第19話 政

 結局、俺は寝た。困惑するティアラを置いて寝た。


 体感的にはたった数分間眠ったつもりだったが、目を閉じて次に開くと窓からは陽の光が差し込んでおり、部屋が明るくなっていた。


 多分めっちゃ寝たわ……。


 俺は顔を作業机と向けた。すると、そこには眠る前と同じ姿勢で机に向かうティアラの姿があった。そしてティアラは無の表情でカタカタとペンを持つ手を動かしている。


「ティ、ティアラさん?」


「…………」


 声を掛けてみるがティアラ氏は全く返答しない。


 不審に思った俺は恐る恐るベッドから抜け出してティアラ氏の顔を覗き込んでみた。


 あっ……瞳から光彩が消えてる……。


 次に机に目を落としてみる。


 めっちゃ原稿進んでる……。


 え? これ、ティアラちゃん一人でやったの? 俺がこの時間までやってたとしてもまだここまで進んでないよ……。


 目を丸くする俺だったが、ティアラ氏はそんな俺にかまうことなく黙々とペンを動かしている。


「ティアラ氏? 聞こえてる? ティアラ氏?」


 あっ駄目だ。ティアラが故障してる……。もしかしてこれやばい状態じゃね?


 心配になった俺はティアラ氏の肩をポンポンと叩いてみる。すると彼女は「へへっ……へへへっ……」と瞳の光彩をなくしたままわずかに笑みを浮かべた。


 あ、やばいわ……ちょっとティアラちゃんに酷いことしすぎたかも。


 彼女の肩を両手で掴むと彼女の身体を揺さぶる。が、ティアラは「へへへっ」と気持ち悪い笑みを浮かべるだけだ。


「おいっ、ティアラっ!! こっちに戻ってこいっ!! 帰ってこれなくなるぞっ!!」


 全くもって光彩が復活しないティアラちゃんの体を何度も何度も揺すっているとようやく彼女は俺に顔を向ける。


「リュータさん、今最高ですわ……。こんなに聖女さまに酷いことをして、私、天にも昇る気持ちですわ……」


 あぁ~あぁ~やばいやばい。やばい笑い方してる。


 俺、完全に壊しちゃった……。こんなに純粋な女の子を完全にぶっ壊しちゃったよ……。


「ごめんね。ティアラごめんね。もう二度とこんなことしないから、俺を許してくれ……」


「何を言っていますの? 私はこんなにひどい作品が描けて幸せ――」


 と、そこまで話したところでティアラは意図が切れたようにぶっ倒れた。椅子から崩れ落ちそうになった彼女の身体を支えると、そのまま彼女をお姫様抱っこしてベッドへと運んでやった。


 彼女をベッドに寝かせて布団を掛けてやる。


 ティアラよ。安らかに眠れ……。


 ということで仲間を失うこととなったが、寝たことによってわずかに体力が回復した。亡き戦友の意志を引き継いで執筆を続けていると、不意にコンコンとドアがノックされる。


 誰だ……。


 ドアの方まで歩いていき、ドアを開けるとそこには祭服を身に着けた聖女さまが立っていた。


「おはようございます。リュータさま」


 彼女は朝に相応しいさわやかな笑みを浮かべて俺を見上げた。


 なんだろうそのさわやかさが逆に不穏に感じられる。またこの聖女さまは良からぬことを考えているのではないかと、思わず身構えてしまう。


「な、なんすか……」


「リュータさま、そのように疑うような目で私を見ないでください。なんだか変な気持ちになってしまいます……」


 と言って変態聖女は恥じらうように俺から顔を背ける。


 いやどこでも興奮か……。あんたもうエロ漫画いらねえだろ……。と、思いながら彼女を見つめていると、聖女さまは再び俺に顔を向ける。


「リュータさま、これからボルボン城へ行きましょう」


「ボルボン城っ!? ですか?」


 ボルボン城というのはこの王都ガルナの中心にそびえ立つ国王の住む城のことである。けど、なんでエロ漫画家の俺がそんな場所に行かなきゃならん。


「これからアセリアに正装を用意させますのでそれに着替えてください。あと、リュータさまは聖堂に仕える大魔術師ということにしてありますので、お城ではそのように振る舞ってください」


 そう言うと聖女さまは俺をおいて歩いていく。


「いやいや、ちょっと待ってくださいっ!!」


 俺が彼女を呼び止めると、彼女は「どうされました?」と振り返る。


「いや、どうして俺がボルボン城に行く必要があるんですか?」


 何をどう考えても俺がそんな場所に足を運ぶ必要性が感じられない。俺みたいなエロ漫画家が言っていい場所じゃない。それどころか俺みたいな人間が一番行くべきでない場所まである。


 そんな俺に聖女さまはにっこりと微笑むとこう言った。


「王女殿下がリュータさまにお会いしたいとおっしゃっています」



※ ※ ※



 いやなんで……。


 なんで王女様が俺に会いたいとか言ってるの? ってか、なんで俺のことを知ってるの?


