知らねえんだな。南方鎮守府大将軍はな、四国、九州、南西諸島を含む西南海州を治める国王の息子だ」

「へえ……」


 地図で見たことがある。西南海州は、美濃ノ国よりずっと南にある。

 美濃ノ国よりも遠いところから、こんな東の山までやってきたその人物を、一桜は純粋にすごいと思った。海路も陸路もかなりな行程だ。


「……五色の刀の周りには陰謀欲望が渦巻きヒトを呼ぶ、か」

「なに?幻霞、何か言った?」

「いや、なんでもない」


 鈴音がとある部屋の前で止まり、障子を開けた。

「こちらへ。手当の道具はそちらに揃っております。今、お湯をお持ちします。牛若様にもお手伝いいただけると迅速に運べるのですが」

「おう。幻霞、すぐに戻るから。一……桜」


 赤い顔で目を逸らしつつ、牛若が床の間の脇を指した。


「そこに置いてある大きい木箱に手当の道具や、薬が入ってる。櫓で見せた

箱のこと、覚えてるか?」

「箱?」


 一桜は記憶を手繰り、ああ、と頷く。


「絡繰りの箱か。一か所をずらすと蓋が動くという」

「そうだ。面倒で悪いが、この村じゃ大事なものは絡繰り箱に入れる風習でな。その箱も同じ仕組みだから、開けてなんでも使っていてくれ」

「わかった。ありがとう」


 なぜか一桜をちらちらと赤い顔で見つつ、牛若は鈴音と一緒に部屋を出ていった。



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