第7話 ねこばば聖女
ありえない……そんなはずがない。
俺の想像を軽く飛び越えてくるような現実に俺の思考は追いつきそうになかった。だけど、その紙に描かれたイラストを何度見返してみても、そこに描かれているのは大聖女リーネだったし、俺の描いた『傾国の聖女と罪深き森のオーク』の一コマに違いがなかった。
でもどうして、どうして彼女がそんなものを持ってるっ!?
いくら思考を巡らせてみても思い当たるような理由はなかった。
「ゆ、許して……ですわ……」
と、そこで赤髪の少女の震えるような声が聞こえて、俺は現実に引き戻される。顔を上げるとそこには恐怖に震える少女の姿があった。
「ど、どうしたんだ?」
俺が首を傾げると少女はしばらく震えながら俺を見つめていたが、不意にその場に崩れ落ちる。
「許してほしいですわ……。どうしてもお金が必要だったのですわ……。こんなことしたらいけないとわかっていたのですが、こうでもしないと妹がお腹を空かせて死んでしまいますわ……」
「おいおい、別に俺は謝ってほしいわけじゃ……」
と、彼女に言うが、俺の言葉は彼女の耳には届いていないようで何故か俺に許しを請うようにそう言うと瞳から涙を流し始めた。
「もうダメですわ……こんなことが見つかったら私……殺されてしまいますわ……」
と悲観してうな垂れる少女。
と、そこで背後でぶつぶつと呪文が聞こえた。振り返ると両手を広げた聖女さまが立ってた。
その直後、周りにいた市民たちはまるで空気でも読んだように四方へと散っていく。
どうやら聖女さまは人払いの範囲を広げたようだった。彼女は相変わらずうな垂れる彼女の前に立つと口を開いた。
「頭をお上げください」
聖女が少女に声を掛ける。
が、彼女の耳には届いていないようだ。そんな彼女に聖女は再び「頭をお上げください」と言うと、そこでようやく少女は「え?」と言って顔を上げる。
そして、聖女の存在に気がついた「は、はわわっ!?」と声を上げて目を見開いた。
「ど、ど、どうして聖女さまがこんな場所にいらっしゃいますのっ!?」
と、驚いた様子の彼女だったが、彼女はすぐに自分がこの国では持っていてはいけないはずの絵を持っていることが聖女にバレたことに気がついた。
「せ、聖女さま、申し訳ありませんですわっ!!」
と、彼女はそう叫ぶと、少女は聖女の祭服の裾に縋りつく。そして、おいおいと泣きながら聖女さまの顔を見上げた。
「わ、私、とんでもないことをしてしまいましたわっ!! 親愛なるリーネさまをこのようにひどく描いてしまいましたわっ!!」
と、彼女はさりげなく俺の作品を完全否定しつつ、聖女さまに自分のしでかしたことの重大さを口にした。
あれ……なんで俺がダメージ受けてるんだ……。
いや、い、今はとりあえずそのことはおいておこうか……。
とにもかくにも彼女の口ぶりから察するに、その絵は彼女自身が描いたもののようだった。でも、言い方は悪いがどう見ても貧乏人にしか見えない彼女が、どうして高価である紙に、闇市場で高値で取引されている俺の描いた大聖女の絵を描いていたんだ?
やっぱり俺には理解できなかった。少女はただただ「申し訳ないことをいたしましたわっ!! ごめんなさいですわっ!!」と聖女さまに謝罪の言葉を続けるだけである。
「あなたは罪を犯したのですか?」
と、そこで聖女は取り乱す少女とは対照的に落ち着き払った声でそう尋ねた。
「そうですわっ!! 私は決して許されないことをしてしまいましたわっ!! どのような罰でもお受けする覚悟ですわっ!!」
「そうですか。では私はこの王国の聖女としてあなたの懺悔に耳を傾ける必要があるようですね。全て、お聞かせいただけますか?」
と彼女が尋ねるとそこで少女はほんのわずかに冷静さを取り戻し「も、もちろんですわ……。どうぞ私の犯した許されない罪をお聞きください」と答えた。
※ ※ ※
「こ、この絵は……」
大聖堂へと戻ってきた俺たちはとりあえず少女の事情を聞くことにした。とはいえ表立って事情聴取をするわけにもいかないので、とりあえず俺たち三人は俺の部屋に集合した。
ベッドに腰掛けた俺は彼女が素直に差し出した無数の紙を眺め驚愕する。
間違いなくこれは俺が密売を始めた最初期に売った『傾国の聖女と罪深き森のオーク』の第一巻だった。いや、正確に言うとそれの模写だ。
聖女さまはベッドの前に立ち、足元で崩れ落ちる少女を眺めていた。
「まずはお名前をお聞かせいただけますか?」
「わ、わたくし……ティアラと申しますわ。ガルナの南にあるレディエという街で絵を売って生きていますわ……」