 何もかもが意味不明だったが、とにもかくにも会いたいと言われてしまった以上、雨が降ろうが槍が降ろうが俺に拝謁賜る以外に選択肢はない。


 俺はアシリアに渡された白い詰襟みたいな服に着替えると、馬車に乗り込んだ。そして30分ほど馬車に揺られているとバカでかい宮殿が視界に入ってきた。


 あ、ちなみに酔い止めは飲んだので馬車酔いは大丈夫そうです。


 ということで馬車に揺られたまま巨大な門をくぐると何人もの衛兵に囲まれた。が、馬車の中を覗いてそこにいるのが聖女だと理解した瞬間、その場に跪く。


 どうやら顔パスのようだ。ということで城の中に入った俺たちは馬車を下りて衛兵に案内されて城を登る。


こんなにも魔法が溢れかえった世界の癖にエレベーターがないのが本当に解せない。


 日頃の運動不足を自覚しながら城を上がっていくと、階段を登りきったところで何やら見覚えのない少女の姿が見えた。


栗色の髪の少女は俺たちの姿を見つけると「あらリーネ、久しぶりね」と聖女に手を振った。


 多分だけど、こいつは王女だ。正直なところまつりごとに全く興味のない俺は国王の顔すらうろ覚えなのだ。


 王女の顔なんて全く知らない。


 けど、さすがにこのまま『あ、どうも』なんて気さくに話しかけたら打ち首だろうな。ということでとりあえず階段を登り終えたところで王女の前に跪いた。


「別にそんな改まったことしなくてもいいわよ。ここには私たち王族や侍従しかいないんだから。私のことは適当にサナって呼び捨てでいいから」


 いや、呼べるかっ!!


 と、内心ツッコミを入れていると横に立つ聖女さまは「ここでは頭を下げる必要はありませんよ。王女殿下のご厚意をありがたく受け取りましょう」というので俺は「ありがとうございます」と立ち上がった。


「ではお言葉に甘えてサナ殿下と呼ばせていただきます」


「まあなんでもいいわ。それよりもあんたリーネの下で働いているリュータ・ロー?」


「は、はい」


「へぇ……見たところただの冴えない男にしか見えないけど、本当に大魔術師なのかしら?」


「い、いちおう大魔術師やらせてもらってます……」


「まあいいわ。リュータ、これからよろしくねっ!!」


「はい」


 それから俺たちは王女サナに連れられて長い廊下を歩いていく。そして、廊下の突き当りにあるドアの前で彼女は足を止めた。


 衛兵が二人がかりで観音扉を開く。王女に連れられて部屋に入ると、眼前に巨大な空間と中央に鎮座する円卓が見えた。


 円卓の奥には玉座という言葉がぴったりな仰々しいソファが置かれている。そして円卓を取り囲むように無数の木製の椅子が並べられていた。その椅子に一人の赤髪のガタイの良い中年男が腰を下ろしているのが見えた。


 誰だ……。


 俺が呆然とそのおっさんを眺めていると、おっさんは俺を見て立ち上がるとこちらへとずかずかと歩み寄ってきた。


「お前がリュータ・ローといかう大魔術師か? 俺の目にはただの田舎くさい若造にしか見えねえが」


 と俺の顔を覗き込みガンを飛ばしてくるおっさん。


 こっわ……。


「この者は軍の総司令のロンノルです」


 と聖女さまがおっさんを紹介してくれた。が、相変わらずロンノルとかいうおっさんは俺にガンを飛ばし続け傍から見たら不良からカツアゲされる陰キャ高校生状態だ。が、おっさんは不意に「まあ仲良くしようぜっ」と俺の背中を力いっぱい叩くと椅子へと戻っていった。


 一生仲良くできる気がしない。


「序列とか気にしないから適当に座ってちょうだい。あ、でも玉座はだめよ。ここは私の特等席なんだからっ!!」


 王女はそう言うと奥の玉座まで歩いていくとそこに腰を下ろした。


 いや、怖くてあんなところ誰も座れねえよ。


 なんて思いながらも俺は円卓を取り囲む無数の椅子の中から聖女さまの隣の席に腰を下ろした。


 真正面では目をギラギラさせながらロンノルが見つめているせいですごく居心地が悪い。


 と、そこで王女が話し始める。


「今日集まってもらったのは他でもないわ。このリュータがどれぐらい使い物になるのかリーネから説明してもらうためよ」


 なるほど、まあ確かにこんなわけのわからん魔術師が急に聖女さまと行動をともにし始めたらみんな困惑するはずだ。どうやら王女たちは俺が怪しい人間なのかどうか見極めるつもりらしい。


「はいサナさま、この者は以前ご紹介した通り大魔術師のリュータ・ローです。魔術そのものはあまりうまく使いこなせないようですが、魔導書が描ける優秀な人材です」


 と聖女さまが俺を紹介する。


「へぇ~魔導書ね。で、どんな魔導書が描けるの? 私にも読ませてよ」


 と、王女が興味津々で聖女を見やる。すると聖女は懐から一冊の分厚い本のような物を机に置いた。


 なんだこの本。少なくとも俺はこんな仰々しい本を執筆した覚えはないけど……。


 と、そこでロンノルは聖女を見やった。


「聖女さまよ。その本をちょっと俺に読ませてくれ」


 とロンノルは魔導書……だと聖女が言い張る本へと手を伸ばそうとした。が、その直前に聖女が魔導書を引いてそれを阻止した。


「それはお勧めできません。魔術に長けている者でもこの魔導書を読みこなすことはできません。それとも脳を焼き切られたいですか?」


「ほう、俺みたいな三下には読ませたくないってことか?」


「いいえ。これはあなたの健康を心配しての言葉です。それでも忠告を無視してでもお読みになられるとおっしゃるのであればお渡ししますが?」


 はったりだ。俺は直感的に理解した。そんな聖女さまにロンノルは少し不満げに聖女を睨んでいたが「まあ、聖女さまがそうおっしゃるのならそうなんだろうよ」と納得したように身を引いた。


 そんなロンノルと聖女を何やら楽しそうに交互に見やっていた王女が次に口を開く。


「で、その魔導書はそんなにすごいの?」


「はい、この魔導書がいかに他を圧倒しているかは、先日、軍に納入したポーションの効果をご覧になられればおわかりかと」


 ロンノルはその言葉に何やら嬉しそうに笑みを浮かべた。


「いやあ、あれは凄かったぞっ!! あれを飲んだ夜は女房のやつホント嬉しそうな顔をしていやがった。あれは本当にすごかったな」


 おいおい、このおっさん、ポーションをマカかなんかと勘違いしてねえか?


 が、ポーションを実際に飲んでみた俺にはこのおっさんの言葉の意味が少し理解できてしまうから悲しい。


 何やらニヤニヤと笑みを浮かべるロンノルに聖女さまは「王女の御前ですよ」と窘めた。


「悪い悪い。まあこいつの魔導書がいかにヤバいかってことは俺も認めざるを得ないな。だけど、問題はその大魔術師が聖堂にいるってことだ。俺たち王国の人間にとっては脅威でしかないぜ?」


「ご心配には及びません。この者はあくまで私直属の部下です。私が中立の立場を取っている以上、王国と聖堂の勢力の均衡に影響はありません」


「ほぉ……でも、俺はそもそもあんたが中立の立場に立っているってこと自体疑ってるぜ?」


「ロンノル、私はリーネのことを信頼しているわ。彼女は今まで見てきた聖女の中でも圧倒的に聖女としての立場をわきまえている人間よ」


 と、そこで王女が会話に口を挟む。


 そんな三人の会話を俺はポカンと首を傾げながら眺めていた。


 なんだよ王国と聖堂の均衡って……。


 こいつらはいったい何の話をしているんだ?


「リュータさま、もしかしてこの国の仕組みをご存じないのですか?」


 と、聖女が不思議そうに俺を見やった。


「すみません。けど、俺はまつりごとには疎いので」


 そう答えると聖女さまは驚いたように目を見開いたが、しばらく俺を見つめてため息を吐くと「まあリュータさまらしいですね」と笑みを浮かべた。


「まずはリュータさまにこの国の仕組みを説明したほうがいいみたいですね」


 そう言って彼女はこの王国のことを話し始めた。

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