レディエと言う名前は聞いたことがあった。行ったことはないが、俺の記憶が正しければかなりのスラム街だったはずだ。
「ご両親は?」
ティアラは首を横に振る。
「それはおつらい境遇を生きておられるのですね。心中をお察しします……」
と聖女は慈愛を見せるように悲しげな表情を浮かべる。
どうやら今の彼女は大聖女リーネモードのようだ。そこには変態性の欠片もなく、みなが想像する清らかで神聖な聖女さまの姿があった。
「あなたの描いた花の絵はとても素晴らしかったです。あなたの心もこの花のように清らかで透き通っておられるのでしょう」
お前と違ってな……。
と、俺は思わず心の中でツッコミを入れてしまう。こんな風に一見、神聖さを醸し出している聖女さまだが、俺はその実がとんだ変態女だと知っている数少ない人間だ。
だが、ティアラはそのことを知らない。彼女は聖女の言葉が自分には身に余る言葉に聞こえたようで首を激しく横に振った。
「い、いえ、私はそのようにお褒め頂くような人間ではありませんわ。私は聖女さまをこのように侮辱的に……」
「あなたはどうしてこのような絵をお描きになられたのですか?」
聖女は本題を切り出した。俺もまた紙をベッドにおいて彼女を見下ろした。
「私の絵を買った男に誘われたのですわ……。絵巻物を紙に写すだけで大金が手に入ると誘われたのですわ。お金が手に入れば妹を学校に通わせることができると思いまして……」
「絵巻物……ですか?」
「はいですわ。その男は私にこの紙に描かれたような聖女さまを侮辱するような絵巻物と紙とペンを持ってきましたわ。それでその絵巻物を描き写せと言いましたわ」
「その絵巻物は今、お持ちですか?」
「え? は、はいですわ……」
そう言ってティアラはバスケットに手を入れると絵巻物を取り出した。俺の想像していたとおり、それは俺が描いたエロ漫画だった。
聖女さまはティアラから絵巻物を受け取る。
「つまりこれが諸悪の根源というわけですね」
「はいですわ。ですが大金に目がくらんで引き受けた私もこの絵巻物同様に醜い存在ですわ」
「人間という存在は貧しくなると、ときに道を踏み外してしまうものです。きっと、あなたにはそれが悪いことであったとしても、手を染めてしまうほどの理由があるのでしょう」
「ですが……」
「この絵巻物は私が責任を持って処分しておきます。これで罪の根源は絶たれるはずです」
そう言って聖女さまは絵巻物を懐にしまった。
おいおいおいおいっ!! ちょっと待て聖女さま。
俺は思わずツッコミそうになった。
なんかすげえいい話をしている感出してるけど、この聖女、今絵巻物をねこばばしたぞ。
ティアラちゃん、目を覚ましてっ!! 目の前の聖女さまは今『ラッキー『傾国の聖女と罪深き森のオーク』の一巻をタダでゲットしちゃったっ!!』てほくそ笑んでるぞっ!!
その証拠に聖女さまの頬がほんのわずかだけど上気しているのがわかる。
そんな聖女さまにティアラは「そ、それは困りますわっ!!」と目を見開く。
「何か不都合でもあるのですか?」
「わ、私、妹を人質に取られていますわっ!!」
「人質……ですか?」
「ええ、私がこの絵巻物を持ち逃げしないように男は妹を人質にとっていますわ。私がその絵巻物と商品を納品しなければ妹の身が危険に晒されしまいますわっ!!」
なるほど、そりゃそうだよな。言い方は悪いが彼女はスラム街の子どもだ。高級な紙や絵巻物を渡せばそのまま持ち逃げされる可能性が高い。
それで妹は人質に取られてしまったのだろう。おそらく男は彼女にとって妹が一番大切な存在だと知っていて、そうしているに決まっている。
「ティアラさん、その男はどこにいるのですか? 聖堂のものに行ってあなたの妹の身柄を保護いたしましょう」
「そ、それは……」
と、そこでティアラはなにやらバツの悪そうな顔で聖女から顔を背ける。
「どうしたのですか?」
「ですが……その……」
と、歯切れの悪いティアラ。彼女は何やら躊躇っているようだ。聖女さまはしゃがみ込むとそんなティアラの両手を優しく包み込む。
「私はあなたの口にする人間がどのような人間であっても、あなたを責めるようなことはいたしません。ですから、私にお話しいただけないですか?」
と、彼女がそう尋ねるとティアラはしばらく黙り込んでいたが意を決したように口を開いた。
「神父さまですわ。妹は教会に捕らえられていますわ……」
その言葉に聖女さまは目を見開いた。
どうやら俺たちが想像していた以上に、この問題は根深いようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます